◆◆◆◆◆◆◆◆ ■応援歌 チリでは大変なことになっており、33人の一日も早い救出を願うばかりだが、この事件との関係でチリ国歌というものを初めて聴いた。そしたら、一部、フランス国家を思い起こさせる旋律があった。ざっと聴いたかぎりでの(ブログ記事を書く関係で)印象なので、当たっているかどうか定かではないが、そんなことがあって、このところ、フランス国家というものが頭の中に残っていた。そこで、小沢勝利のために、ユーツベを一つ載せておこう。 La Marseillaise(ラ・マルセイエーズ)
救助掘削作業は、国営銅鉱山大手のCodelco's El Teniente社マネジャー、Andre Sougarretが率いているが、同氏はほかにもう2本シャフトを掘る予定だと語っている。一本はこの先数カ月の通気確保と通信その他のやりとり用で、もう一本は、こちらはもっと広いシャフトなのだが、これは滑車を使って坑夫を地上に引き上げるのに使用する。 現在、別の鉱山からもっと強力なドリル(掘削機)を現場に輸送しているところであるが、この引き上げ用の大きな孔をどこに掘ればいいか頭を痛めている。地盤が不安定であり、さらなる落盤を引き起こさないようにしなければならないためだ。Sougarret氏は、引上孔を貫通させるには3-4ヶ月かかるであろうと語っている。
「坑夫たちは生きている。しかし、やるべき仕事はまだ終わっていない」。 Sebastian Pinera(セバスチャン・ピネラ)大統領は、首都サンチャゴで語った。労働安全規則を厳しくする行政のことをいっているのである。ピネラ大統領は、この事故をうけて、同国の鉱山業務監督庁長官を罷免したが、そのうえで、同庁の機能を大幅に改善すると宣言している。
「なんかおかしいな、なんで出てないんだ、いまいましい」。 そこで、"balancing and bandwagon"で検索すると、当たり! "Bandwagoning"という見出しでピッタリのWikipedia解説が出ていた。その解説のなかで参照項目として"bandwagon"が掲げてある。クリックして、"Bandwagon may refer to:"(「バンドワゴン」は、次のような種々の意味を表わすことばとして使用される)の一覧を:眺めやると、あるね(*1)。 <<<Bandwagoning, a term in international relations>>> (Bandwagoning―国際関係論で使用される用語) (解説の詳細は末尾に掲載)
そいでもって、実際の動き、トロンボーン奏者の動き、というか、スライドの延ばし縮みの動きだが、それを示すとこうだ。1960年代初期、ドイツでのTVスタジオ録音だというから(「コメント」欄で誰かがいっているんだが、どうかな)、上の録音から10年ほど経った後か。ジムは73、4歳か。それにしちゃ、若いね。曲はMahogany Hall Stomp(マホガニィ・ホール・ストンプ)。
ところで、私は最近、ジェイ・ジェイが1997年に"Piano Jazz"(ピアノ・ジャズ)というMarion MacPartland(マリオン・マクパートランド)のショウに出演した際の音声録音に遭遇した。インタビューのなかで、「テイルゲイト・トロンボーン」についてという話題が持ち上がっている。そこで、ジェイジェイだが、こう語っているのである――"J
"("J.J. Johnson Speaks On Tailgate Trombone"、「J.J.ジョンソン、テイルゲイト・トロンボーンについて語る」)。 トロンボーンの神様みたいな人が、こんなことをいっているのだ。実におもしろいね(Pretty interesting words from a master trombonist.)。
さて、ということだが、J.J.の盛りのときのYouTubeビデオを掲げておこう。曲は、"Now's The Time"(ナウ・ザ・タイム)。 (当ブログ主「注」 ― 前回の記事で載せたのでここでは省略する) ********************
◆◆◆◆◆◆◆◆ 四、クイズの解答 さて、長らく待たせたが、いよいよクイズの解答だ。――「五百旗頭真(いおきべまこと)とJ.J.Johnson、what?」 ――この問いの答えだ そう、「バンドワゴン」という言葉の意味を調べていて、上記の"J.J. Johnson Speaks On Tailgate Trombone"という音声録音にぶつかったということなんだ。だから、「模範解答」は次のようになる。
バンドワゴンイング(Bandwagoning)、Wikipedia解説(英文解説の翻訳) 国際関係論において現実主義者が説く理論においては、バンドワゴンイングとは、戦力支配関係における均衡という考え方のなかで、弱い国家がより強い力または同盟に参加する行為のことを指す。この言葉は「バランシング」に対置されるものである。バランシングと異なり、こちらは比較的新しい言葉である。"Bandwagoning"は、" A Study of War (1942)"(戦争研究)においてQuincy Wright(クインシィ・ライトが初めて使用した造語である。これを、Kenneth Waltz(ケニス・ウォルツ)がTheory of International Politics (1979)(「国際支配関係の理論」)で引用して広めた。(ウォルツはこの書において、この言葉を創ったのはStephen Van Everaだとしているが、誤りである)。
→[歌詞翻訳曲目一覧] 2010.8.11 "But Mot For Me"(バット・ノット・フォア・ミィ)は、名だたるガーシュイン兄弟の作品である(*1)。作詞を兄のアイラ(Ira Gershwin)がてがけ、弟のジョージ(George Gershwin)が作曲するというパターンだ。ジョージ・ガーシュインは、詳細は省くが、名曲をいっぱいこさえている。いわゆる「ポピュラー音楽」の作品は、おびただしい数に上るのだが、そのうちのかなりのものが「ジャズ・スタンダード」になっている(Gershwin画像)。
ということで、それをやったのだが、そこに"Beatrice Fairfax, don't you dare ever tell me he will care."というくだりが出てくる。そこで、「"Beatrice Fairfax"は人の名前だな(呼びかけているわけだから)、どんな人物だろう、Googleしよう」と、こういうことになる。そして、それをやった。
そうそう、忘れるところだったが、ということで、"Beatrice Fairfax, don't you dare ever tell me he will care."という文の訳は、こういうことになる。 ――人生相談のベアトリス・フェアファクスさん、彼が私のこと今でも気にかけているなんて、絶対にいわないでよ、おざなりを―― 「注」 "he will care"を、「今でも気にかけている」とした。「恋人がいずれまた戻ってきて撚りが戻るから、くよくよしなさんな」(そんな安請け合いの助言はしないでくれ)といった趣旨だと理解したからである。"care"は、"care for"となれば「好き」(loveの意味ではない)、「好ましく思う」の意味になる。歌詞によく現れるので一言しておく。
************************* But Not For Meの歌詞を掲げておく。 But Not For Me George and Ira Gershwin, 1930 (Verse) Old man sunshine listen you! Never tell me, "Dreams come true! Just try it and I'll start a riot. Beatrice Fairfax, don't you dare ever tell me he will care; I'm certain it's the final curtain, I never want to hear from any cheerful Pollyannas, who tell you fate, supplies a mate; it's all bananas!
(Chorus) They're writing songs of love, but not for me. A lucky star's above, but not for me. With love to lead the way I've found more clouds of grey than any Russian play could guarantee.
I was a fool to fall and get that way; Heigh-ho! Alas! And also, lack-a-day! Although I can't dismiss the mem'ry of his kiss, I guess he's not for me.
He's knocking on a door, but not for me. He'll plan a two-by-four, but not for me. I know that love's a game; I'm puzzled, just the same, was I the moth or flame? I'm all at sea.
It all began so well, but what an end! This is the time a feller needs a friend, when ev'ry happy plot ends with the marriage knot, and there's no knot for me.
*後日、ツーバイフォー工法とはなんの関係もないと説明しているネット記事に出会った。作詞家Iraが自筆書のなかでそう語っているのだという。ツーバイフォー「工法」というものが語られるようになったのは1930年よりだいぶ後のことであろうから、そういわれればそうだ。上の「注」を誤りとして訂正しておく。 ただ、「工法」自体は無関係であるにしても(詳しくは知らぬが、コスト抑えと耐震強度の点から「2x4」規格材をおびただしい数の釘で打って骨格を組み立てていく点に特徴があると理解している)、"He'll plan a two-by-four,"において2x4寸法の規格木材を意識していることは確かではないかという気がする(2011.3.7)。
[更新] 2012.2.19 コーラス二節目を修正した(下記抹消線部分)。 "was I the moth or flame?"の部分、
"moth or flame"=蛾なのか明かりなのか このことに気付いたので付記しておく。明りに引き寄せられる蛾、照明に群がる蛾のことに言及している。つまり、「誘惑したのは(おびき寄せたのは、惹きつけたのは)どっちで、誘惑されたのは(おびき寄せられたのは、惹きつけられたのは)どっちだ」といっているのである。
Dante and Beatrice, by Henry Holiday. ベアトリーチェ(真中の女性)が友人のLady Vanna (赤)と一緒に通り過ぎるのを憧れの目で(物欲しげに)見いるダンテ 。川は、アルノ川(Arno River)。 ********************************** 以下、Wikipediaから ベアトリーチェ(Beatrice Portinari) ダンテを代表する最初の詩文作品、『新生』 (当ブログ主「注」― "La Vita Nuova"、"The New Life" in English) によれば、1274年の5月1日に催された春の祭りカレンディマッジョ(Calendimaggio) の中で、ダンテは同い年の少女ベアトリーチェ(ビーチェ)に出会い、魂を奪われるかのような感動を覚えたという。この時、ダンテは9歳であった(当ブログ主「注」 ― Beatrice Portinariに関する英語版Wikipediaによれば、ダンテ9歳、ベアトリーチェ8歳となっている)。
二人の間にさしたる交流もないまま、ベアトリーチェもある銀行家に嫁ぎ、数人の子供をもうけて1290年に24歳の若さで病死した。彼女の夭逝を知ったダンテは狂乱状態に陥り、キケロやボエティウスなどの古典を読み耽って心の痛手を癒そうとした。そして生涯をかけてベアトリーチェを詩の中に永遠の存在として賛美していくことを誓い、生前の彼女のことをうたった詩をまとめて『新生』を著した。その後、生涯をかけて『神曲』(当ブログ主「注」―"La Divina Commedia"、"Divine Comedy" in English)三篇を執筆し、この中でベアトリーチェを天国に坐して主人公ダンテを助ける永遠の淑女として描いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆ ■ベアトリス王女(Princess Beatrice)
そしてベアトリス王女に行きあたった。初めて存在を知った人物だ。エリザベス女王の孫娘だ(王位継承順位第5位、女子で第1位)。5番目の孫だそうだ。女王の次男、ヨーク公爵、アンドリュー王子 (Prince Andrew, Duke of York)の子である。母親はヨーク公爵夫人、サラ(Sara, Duchess of York、旧名Sarah Margaret Ferguson)。妹がいる(ユージーン王女、Princess Eugenie、王位位継承順位第6位、女子で第2位)。両親は二人の子がまだ幼いときに離婚している。しかし、離婚後も親密な関係を保っている由であり、子らは母親と、旅行など、行動を共にすることも多いという。
しばらく、記事と写真を楽しんだ(Eugenieの写真はココ。こちらの写真も楽しい)。なんだね、肥りすぎの時期があったようだが、調整できたようでなによりだね。幼児期に 読書障害(失読症、dyslexia)であることが判明したという。そんな病(症状)が存在するなんて、こちらはこれまで知らなんだ。知能障害とは無関係だとされる。ロンドン大学ゴールドスミス校(Goldsmiths, University of London)で歴史を学んでおり、2011年卒業予定だという。
"than any Russian play could guarantee."を、.......Broadway play.....って替えて唄ってるね。 ほかに、 "Although I can't dismiss............."......を、But still I can't dismiss....としている。Although(オールゾウ)は響きが悪いとして(濁ってて重々しい)嫌ったのだろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆ ■王女姉妹 The Elephant Parade and Auction at the Royal Hospital .
(July 1, 2010 - Photo by Bauer Griffin)
しかし、なんだネ、この写真、日本じゃ想像もつかないな。この「象使い」じいちゃんの右手、どうだね、え、ベアトリス王女の胸に。それは、実は、まことに巨大なものなんだが。 写真を撮るためにこのようなポーズをとることは、日本でもあるかも知れない。しかし、「公開」(ないし、公開放置)はない。 同じぐらいの年なんだが、イギリスで生まれて、この仕事をしていたかったな。もう遅いが。 まあ、But Not For Meでも練習して楽しんでいよう。
[更新] 2010.8.12、加筆、画像の追加など修正を施した。 2010.8.12、But Not For Meの歌詞の翻訳を掲げた。 2011.3.7、「ツーバイフォー」についての「注」を訂正した。 2012.2.19、コーラス2節目を修正した。 2014.1.13、1930年ブロードウェイ劇(Girl Crazy)の画像を載せた。
◆◆◆◆◆◆◆◆ ――以下、"The Shock Doctrine"(ザ・ショック・ドクトリン)から(90-91ページ)―― 1970年代半ばまでに、サザンコーン全体を通じて、シカゴ学派軍事革命政権においては、刑事法の強行(法執行)における主たる方法は「失踪」であるような様相を呈してきた。なかでも、アルゼンチンの宮殿を選挙している将軍たちは、その慣行をひときわ熱心に推し進めていた。軍事政権が倒壊するまでに生じた失踪者は、30,000人にのぼるとされる(65)。そのうちの多くは、チリの「同輩」と同じく、飛行機の上から、ラプラタ川(Rio de la Plata)の泥水に落とされた。
*65.Marguerite Feitlowitz, A Lexicon of Terror: Argentina and the Legacies of Torture(New York: Oxford University Press, 1998), ix 「恐怖の記録 ― アルゼンチンと拷問の遺産」 *66.同上、149、175ページ。 *67.Feitlowitz, A Lexinton of Terror, 165 Feitlowiz著「恐怖の記録」、165ページ
アルゼンチンの新規登用シカゴ派経済学者たちは、軍事政権において主要な経済ポストに就いた。金融局長、中央銀行頭取、大蔵省財務局調査研究部長といった地位をはじめ、その他の下位経済ポストを占めた(58)。しかしながら、アルゼンチンのシカゴ派経済学者らは軍事政府に喜んで参加したが、経済の最上位の職はその面々の内の一人にいったのではなく、Jose Alfredo Martinez de Hoz(ホセ・アルフレド・マルチネス・デ・オス)がその地位に就いた(写真)。 この人物は、Sociedad Ruralに属する貴族階級の一人である。Sociedad Ruralとは、牧場主たちの協会であり、同国の輸出を長年にわたって支配してきた組織である。これらのファミリィ群は、――アルゼンチンには貴族階級というものが存在し、このファミリィ群は、ほぼそれに近い存在なのであるが――封建的な経済秩序をよしとしたのである。その秩序とは、自分たちの保有する土地が政府によって百姓たちに再分配されるという不安に思い煩わなくてすむ時代、あるいは、食肉の価格が、民衆にそれがいきわたるようにするために政府によって引き下げられるという心配をしなくてすむ時代のことである。
[引用者注] 1. 上記の 「金融局長」は"secretary of finance"、「大蔵省財務局調査研究部長」は、"research director for the Treasury Department of the Finance Ministry"の訳で、ブログ主が適当に付したものにすぎない。 2.Jose Alfredo Martinez de Hozが就いたという「経済の最上位の職」とは、Minister of Economy(経済相)のことである。なお、当時の行為を糾弾する裁判に触れたブログ記事があった。
Martinez de Hozは、Sociedad Rural協会の会長を務めてきた人物である。その父親も、祖父も会長であった。また、Pan America AirwaysやITTなど、いくつかの多国籍企業の取締役会にも顔を連ねている。この人物が軍事政権においてこの地位に就いたということからして、このクーデターがエリート階級による革命であったという事実は疑いを容れない。すなわち、同国の労働者階級が40年にわたって獲得してきたものに対する反革命だったのである。
Martinez de Hozが経済大臣としてとった最初の行動は、ストライキを禁止することと、雇用主に対して労働者を自由に解雇できる権利を与えることであった。マルチネツは物価統制を廃止し、食品の価格を暴騰させた。また、アルゼンチンを再び、外国の多国籍企業群にとって居心地のいい国にしようとした。外国人による所有の規制を廃止し、最初の数年間で数百の国営企業を売却してしまった(59)。これらの施策を講じたことによって、マルチネツ大臣にはワシントンに、強力なファンができた。秘密文書指定解除によって公開された文書類によると、ラテンアメリカ担当国務副長官William Rogersがその上司たるHenry Kissinger(キッシンジャー)に対して、クーデター発生直後に、「Martinez de Hozはいい人物だ。これまでずっとこちらに助言を仰ぎながら行動してきている]と語ったとされる。キッシンジャーはそのことを大いに気に入り、マルチネツが「symbolic gesture」としてワシントンを訪問してきた際に盛大な会談を手配した。さらに、アルゼンチンの経済的努力を支援するために電話相談に応じる旨の提供をなした。「David Rockefeller(ロックフェラー)に電話するよ」と、キッシンジャーは軍事政権外務大臣に語った。ロックフェラーとは、チェース・マンハッタン銀行の頭取のことである。「彼の弟、副大統領にも電話する」(アメリカ合衆国副大統領、Nelson Rockefeller)(60)。
時間切れ、ここまで ――続く―― 「注」 The Shock Doctrineの脚注は、時間が足りなかったので、とりあえず、掲げてない。後日補充する。
-----------------------2010.8.7脚注掲載-------------------- *58. Mario I. Blejerは、この独裁政権のあいだ、金融局長(Secretary of Finance)を務めた。この人物は、クーデターの前年にシカゴ大学で経済学博士号を取得している。Adolfo Dizもシカゴ大学博士号保持者であるが、独裁政権のあいだ中央銀行頭取を務めた。Fernando De Santibanesは、同じくシカゴ大学博士号保持者であるが、独裁政権中、中央銀行で働いた。Ricardo Lopez Murphyは、シカゴ大学MA(文芸修士)保持者であるが、大蔵省財務局、経済研究/財務分析室の室長(national director of the Office of Economic Research and Fiscal Analysis in the Treasury Department of the Finance Ministry)を務めた(1974-1983)。その他、独裁政権において、シカゴ大学卒業生数名が、顧問や補佐官として、下位の経済職に就いている。 *59.Michael McCaughan, True Crimes: Rodolfo Walsh(London: Latin America Bureau, 2002), 284-90; "The Province of Buenos Aires: Vibrant Growth and Opportunity," Business Week, July 14, 1980, special advertising section. 「これぞ犯罪―Rodolfo Walsh」(ロンドン、南米局 2002)、284-90ページ。 「ブエノスアイレス地方―みなぎる経済成長と事業チャンス」、ビジネスウィーク誌1980年7月14日号、特別広告部門。 *60.Henry Kissinger and Cesar Augusto Guzzetti, Memorandum of Conversation, June 10, 1976, declassified, www.gwu.edu/~nsarchiv. ヘンリィ・キッシンジャとCesar Augusto、「会話記録」、1976年6月、機密文書指定解除。 *61."The Province of Buenos Aires. "FOOTNOTE: lbid. 上記「ブエノスアイレス地方」の脚注。 *62.McCaughan, True Crimes, 299. 上記「これぞ犯罪」、299ページ。 *63.Reuters, "Argentine Military Warned Brazil, Chile of '76 Coup. ロイター、「アルゼンチン軍部は、1976年クーデターについて、ブラジルとチリに事前通報していた」。 *64.Report of the Chilean National Commission on Truth and Reconciliation, vol.2, trans. Phillip E. Berryman (Notre Dame: University of Notre Dame Press, 1993),501 「真実開示/調停に関するチリ国家委員会報告書」第2巻、翻訳版。Phillip E. Berryman(ノートルダム大学出版、1993)。
*54.Milton Friedman, "Economic Miracles," Newsweek, January 21, 1974 ニューズウィーク誌1974.1.21号、「経済の奇跡」 *55Glen Biglaiser, "The Internationalization of Chicago's Economics in Latin America,"Economic Development and Cultural Change 50 (2002):280 「ラテンアメリカ諸国におけるシカゴ学派経済学の国際的席巻」、「経済発展と文化変容50」 *56.Lawrence Weschler, A miracle, a Universe: Settling Accounts with Tortures(New York: Pantheon Books, 1990), 149 「奇跡、宇宙 ― 拷問による清算」(Pantheon Books社、1990) *57.The quotation comes from notes taken by Brazil's ambassador to Argentina at the time, Joao Baptista Pinheiro, Reuters, "Argentine Military Warned Brazil, Chile of '76 coup,"CNN, March 21, 2007. この引用は、当時ブラジルの駐アルゼンチン大使をしていたJoao Baptista Pinheiro氏の手控えからのものである。「アルゼンチン軍が、ブラジルとチリに、1976年クーデターを警告していた」―CNNテレビ、2007.3.21
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