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2011年2月18日 (金)

My Funny Valentine (マイ・ファニー・バレンタイン)論、その2 ―定説に異議あり。この曲は、「バレンタインズ・デイ」(Saint Valentine's Day, Valentine's Day)と大いに関係のある曲だとしてよい――知ったかぶりの、「まったく無関係」なんかではなくて。

2011.2.18
                                                  ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]
 定説に異議あり ―― 1950年代初頭あたりから、曲は、当初の曲想を離れ、突然変異進化による新種となった。
 ネット上の記事を見ると、"My Funny Valentine"という曲は「聖バレンタイン」(Saint Valentine; Valentinus)ないし「バレンタインズ・デイ」(Valentine's Day)と「まったく無関係」だ、とするのが大方だ。
 しかし、その説は、もう過去のものだ。それはもう、60年前に廃れて消え去った説、化石とみるべきである。

 「関係ない」と説く論者は、――往々にして「得々と」説くのだが――、いうならば、チチチと可憐に梢や電線でさえずるシジュウカラのことを、「いや、違う、あれは鳥ではない」として、往時の始祖鳥、あるいは、もっと遡って、ガオーと猛々しく吠えるワニのような恐竜、ハ虫類だと主張しているようなもんだ。つまり、「進化」とか、進化論ということを知らないんだ、こういう連中は。陳腐、陳腐化ということを知らぬ。「元々は恐竜だ」と言い張る。百歩譲っても、「元来、始祖鳥なのだ」と力む。

 およそ、芸事の世界において、例えば、作品の解釈とか論評という次元において、視野狭窄的に、陳腐な既成概念、既存説にしがみつくしか能がないとしたら、それだけで、その人物も記事も三流だ。
 もっと、柔軟にいかなきゃな。フレキシブルにいかなきゃな、おもしろくないやな。

     (この記事は、2011.2.13記事の「続き/補完」記事なので、適宜「元記事」を参照しながら読まれたい)

◆◆◆◆◆◆◆◆
 さて、本格的に始めるが、論述をどう組み立てようか。まあ、行ってみよう。
一、無関係だとする理由
1.元来、この曲は"Babes in Arms"(*1)というミュージカルで使用する曲として作られた作品である(ブロードウェイのシュバート/シューベルト劇場、1937.4.14初演。New York, Broadway, Shubert Theatre)。その劇のなかで、Billie Smith(ビリー・スミス)という若い娘が(配役は、Mitzi Green/ミッツィ・グリーン)(画像)、Valentine "Val" LaMar(バレンタイン・ラマー、バル・ラマー)という若者(配役は、Ray Heatherton)(画像)に向かって(必ずしも対面j状態でという意味ではない)、からかい気味にこの歌を唄う。すなわち、下に掲げた歌詞をみてもらえば分かるが、顔つきや体格をからかったうえで、「でも、そのままでいて、やっぱり好き」と唄うのである。(以上、Wikipedia記事から)

 では、どんな状況で唄ったのか。それが重要である(歌詞を解釈するうえでの要諦である)。
 あちこち探し回ったあげくに、やっと、次の点だけ判明した。こうだ。
  <<<ビリーはバルに惚れているのだが、そのバルが別の女性を抱擁しようとしている。「まずい」。ビリーは、そうさせまいと、邪魔をした。その後で、これを唄った>>>
The song was first sung by Mitzi Green who plays a character named Billie Smith. After Billie interrupts Val hugging another woman, she sings the song to Valentine "Val" LaMar, played by Ray Heatherton, who she is  smitten with.
(ココから)

*1.(脚注だが、同じ文字サイズで記す)
 
どう訳すべきか、劇の内容が分からないとなんともいえないが、おそらく、「戦闘態勢に入った子供たち」、「戦う若者劇団」といった趣意の題だろう("arms"は、「腕」ではなく「武器」の意味。ヘミングウェイの小説、"Farewell to Arms"=「武器よさらば」を想定せよ)。
Photo_3  
劇は音楽コメディではあるが、時局問題などを扱うことによって胡椒を効かせている。60年後までも共鳴し続けるような社会/政治的問題を扱っている。例えば、裕福な南部人の息子が、この独自の劇団を立ちあげようとしているティーンエイジャーたちに資金提供を申し出るのだが、その条件として、集団にいる二人の黒人を劇に出演させないという制約を課したので、しっぺ返しの罰を喰らう。あるいは、社会主義というものは欺瞞に満ちたものであると暗示する。
 こういうことが書いてあることから(ココ)、そう判断した。

 なお、事のついでに述べておくと、2年後の1939年に制作された同名のMGM映画(邦題は「青春一座」というらしい)――それは一世を風靡した一連の「Mickey Rooney/Judy Garland(ミッキィ・ルー二ィ/ジュディ・ガーランド)ミュージカル・コメディ」映画のひとつとして制作されたものだが――、この思春期層向け映画は、1937年ブロードウェイ劇原作台本とは、ほとんど別物である(その粗筋はココに出ている)。題名と、ティーンエイジャーたちが劇団作りをするという基本的なアイディアと、原作で使用された音楽のうちの2曲(Babes in ArmsWhere or When)を残しているだけである(ココから)。 
 だから、"My Funny Valentine"の歌詞解釈には、なんの役にもたたない
 この映画のなかで、ジュディガーランドが唄っているなんて書いている日本語ブログ記もいくつかあるようだが、「ほんとかよ」だね。観ていないので(DVDがあるようだ)確かなことはいえないが、おそらく嘘だね。自分で実際に確認もしないで書いている疑いが濃い。だれかがひとつ「嘘」を書くと、受け売りで次々とそれが流れ出す。
    (上の画像はlorenzhartorg.comの関係ページ。なぜ1937でなく1936としているのか。台本は初演の1年前に完成していたということだろうか)
                  ――脚注(1)終わり――

2.このようなことで
、"Valentine"(バレンタイン)とは、あの聖者のことではなく、劇中の若者の名前である。
 ただし、歌詞の作者であるLorenz Hart(ロレンツ・ハート)が、――あるいは、この劇の台本はHartと作曲者であるRichard Rodgers(リチャード・ロジャース)の共作だが(優れた作品をいっぱい作った名コンビ)(*2)、この両者が――、この登場人物(主人公)の名前を"Valentine"としたのは、決して偶然なんかじゃない意識してのものだ。そうみなければならない。歌詞の最後の部分をみればわかる。
   Stay little Valentine, stay!
   Each day is Valentine's Day.

   バレンタイン、そのままでいいわ、そのままでいて。
   毎日、あなたのことを想ってるのよ。(a)
       (毎日が、「バレンタインズ・デイ」みたいなものだもの)(b)

  
 
イエス、然り。 (a)と(b)の意味を係けるために、つまり両方の意味を持たせるためにValentineという名前にしたのである。
   
 
念のためにいっておくと、バレンタインズ・デイというのは、カードやそれに添えた贈り物などを送って、夫婦または恋人どうしが、場合によっては家族どうし が変わらぬ愛を確かめ合う日だとされているので、「毎日がバレンタインズ・デイのようなものだ」というのは、結局は、(a)と同じことをいっていることになる。

 さらにいえば、そのこととの連動、歌詞全体が、このバル、バレンタインという若者の容姿を「聖バレンタイン」という聖職者のそれでイメージさせるようにできているのである。だから、逆の方向からいうと、若者の配役は、聖バレンタインに似た者でなければならない。そこで、この聖職者の容姿がどういうものとして作者(HartとRodgers、特に歌詞を作ったHart)に映っていたかというと、つまり、ローマ時代にいたという聖バレンタイン/聖ウァレンティヌスのことを二人がどういう容姿の人物として脳裏に描いていたかというと、それは、残されている絵画や彫刻で想像するしかないのだが、こういうものであったろう。

Photo Ray Heathertonの容貌と上の画像を見比べてみていただきたい。似ているところはないか

Photo

*2."Rodgers & Hart"として知られる。Hartは、1943.11月に死亡するが、その直前に意見の対立からコンビは解消した。その後、Richard RodgersはOscar Hammerstein(オスカー・ハマースタイン)とコンビを組んだ。このコンビも多くの名作を生み出し、"Rodgers & Hammerstein"作品として知られる。

3.さて、長くなったが、ということで、「無関係だ」とするのである。
 だから、聖バレンタインないしバレンタインズ・デイとは「関係ない」と説くこと自体は、一応、誤りとはいえない。「この曲で、"Valentine"というのは、主人公の名前のことだ」といえるからだ。ただ、厳密にいえば、上にみるように関係なくはないのだから、「誤り」とみなければならない。

 まあ、「関係ない」とするのはいいんだが、連中は、「おまいら、ミーハーが、バレンタインデイの歌みたいに騒ぎ立てているが、関係ないんだよ、チョコレートの歌なんかじゃないんだ」、というような言い方を、往々にしてする。得意がって、偉そうに、知ったかぶりで。
 陳腐だね。

4.この場合の解釈に基づく邦訳を、下に掲げておく(私訳)。

二、突然変異による進化、新種
1.ある時期から、――それは、いつ頃からか断言はできないが、少なくとも、Chet Baker(チェット・ベイカー)が唄った1952年以降は、この曲は「新種」になった。言い換えれば、「バルに向かってビリーが唄った歌」とは遺伝子的に断絶した、まったく別の歌として生まれ変わったのである。
 それは、コメディ/喜劇において、想いを寄せる男に対して、男の容姿をからかったりしながら面前で(あるいは陰で)唄いかける陽気な恋唄なんかでは、もはやなく、「どちらかといえば内気な女」が、しっとりと、可憐な恋心を、想う男に対して、その男は現実の存在のみならず架空の存在でもありうるのだが、唄い上げる歌に変容しているのである。
(「内気な」とか「可憐な」というのは、当ブログ主の希望からそう書いただけで、どうしてもそうでなきゃいかんということではない。しかし、「しっとりと」は必須要件としたい)

 その状況としては、次のようなものが考えられる。
(イ)恋人/夫から来たバレンタイ・カード、そういう相手の写真、バレンタインズ・デイの贈り物としてのミニチュア聖バレンタイン像、またはそれを模した人形、聖バレンタインの絵――こういったものを前にして切々と恋心を吐露している。
(ロ)上記相手が、実際にカードや贈り物をもらった実在人物ではあるが、片想いの相手である場合。
(ハ)相手が、架空の、空想上の人物である場合、つまり、肖像や人形や絵を相手にしている場合――ちょうど、「ガラスの動物園」におけるローラ(Laura Wingfield)が一角獣などのミニチュアに語りかけながら空想にふける場合のように(テネシーウイリアムズ/Tennessee Williams戯曲、「ガラスの動物園」/The Glass Menagerie、1944、シカゴで初演)。

2.そう考えなければならない理由
  1937年のブロードウェイ劇は約300回続くヒットとなったが、その後は事実上、自然消滅的姿を消した。先に触れたように、同じ題名を使った別物語みたいなものが二年後の1939年に映画化されたが(Mickey Rooney、Judy Garlandの、いわゆる"Micky & Judy"シリーズの第3作、邦題は「青春一座」というらしい) 、僅か2曲を残しただけで("Babes in Arms" と"Where or When"。ただし、"The Lady Is a Tramp"が夕食時のバックグラウンド音楽として流されているという)、My Funny Valentineは使用されなかった。
 つまり、「ビリーのからかい気味恋心吐露」という意味での"My Funny Valentine"は、1937年ブロードウェイ上演が終わった時点で、いわば、死んだのである。少なくとも、仮死状態に陥って、20年ほど眠っていたのである(*3)。

*3.(脚注だが、同じ文字サイズで記す)
  
この劇を維持していこうという動きは、その当時には生じなかった。というのは、当時は、ある作品がヒットしようが失敗作に終わろうが、次々と、次の作品に移っていったからである。この劇を挟んだ前後3年、つまり6年(1934-1940)のあいだに、ロジャーズとハートは9本のブロードウェイ・ミュージカルを書き、映画音楽を4曲書いているという。過去を振り返っている暇などなかったのである。だから、ほとんどの人はブロードウェイ原作のことは知らず、"Babes in Arms"といえば、1939年のMickey/Judy映画の内容だと思い込んでいる)(ココから)。(なお、この映画自体も、ルーズベルト大統領夫妻[フランクリン/エレノア]のもの真似/茶化しが入った部分を削ったり、再度戻したりしたという変遷があるらしい)。

 このようなことで、1937年オリジナル劇の台本は紛失してしまい、劇復活の試みが散見されはしたが、結実はせず、劇は事実上消滅した。しかし、20年余を経た1959年になって、「オッペンハイマー版」という復活版が現れる。1937年劇で作曲を担当したRichard Rodgersの指揮の下に、――この人物は作曲だけでなく、作詞家のLorenz Hartと共同で劇台本を執筆したのであるが――、そのRodgersの指揮の下に、演劇評論家のGeorge Oppenheimer(ジョージ・オッペンハイマー)が制作した台本である。そこで、劇場ミュージカルの"Babes in Arms"としては、それ以降、この版が踏襲され続けている。
 ただし、音楽は忠実に踏襲しているものの、プロット(筋、物語)は原作からかなり離れたものになっており、登場人物名も微妙に変わっている(たとえば、Val RaMarはVal Whiteに、Billie SmithはSusie Wardに変わっている)。いうならば、1939年映画と同じく、1937年オリジナル劇とは別物」である。
 観劇人口層にとって、上記の映画とは別に、劇場ミュージカルとしての"Babes in Arms"といえば、このオッペンハイマー版の内容だと思い込んでいる
                                           ------脚注3終わり------
 

 そのような経過のなかで、曲/歌だけは、その秀逸さのゆえに圧倒的に支持され、チェット・ベイカー、マイルス(Miles Davis)、エラ(Ella Fitzgerald)、シナトラ(Frank Sinatra)などをはじめ、数百、数千人の奏者/歌手たちの演奏が続いた。つまり、当初のコンセプトが消え去った後も、曲の演奏自体は、脈々と、延々と続いたのである。そして、その演奏はどういうものかというと、ここに挙げた4者を(その代表作品を)聴くだけで明らかであって、上記イ、ロ、ハに添ったものとなっている。

3.チェットの唄を聴いて、マイルスの演奏を聴いて、「ティーンの女の子が(しかも、それは、tramp/放浪者/ふしだら女/売女というイメージで描写されているタイプなのだが)、自分の惚れている若者が別の女の子を抱擁しようとするのを邪魔立てした後で、相手の容姿をからかいながら恋を告白している歌だな」と思う者がいるだろうか。
 まあ、世の中には変わり者がいるから、そう感じる人もいるかもしれない。しかし、当ブログ主は、そうは考えない。この女性は、そういうタイプの、いわば「半ヤンキー」、「半茶髪」みたいなティーンであってはいけない。(ヤンキー族や茶髪族をおとしめるつもりは毛頭ない。ただ、ここでは、それであってはダメだといっているのである。念のために断っておこう)
 当ブログ主としては、先に述べた「『ガラスの動物園』でローラがユニコーン(一角獣)やなんかのガラス製ミニチュア動物に語りかけている」みたいな設定を頭に浮かべながら聴いていたいね(*4)。

 Chet Baker/Gerry Mulliganの演奏が1952年だというから、下に掲げているTubeはその7年前のものということになるが、この時点でさえ、もう、ハ虫類恐竜から、「始祖鳥」に変容というか、進化というか、そうなっている。そういえる。

*4.この点で、残念なことがある。それは、舞台演劇、映画化/テレビ劇作品のどれを見ても、ローラ(Laura)役を演じている役者が、当ブログ主のイメージするローラのイメージと合致しないということである。もっと「可憐」じゃなきゃいけないんだよ。どうも、欧米人の感覚というのは理解できないんだよな。何を考えてるんだか、まったく。

Photo
                      ローラ(Laura Wingfield)と動物園(grass menagerie)

■「始祖鳥」版My Funny Valentine
Hal Mcintyre楽団、歌手、Ruth Gaylor、1945
ヒットチャート第16位まで上がったが、1週間で消えたという。



Hal McIntyre (アルト・サックス、1914.11.29-1959.5.5)は、1937から1941までグレンミラー楽団に所属しており、1941年半ばに自分のオーケストラを持った。大戦中は軍体慰問で活躍した。45歳で亡くなった。
  投稿者によるデータから。

三、結論
 ということで、次のように唱えたい。
<<<My Funny Valentineは、バレンタインズ・デイに大いに関係がある歌である>>>
 だから、バレンタインズ・デイ当日、あるいは到来が間近な時期に、つまり季節に、その日を記念してというか、祝うというか、パーティ(集会)を祝う、「盛り上がる」というような意味で唄う/演奏することは、おかしくもなんともない、むしろ、好ましいことだ。
 心をこめて唄おうではないか、吹こうではないか、弾こうではないか。聴こうではないか。
 (バレンタインズ・デイ以外の日に唄うことも、もちろんおかしくはない)
 
 「バレンタインデイとは関係ないんだよ」なんて、知ったかぶりをする輩には、「フン」と無視してやればよい。できれば、皮肉な笑みなんか浮かべて。
 「え、なんで、なんで」と、訝しがって訊いてきたら、いってやろう。
――あんた、「マイファニィ・バレンタイン進化論」って知らないの――

◆◆◆◆◆◆◆◆

       My Funny Valentine
                                    (w)Lorenz Hart (m)Richard Rodgers, 1937
[Verse]
Behold the way our fine feathered friend
His virtue doth parade.
Thou knowest not, my dim-witted friend,
The picture thou hast made.
Thy vacant brow, and thy tousled hair
Conceal thy good intent.
Thou noble, upright, truthful, sincere
And slightly dopey gent,
You're


[Chorus]
My funny Valentine,
Sweet comic Valentine,
You make me smile with my heart.
Your looks are laughable, un-photographable,
Yet, you're my favorite work of art.

Is your figure less than Greek;
Is your mouth a little weak,
When you open it to speak, are you smart?


But, don't change a hair for me,
Not if you care for me,
Stay little Valentine, stay!
Each day is Valentine's Day.


●1937年ブロードウェイ劇の状況設定の下での歌詞――いわば、原形/化石歌詞
                      マイ・ファニー・バレンタイン
[バース]
なんなの、帽子に羽飾り、上品に気取ったりして。
魅力を誇示してるつもりなんだろうけど、
バカね、自分がどんな姿か、分かってるの。
間の抜けたまつ毛、もじゃもじゃ髪、
それじゃ、気取ってみても、台無しじゃない。
ねえ、この、高貴で、高潔で、正直で、誠実な、
でも、ちょっと愚かな紳士さん。

[コーラス]
変なやつ、バレンタイン。
可愛いくて、おかしなバレンタイン。
見るたびに笑っちゃうわ、ほんとに、変なやつ。
吹き出さずにいられない顔、写真になんて、とっても撮れないわ。
でも、いいの、許してあげる。君は、お気に入りの芸術作品だもん。

体格は、ギリシャ彫刻のようにはいかないわね。
口許、ちょっと緩いんじゃない。
その口、利口なことがしゃべれるの。

だけど、髪型変えたりなんかしちゃダメよ。
私が好きなのなら、ね。
そのままでいいの、バレンタイン、そして、私のそばにずっといて。
だって、毎日、「バレンタインズ・デイ」の気分でいられるんだもの。

********************************

突然変異進化による新種としての歌詞(2011.2.13記事で掲げたもの)     
[バース]
羽飾りで上品に気取ったこの姿は、どう。
徳を、これでもかって、誇示してる。
おバカさんね、どんな姿に映っているのか分かってるの。
間の抜けたまつ毛、もじゃもじゃ髪、
それで、たくらみを隠したつもりなの。
ねえ、この、高貴で、高潔で、正直で、誠実な、
でも、ちょっと物憂げなところのある紳士さん。

[コーラス]
おかしなバレンタインちゃん。
お茶目で可愛い、バレンタインさん。
見るたびに笑っちゃうわね、ほんとに、おかしい。
吹き出さずにいられない顔、写真になんて、とっても撮れないわ。
でも、いいの、君は、とってもお気に入りの芸術作品だもの。

体格は、ギリシャ彫刻のようにはいかないわね。
口許が、ちょっと緩いように思えるけど。
それを開いてしゃべるとき、利口なことがいえるの。

だけど、いいの、髪型を変えようなんて、しないでね、
私のこと、好いてくれているのなら。
バレンタインちゃん、そのままでいて、そして、いつまでもいてね、私のそばに。
毎日が、「バレンタインズ・デイ」みたいなものだもの。
***********************************


◆◆◆◆◆◆◆◆
 なにか一つ「新種」Tubeを掲げておかなきゃなるまいが、エラがバースから唄っているのでそれにしよう。
■新種My Funny Valentine ― エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald) 


[更新]
2012.2.22―先に載せていたTubeが機能しなくなっていたので入れ替えた。
  2013.3.13.―同じく、再び、機能しなくなっていたので差し替えた

■ Linda Ronstadt My Funny Valentine
  (リンダ・ロンシュタット)


  コミック味をほんの少し抑えて(まったく無用なわけではない)唄ってくれれば、当ブログ主の解釈イメージにぴったしだったのだが、まあ、これを掲げておく。リンダ・ロンシュタット、こういう人だそうだ(画像)。


   (2013.2.14、EllaのTubeが機能しなくなっていたので、差し替えた)

■Babes in Arms, 1939 MGM映画(邦題、「青春一座」)
 資料を漁っていたらこれがあったから掲げておく。ミッキィ・ルーニィ(Mickey Rooney)とジュディ・ガーランド(Judy Garland)による映画だ。
 
再度注意しておくが、この映画は、1937年ブロードウェイ劇としての"Babes in Arms"とは「別物」である。したがって、My Funny Valentineの解釈にはまったく役立たない、というか、無関係である。
 この曲の歌詞の解釈
において、この映画の物語を云々することは、してはならない

               ――――Tube削除――――

  [2012.2.22] 掲げていたtrailer(予告編)が機能しなくなっていたので、埋め込みコードを削除した

Photo_2                   1939映画"Babes in Arms"(青春一座)

[更新]
 2011.2.21、17:00―脚注4を加えるなど、少し加筆した。


◆◆◆◆◆◆◆◆
[更新]  2011.3.3、12:00 ― 以下追加。

  突然変異説を唱えたが、下の写真のコンセプト、つまり「化石」(1937年劇)のそれだが、それに基づいて唄っても、充分に感動を呼ぶ歌唱になりうる。この二人を17、8歳に成長させた姿が1937年劇のビリーとバルだ。近年(1998年以降)、1937年劇が復活しているというが(ここでは、詳しくは触れない)、その舞台劇では、そういう「感情の込め方」によることになろう。
    (画像は、このブログから)

[更新]
 2011.4.22、10:00―「ガラスの動物園」と「青春一座」の画像を追加した。

          2012.2.22、9:20―1939MGM映画"Babes in Arms"の予告編(trailer)Tubeを削除した。

Photo_2
[2013.2.13追記]
My Funny Valentine過去記事一覧
 1.My Funny Valentine論、その1-訳詞 (2011.2.13)
 2..My Funny Valentine論、その2-訳詞(2011.2.18)
 3..My Funny Valentine論、その3-劇、Babes in Arms(2011.2.23)
 4..My Funny Valentine論、その4-劇、Babes in Arms(2011.2.26)
 5..My Funny Valentine論、その5-劇、Babes in Arms(2011.2.27)
 6.My Funny Valentine論、その6-総括編(2011.3.3)

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