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2012年12月

2012年12月28日 (金)

James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-3)。

2012.12.28
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  前回記事は、仮釈放でアンゴラ刑務所を出て、Baton Rouge(バトンルージュ)から汽車に乗り、ニューオリンズで乗り換え、ミシシッピ川を渡りBayou Lafourshe(バイユー・ラフォーシェ)(画像)を越え、Schriever(シュリーバー)と推測される故郷の駅に到着したところで終えた。
                                        バトンルージュからニューオリンズ
                        Photo_5     Kansas City Southern Railway(KCS、カンサスシティ・サザン鉄道)Southern Belle (KCS train)(Wikipedia)     

                        
ニューオリンズで乗り換えた。   
Photo_3        Union Passenger Terminal(ユニオン・パッセンジャターミナル)、ニューオリンズの、汽車バス総合駅とAmtrak列車(ココから。 

           そして、ミシシッピ川を
越えBayou Lafourshe(バイユー・ラフォーシェ)を越えた。 Photo_3                          (Bayou Lafourshe)
       上段左端画像、黄色がラフォーシェ・バイユーの線を太く示したもの。右側の青はミシシッピ川。画像はココから。元来はミシシッピ川の支流であったが、
    その後Donaldsonvilleの地点で埋められ、
現在では流れのない川になっている。川の西側をルイジアナ・ハイウェイ1が、東側をルイジアナ・ハイウェイ308が
    走っている。つまり、川はこの2本の道路に挟まれて
延びている。下の画像を見よ。

Photo_5
  ラフォーシェ・バイユー(川幅があまり広くないように見えるが、場所によっては沼みたいなところもあるのであろう)

 汽車が速度を落とし、踏切の「X」標識とLOUISIANA LAW STOP警告(「停止することが州法で義務付けられている踏切である旨の警告表示)をゆっくりと通り過ぎて、やがて停止し、乗客を迎えに来ているプラットホームの人々の目がこちらの顔を注視し、移動し、目当ての相手を見つけてぱっと輝く状況に移った。
(この描写からして、降りた駅はSchriever/シュリーバーか。ルイジアナ州内での停車駅は、New Orleans→①Schriever→②New Iberia/ニューイベリア→③Lafaette/ラファイエット→Lake Charles/レイク・チャールスであり、次はテキサス州のBeaumont/ボーモントである。バークの小説にはNew Iberiaを舞台にしたものが多いが、そこではないような気がする。そう考える理由は、追々記事の後続編で分かるであろう)

 
Photo                ニューオリンズで乗り換え、ミシシッピ川を越え、バイユー・ラフォーシェを越えた。
左側黒い楕円で囲ったのが
Schriever(シュリーバー)の町であり、その楕円の右肩に308とあるのがラフォーシェ・バイユーの水路である(308ハイウェイに沿っている)。 


Photo_2    ルイジアナ州内
Amtrak Sunset Limited列車停車駅。最初の停車駅の印にティボドー( Thibodoux)という名が付されているようにみえるが、停車する町はその少し南のSchriever/シュリーバーである(すぐ上の画像を見よ)。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 今日は、その道中について、少し記述を膨らませる。
■バトンルージュを発った。
 窓の外を、羽目板造りの雑貨店、タバーン(居酒屋)、樫の木などの風景が過ぎ去っていく。ハイウェイの向こうには沼地に生える灰色の木々が見え始めた。麦わら帽の黒人たちが、キャナル(運河)沿いにケーン・フィッシング(1)をやっている。白いサギが飛び立って、羽を陽の光で金色に染め、枯れた糸杉(cypress)の上を飛んでいった。売り子(butcher boy)が汽車の揺れに合わせて身体の均衡をとりながら、雑誌や新聞や飲み物を籠に詰め込んでやってきたので、Times-Picayune()(2)を買って、食堂車(談話室車両、club car)に向かった。

*1.原文は、"Negroes in flop straw hats cane-fished along the canal......."
  どういう釣り/漁なのか。

(1)"cane fish trap"というものがある。魚を捕るための罠(わな)、下の画像にみるように、葦(あし)や竹のような素材でで作った籠である。れを沈めて、入り込んだ魚を捕る。
(2)釣りざおによる釣り。竹や葦をロッド(竿)に使うからそう呼ぶのか。
  "river cane"という植物があるようだ。
頑丈な葦のような、竹に近いもののようだ。「竹」(bamboo)がこの地域に存在するかどうかは知らない。 
 おそらく、この(2)の方であろう。
                                            Photo_6                     (cane fish trap。(画像はココから)    
*2Times-Picayune(タイムズ・ピカユーン、タイムズ・ピキューン)
 ニューオリンズで発行されて いる地元の日刊新聞(現在は3日/週)。1837年創刊。
ジャーナリズムについての優れた仕事に対するエドガー・アラン・ポー賞 の基金を拠出していることなので知られているが(「注」、作家のポーとは別人。この新聞の著名な記者であった人物の名を冠した賞)、2012年9月末を以って、印刷版では日刊を廃止し週3回となっている。  
 おそらく経営難からのことであろうが、人々が救済に立ちあがっているのに、経営陣/株式所有一族は、「救ってもらいたくない」とし、一種の「戦争」になっているようだ。 
Photo  

   Times Picayuneを救うための戦い
  救ってもらいたくなんかないとする新聞を救いたいとしてニューオリンズの人々が団結――その戦いぶりをKevin Allman記者が報じる。

 Gambitというネット紙の2012年9月18日号は、このような見出しで事を報じている。


 Jaxビールを飲み、新聞の一面に目を通す。視線を車窓に写すと、新しく生えてきたサトウキビ畑と、黒Angus牛(アンガス牛)の群れが過ぎ去った。
 しかし、ニューオリンズに近ずくに連れ、田舎風景が変わりはじめた。この2年でものすごい変わりようだ(物語の時代は1962年)。もはやデルタ地域の田舎ではなくなっている。沼地が広い面積にわたって埋め立てられ、造成宅地、住宅、ショッピングセンターなど、開発の波が押し寄せていた。ピカーン栽培園(Pecan)や乳業牧場が、Food City(3)、Winn-Dixie、Cash Discountといったスーパーマーケット・チェーン店などに変わっている。

Jax_2 Photo_2Photo_3 Davis_food_city_2Winndixie    上から、Jaxビール、黒Angus牛(食肉用)、ピカーン(胡桃のような実の成る木)、Food City、Winn-Dixie

*3."Food City"とはおそらく郊外型大規模小売店舗であろうと見当をつけてネットで調査したら、それらしきものが2店あった。ひとつは、K-VA-T Food Cityというもので、バージニア州Abingdonを本拠に、同州、ケンタッキー、テネシー州などで大規模小売店舗チェーンを展開している。1955年から現在の名称で営業展開しており、現存する。
 他は、Davis Food Cityというものであり、1955年創設以来テキサス州ヒューストンで同じく大規模小売チェーンを展開していたとされるが、2007年に閉鎖している。
 本では、単に"Food City"としているだけで、その正体がつかめないが、この両者のうちで当時(
物語の時代は1962年)ルイジアナ州に存在した可能性があるのは、この後者、ヒューストン本拠のそれであろう。こう推測して上の画像を掲げたが、間違っているかもしれない。

Somebody had been busy in the last two years; it was no longer a rural sectin of the delta. Land-development signs stood along the highway, replacing the old ads for patent medicine and Purina feed, and green areas of marsh had been bulldozed out and covered with land fill for subdivision tracks. Mobile-home offices strung with colored flags sat on cinder blocks in the mud, with acres of waste in the background that were already marked into housing plots with surveyors' stakes. The shopping-center boys had been hard at work, too. Pecan orchard and dairy barns had become Food City, Winn-Dixie, and Cash Discount.
 
 ("The Lost Get-Back Boogie" by James Lee Burke、Hyperion社Mass market版、 ISBN: 0-7868-8934-9、20ページ)

■ニューオリンズで汽車を乗り換える
 列車は古い型のもので、座席は埃っぽく、黄ばんだ二重ガラス窓の外側ガラスには、いたずら空気銃の弾によるひびが入っている。汽車がミシシッピ川を渡る。窓から、遙か下の広く広がる水面を見下ろすと頭がくらくらする。
  
Huey3                                   (画像はココから)
Photo_2                           (画像はGoogle地図航空写真の拡大) 

  この橋だ。Huey P. Long Bridge(ヒューイ P. ロング橋)という。鉄道線路2軌道と、US 90ハイウェイの道路が線路の両脇に2車線ずつ走っている。 全長は道路部分が2.5キロ、鉄道部分は7キロ。水面からの高さ47メートル。1935年開通。橋の名前は、有名かつ悪い意味でもを馳せた知事の名前に由来している。その知事は、同年の9月に暗殺されたという(Wikipedia)

Photo_4                                      ユニオン・パッセンジャー駅とヒューイ鉄橋の位置関係。
 赤のA印が駅で左側の丸で囲ってあるのが鉄橋。鉄橋に至る途中経路は、行ったことがないので分からないが、おそらく、川の湾曲に沿った点線であろう(あるいは、棒直線で示しているようなルートか、一部地下に潜るなどして?)。

 駅を出てから川を渡るまでの描写を掲げておこう。
  I had to change trains in New Orleans for the rest of the trip home. The train was an old one, with dusty seats and yellowed windows cracked on the outside of the double glass with bb holes.
  We crossed the Mississippi and my head reeled when I looked down from the window at the wide expanse of water far below.
The tugboats and Standard Oil barges and the brown scratches of wake off their hulls looked as miniature and flat as painted pieces on a map.
  The train clicked slowly across the bridge and the long stretches of elevated track above the levee and mud flats and willow trees, then began to gain speed and bend through the bayou country and the achingly beautiful dark green of the cypress and oak trees, covered with moss and bursting at the roots with mushrooms and cowslips.    


 家に帰るには、ニューオリンズで汽車を乗り換えなければならなかった。列車は古い型のもので、座席は埃っぽく、黄ばんだ二重ガラス窓の外側ガラスには、いたずら空気銃の弾によるひびが入っている。汽車がミシシッピ川を渡る。窓から、遙か下の広く広がる水面を見下ろすと頭がくらくらする。
 タグボートとスタンダード・オイル社のタンカーがゆっくりと進んでおり、船体がかきたてる茶色の波が、地図に描かれた図のように小さく平たく見えた。汽車はゆっくりと、橋を越えていき、さらに、土手と泥湿地と柳の木々の上空に上昇傾斜で長く伸びている線路を進み、そして、昇りつめたか、今度は突然下降加速し始め、バイユー田舎を、そこらじゅう澱み(
よどみ)小川だらけの湿地帯荒野を、糸杉と樫の木が醸し出す深い緑のなかを、心苦しいほど美しい風景のなかを、しゃがみながら突きぬけていった。木々の幹は苔に覆われ、根元にはきのこが充満し、リュウキンカ(立金花、北米産サクラソウの一種)がみっしりと茂っている。(上掲書20ページ)

[空気銃の弾によるひび]
  (.....yellowed windows cracked on the outside of the double glass with bb holes.)
     "bb hole"とは、bb gun(一種の空気銃)の弾による穴のことである。

Photo_2                                      (リュウキンカ)

[参考資料]
Huey P. Long Bridge ― 同じ名の橋が二つあるので要注意
バトンルージュにあるHuey P. Long Bridge
    同じくミシシッピ川に架かっている同名の橋が、この地域にもう一本ある。こちらは、川の両側、East Baton Rouge Parish(東バトンルージュ・パリッシュ)とWest Baton Rouge Parish(西バトンルージュ・パリッシュ)を結ぶもので、バトンルージュの人々は "the old bridge"(古橋)と呼ぶ(先にみた、本題のもう一本の方は、Jefferson Parish/ジェファーソン・パリッシュにある)。
  橋の名は、先にも触れたように、当時の、橋を建設した州知事の名に由来する。
  こちらの橋は、カンサスシティ・サザン鉄道(Kansas City Southern)の線路1軌道と、US 190道路 (Airline Highway、「空港ハイウェイ」と呼ばれる)4車線を走らせている。1940年8月開設で、全長1.8キロ、水面からの高さ34メートル、老朽化とメンテナンスの貧しさが 問題になっているとされる。
 レーン(車線)幅は狭く、未経験ドライバーには、非常に危険な橋だという。特に、激変天候のときには路面が氷結するので危険だと(Wikipedia)。
 
 
上に"parish"(パリッシュ)とは、他の州で"county"(カウンンティ、郡)とよぶ行政区域割りに相当するものである。ルイジアナ州では、そのフランス色統治歴史に由来するのであろうが、こう呼ぶ(元来は、「小教区」、「教区」といった教会の行政区域を指すことば)。
 なお、ここでの話には無関係だが、この州だけは、アメリカ合衆国で唯一、民法体系として、コモンロー(Common Law)ではなく、シビルロー(Civil Law、いわゆる「大陸法系民法」、ナポレオン法典が著名)を採用している。

Photo_5                                  (カンサスシティ・サザン鉄道(サザンベル列車)が走るHouey P. Long Bridge)
Photo_6                                       (上の橋の拡大画像)

Photo_8
丸印がこの橋の所在地。左側は、西北部にある町Alexandria(アレクサンドリア)、すなわちバトンルージュの一つ手前の駅と、右側斜め下降線は終着駅ニューオリンズとつながっている。


Huey Pierce Long(ヒューイ・ピアース・ロング)知事
 1893.8.30-1935.9.10の生涯。ルイジアナ州第40代知事(1928-1932)。その後、1932-1935まで、民主党の上院議員。過激なポピュリスト政策を説き、実施したことで知られる。フランクリン・ルーズベルトを支持したが、後にたもとを分かち、いずれ自ら立候補することも考えていたが暗殺された。
 1934年、大恐慌の期間中、貧困層を救済し、ホームレスをなくすために、会社と個人に純資産ベースの税金を課して富の再分配をはかる制度を創出した。景気対策として、連邦政府が、公共事業、学校、大学に資金を投入し、老齢年金にも金を投入すべきだと説いた。連邦準備金政策を猛烈に批判した。カリスマ的性格、過激な政索、行政、行動をとる志向性などの故に、政治対抗派から、州政府をほとんど独裁者として牛耳っていると非難された。極左ポピュリストとして、1936年の選挙においてルーズベルト再選出阻止に動こうと画策したり、1940年には自ら出馬しようと画策していたが、1935年に暗殺された。
 ルイジアナ州のハイウェイ、病院、教育機関を充実させた。その政治につき、賛否両論があり、独裁者だ、デマゴーグだ、ポピュリストだ、いや違う、という議論がある。(Wikipedia)

◆◆◆◆◆◆◆◆

  ―― 「今日は、その道中について、少し記述を膨らませる」――
 こういったのだが、内容を大して盛り込みもしないのに、ここまでで記事の図体がかなり大きくなってしまった。 画像をべたべた貼ったせいだが、まあ、ここで終えて、続きは次稿に廻すことにする。

――次稿に続く――

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2012年12月27日 (木)

James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-2)。

2012.12.27
                       [関連記事一覧表](相互リンク機能を付しているので適宜参照されたい)>>> 
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 さて、本論に入って、物語は主人公が刑務所を仮出所する場面から始まる。
 悪名高いアンゴラ刑務所(Angola Prison)である。正式には、The Louisiana State Penitentiary(ルイジアナ州刑務所)という。

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 前稿((2012.12.24)はこう終わった。その続きである。
                                              (なお、物語の時代は1962年である)

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 主人公の名、「オレ」の名前は、Iry Paret(アイリー・パレット)、現在31歳。カントリー/ヒルビリー/ブルーグラスのギター弾きだ。 殺人罪(manslaughter、故殺、非謀殺)で服役した)。
 ルイジアナ州(Louisiana)のメキシコ湾岸ほぼ西端部、Lake Charles空軍基地の(現在は名称が変わっている)近く、ハイウェイ90沿いのナイトクラブで、人を刺したのだ。

 ニ週間契約で演奏をしていたのだが、休日前夜の土曜日、明日は休みということもあって、演奏休憩時間に店の裏でマリファナを吸ったりしてテンションが上がっていた午前2時、リクエスト曲対応のもつれからバンド席に殴りかかってきたあらくれ客を、リクエスト要求に直接応対したバンド歌手を殴り倒し、ドラムセットなどの楽器を壊して、なおもオレの大事なギターに襲いかかり、阻止しようとするオレにビール瓶で殴りかかってきた狼藉客を、とっさに、ポケットに入っていたイタリア製ジャックナイフで刺したのだ。

 リクエスト曲はThe Wild Side of Lifeで、オレのギターは、マーチン・フラットトップ(Martin)(画像) だ。

 ポケットにナイフがあったのがいけなかった。たまたま入っていたのが。
 まあ、たまたまかどうか、いちがいにはいえないのだが、とにかく、瞬時の成り行きでそうなってしまったのである。
 5年の懲役刑を受け、「アンゴラ」(Angola)に収容された。2年3ヶ月を務め、3年弱を残して仮出所となった。所内では、バンド演奏で大いに同僚服役囚たちを「慰めた」。
 スチールギターとピックアップが各々一つ、フラットトップ2本とアンプ。フィドルとマンドリンがマイクにくっつけて弾く。こういう構成だった。オレはフラットトップだ。
 Orange Blossom SpecialPlease Release Me Darlingといった曲がトウモロコシ畑を越えて"Camp 1"まで届いたものだ(演奏は娯楽室でやる。「キャンプ・ワン」とは、看守などの職員家族居住区のひとつであろう)。

アンゴラ刑務所(Angola Prison)
  The Louisiana State Penitentiary(LSP、ルイジアナ州刑務所:)のことで、「アンゴラ」("Angola")として知られる。"Alcatraz of the South"(南部のアルカトラス)とか、"Firm"(農場)というニックネームで呼ばれる。ルイジアナ州公安/矯正局(Louisiana Department of Public Safety & Corrections)が運営している刑務所である。
 ルイジアナ・ハイウェイ66の終点、St. Francisvilleの北西22マイル(35キロ)ミシシッピ州との州境に沿っている。監視厳重度で最高ランクに属する刑務所のうちの最大のものであり、1,800人の職員で5,000人の囚人を収容している。(Wikipedia)(画像)
      5                           アンゴラ(ルイジアナ州刑務所)正面ゲート。右は、銃座を据えた監視塔。

3_2                                   その所在地

4_2                          広大なもので、三方をミシシッピー川に囲まれ、
北側(画像上部)はミシシッピ州と接している(点線が州境)。(A)印が正面ゲート

  刑務所ゲートの外に出ると、同じ日に釈放/保釈になった者が他に4人いた。フェンスの傍にしつらえてある木のベンチに座って囚人輸送バスの到着を待っている。銃座監視塔の影が4人の身体を横切っていた。
 オレはバスを待たず、歩いた。「輸送車はすぐ来るから待てよ」という呼びかけを無視された古参看守ゲート番の、敵意と、自分の手の届かないところに手持ち財産を逃がしてしまったという無力感、自分は行きたくてもいけない世界に出て行こうとする者への嫉妬心が入り混じった冷たい視線を背に受けながら。

"The state car ought to be up in a minute, Paret," the gateman said. He was one of the old ones, left over from the thirties, and he had probably killed and bullied more men in the levee than any other hack on the farm. Now he was almost seventy, covered with the kind of obscene white fat that comes from years of drinking corn whiskey, and there wasn't a town in Louisiana or Mississippi where he could retire in safety from the convicts whom he had put on anthills or run double-time with wheelbarrows up and down the levee until they collapsed on their hands and knees.
("The Lost Get-Back Boogie" by James Lee Burke、Hyperion社Mass market版、 ISBN: 0-7868-8934-9、16ページ)
 「輸送車はすぐ来るぞ、パレット」、門番がいう。
 年寄りの門番の一人で、1930年代からいる。おそらく、殺して埋めた囚人の数は、この刑務所の看守のなかで一番の男だ。もう、ほぼ70歳になっている。トウモロコシ・ウイスキー(バーボン)を長年飲み続けてきたことから、醜い、白い脂肪が全身を覆っている。長年にわたって、恣意的な懲罰として、囚人をアリ塚(蟻塚)に埋めたり、塀の内を手押し車を押して何周も、ひざまずいてぶっ倒れるまで、走らせたりしてきたから、出獄者からの復讐が怖くて、引退生活を営もうにも、安心して暮らせる町はルイジアナとミシシッピにはどこにもない。

"I think I need to hoof this one," I said.
"It's twenty miles out to that highway, boy," And he didn't say it unkindly. The word came to him as automatically as anything else that he raised up out of thirty-five years of doing almost the same type of time that the rest of us pulled.
(上掲書同ページ)

「歩こうと思うんだ」、おれはいう。
「あほ、ハイウェイまで20マイルもあるぞ」。
 それは怒りからいったわけではなく、自動的に口に出たのだ。受刑者たちが過ごす日々とほぼ同じことをやって過ごしてきた35年間のなかで身に染みついたその他のことばと同じで、自動的に口に出るのである。

"I know that, boss. But I got to stretch it out," I didn't turn to look at him, but I knew that his slate-green eyes were staring into my back wit a mixture of resentment and impotence at seeing a piece of personal property moved across a line into a world in which he himself could not function. (上掲書同ページ)

 「わかってますよ、ボス」、「だけど、伸びをして、いろいろと払いのけたいんです」。
 振り返らずにこう返事したが、当人の灰緑色の目がこちらの背中に突き刺さっていることを知っていた。敵意と、手持ち動産の一つが境界を越えて自分の手の届かない世界に逃げてしまったという無力感が入り混じった冷たい視線が突き刺さっていることを。

 道路に沿った溝の澱んだ水はスイレンの葉で覆われており、新しく開き始めた花々の上を、トンボが紫の羽で飛び交っている。
 木々の葉はホコリで覆われ、根元の赤黒い地面には、ナメクジの這った痕が光っている。

 汗ばんできたのでコートを脱ぎ、下着やシャツなど身の回り品の入った段ボール箱を縛っている麻紐に、その箱は出所時に支給された新品スーツが入っていたものだが、その麻紐に挟み込んだ。1マイルほど歩いたところで、輸送車が暑苦しく唸りながらやってきて、セカンドギアに減速して、「暑いだろう、それに、ハイウェイでもヒッチハイクは無理だぞ」と、運転席の看守がいうが、笑みを浮かべながら、手のひらを振って断った。黄色い土ぼこりをあげて車が走り去り、怒った誰かがこちらに指を突きだしているのがリヤ・ウインドウから見えた。
 段ボール箱を溝に投げ捨てた。

 さらに3マイル、居酒屋があったので、そこに入りビールを飲んだ。店主の従兄の車に便乗して、Baton Rouge(バトンルージュ)に到着した。

 そこからは、自宅のある海岸線まで車で3時間の距離だから、バスでもヒッチハイクでもよかったのだが、汽車に乗った(1)。昔から汽車旅が好きなのだ。
                           Photo_5                   Southern Belle (KCS train)(Wikipedia)

 ニューオリンズで乗り換えた(2)。       Photo_3       Union Passenger Terminal(ユニオン・パッセンジャターミナル)、ニューオリンズの、汽車バス総合駅とAmtrak列車(ココから。 

*1.バトンルージュから乗った汽車はKansas City Southern Railway(KCS、カンサスシティ・サザン鉄道)であろう。カンサス(カンザス)を始点としてニューオリンズを結ぶ路線で、それがここに停まる。Southern Belle(サザン・ベル)という愛称で呼ばれている列車である。この町に乗り入れている鉄道はそれしかないのではないか。この地に行ったことはないが、そのように思える(おそらく、この小説が設定されている時代1962年当時でも)。
 なお、Amtrakはシカゴ
とニューオリンズを結ぶ路線を走らせているが、それはバトンルージュには停まらない(末尾に掲げた画像参照)

2.ニューオリンズで乗り換えたのはSunset Limited(サンセット・リミティッド)列車であろう

 Sunset Limited
は、Amtrak(アムトラック)鉄道網の傘下路線のひとつで、フロリダ州Orlando(オーランド)からロスアンルスまで結ぶ大陸横断南部路線、ないし、その路線を走る列車の名称のことである。ただし、現在は、ニューオリンズからロスアンゼルスまでとなっており、運行も週3便しかないという。
  Amtrakとは、National Railroad Passenger Corporation(全米鉄道旅客公社)という、全国規模の公営鉄道を運営する公共企業体の名称であるが、それが運営している鉄道網ないし列車のことを指すことばとしても使用される。なお、このサンセット・りミティッド路線自体は、Union Pacific Railroad(ユニオン・パシフィック鉄道)の所有物であり(以前はSouthern Pacific Transportation Company/サザン・パシフィック鉄道が所有。この会社社が買収して、さらに8年後にユニオン社が買収した)、Amtrakは、"trackage rights"(路線共同使用権、乗入権)契約によって、つまり、賃借料金を払ってその上を走らせているのである。

 ミシシッピ川を越えて、その後Bayou Lafourshe(バイユー・ラフォーシェ)(画像)を越えた。

Photo_3        上段左端画像、黄色がラフォーシェ・バイユーの線を太く示したもの。右側青はミシシッピ川。画像はココから。元来はミシシッピ川の支流であったが、
    その後Donaldsonvilleの地点で埋められ、
現在では流れのない川になっている。ある地域では、川の西側をルイジアナ・ハイウェイ1が、東側をルイジアナ・ハイウェイ308が走っている。つまり、川はこの2本の道路に挟まれて延びている。下の画像を見よ。

Photo_5      ラフォーシェ・バイユー(川幅があまり広くないように見えるが、場所によっては沼みたいなところもあるのであろう)

 汽車が速度を落とし、踏切の「X」標識とLOUISIANA LAW STOP警告(「停止することが州法で義務付けられている踏切である旨の警告表示)をゆっくりと通り過ぎて、やがて停止し、乗客を迎えに来ているプラットホームの人々の目がこちらの顔を注視し、移動し、目当ての相手がデッキを下りてくるのを見つけてぱっと輝く状況に移った。
  (この描写からして、降りた駅はSchriever/シュリーバーか。ルイジアナ州内での停車駅は、New Orleans→①Schriever→②New Iberia/ニューイベリア→③Lafaette/ラファイエット→Lake Charles/レイク・チャールスであり、次はテキサス州のBeaumont/ボーモントである。バークの小説にはNew Iberiaを舞台にしたものが多いが、そこではないような気がする。そう考える理由は、追々記事の後続編で分かるであろう)

Photo                ニューオリンズで乗り換え、ミシシッピ川を越え、バイユー・ラフォーシェを越えた。
左側黒い楕円で囲ったのが
Schriever(シュリーバー)の町であり、その楕円の右肩に308とあるのがラフォーシェ・バイユーの水路である(上で触れたように、水路は308ハイウェイに沿っている)。

Photo_2    ルイジアナ州内
Amtrak Sunset Limited列車停車駅。最初の停車駅の印にボドー( Thibodoux)という名が付されているようにみえるが、停車する町はその少し南のSchriever/シュリーバーである(すぐ上の画像を見よ)。

Photo_7                                    
  ( Union Passenger Terminalの所在地) 

Photo_9          (Amtrakシカゴ←→ニューオリンズ路線。バトンルージュには停まらない)

David Frizzell & Shelly West - Wild Side Of Life
   ("The Wild Side of Life"が正しいようだが、そのままにしておく)

 この世界はよく知らないのだが、Hank Thompson(ハンク・トンプソン)(画像)という有名な奏者、70年にもわたっ活躍した奏者の作品だという。
 その人物が唄っているTubeも場にあるのだが、こちらに惹かれたので
、このTubeにした。

 この歌を唄ってくれって、荒くれ男客がバンド席に近寄って2回もリクエストし、さらに催促しても歌手が、マリファナでラリっていた歌手がそれを無視するようなとぼけた態度をとったので、男が怒ったのだ。

 長くなったので、この稿はここで終える。  

  ―― Part-3に続く ――

 

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2012年12月25日 (火)

♪Collette O'Hare/コレット・オヘア(Collette & Jivebeat Country)永遠の恋人❤、気になっていたモヤモヤが解消した。Call Me Darlin'とは、I'm Waiting to Hear You Call Me Darling( by Flatt & Scruggs)だったのだ。歌詞も分かった。

2012.12.25
                                                                                          ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]
 そう、"Call Me Darlin'"とは、"I'm Waiting to Hear You Call Me Darling"( by Flatt & Scruggs)という歌だったのだ。
 誰が、いつごろ作った、どんな類いの曲なのか、"Call Me Darling"、ネット検索しても分からず、モヤモヤしていたのだった。一目惚れの相手が唄っている歌だから、なおさらだ。
 当ブログの過去記事("The Lonesome Road"という歌について書いたもの)にコメントが寄せられ、そのなかで教えてくれた。 
ありがとう!!

◆◆◆◆◆◆◆◆
 そこで、その"Call Me Darlin'"について書いた過去の記事の内容を訂正しておく。

   ******************以下、その再現と、誤りの訂正*******************
2012.4.2
  このところ、Jazzスタンダード曲などの歌詞と日本語訳を連続的に書いている。その関係で、以前「仕掛り」みたいになっていた歌を思い出した。一目ぼれしたアイルランド歌手の歌だ(1)。
 その歌手と歌について書く。
 「一目惚れしたのなら、『思い出した』っていうのはおかしいじゃないか、忘れるはずはないのに」。まあ、こういう指弾があるかもしれないけどね、惚れたことに間違いはないんだ、コレ。

  歌手はCollette O'Hare(コレット・オヘア)という人で、曲はCall Me Darlin'というものだ。アイルランドのカントリー(country music)歌手だ。
 年齢や既婚/未婚は掴めない。現在30歳になるかならないかってところか。動向も、2005/6年当時(おそらくデビュー後1-2年)のことはネット記事から多少分かるのだが、現況を知ることができない。最近新たなDVDを出したことがamazon.com広告記事に出たりしているのだが、その他の動きは掴めないのである。
 とにかく、情報が圧倒的に少ない。これだけのアーティストなのに、つまり、アイルランドで超人気だというし、イギリス、アメリカその他海外遠征もかなりこなしているし、CD/DVDもその他も売れているのに、Wikipediaさえ存在しないのだ。不思議だね。

 ん? 顔、人柄? 訊くなよ。当ブログ主が一目でイチコロになった女(ひと)だ、いいに決まってるじゃん。
 ボディは? だってか、バッカヤロウ、訊くなよな、訊くなよな、そんなこと、人柄が、性格がいいってんだから、どうだっていいじゃないか、そんなこと・・・・・・ってんだが、いや、いいよそれも・・・・・・アレッ・・・・・・うるさいな、見りゃわかるだろ下のビデオ。

*1.2010.4.2記事、リンクを張ろうとしてこの過去記事を開けたら、ちょうど2年前の今日だった、びっくりしたな、もう。偶然だよ、ほんとに。テレパシーが通じ合ってるのかしらん、この人と、Collette/コレットさんと。
 (末尾にその過去記事の一部を掲げておく)

Cd                                       
     (発売CD/DVDの広告)
◆◆◆◆◆◆◆◆
 「仕掛り」みたいになっていた歌というのは、Call Me Darlin'という歌だ。いずれ機会を見て歌詞を聴き取って掲げるといいながらそのままになっている。
■Collette-Call Me Darlin'
 コール・ミー・ダーリン
(Collette O'Hare/コレット・オヘア)
   
   (下のURLをクリックするとYouTubeビデオが現れます)
http://youtu.be/QA3blpcVGeg

 

Callmedarlinyoutube_2
  情けないことに聞き取れないんだけど、できた(ような気がする)範囲で一応掲げておく。不完全なものだけど。
   (「xxxx」は聞き取れない箇所であることを表わしている。誤りがかなりありうることを断わっておく)
(なお、1931年に世に出たJazzスタンダード曲、Call Me Darling(Dorothy Dick, Bert Reisfeld, Mart Fryberg, Rolf Marbet合作)というのがあるようだが、別曲である。おそらく、Colletteが唄っているこの歌は当人ないしバンド関係者のオリジナルであろう)
 この曲は、正式には、"I'm waiting to hear you Call Me Darling" というものである。 

               Call Me Darlin' (I'm waiting to hear you)
                               by and when: ?   by Flatt & Scruggs
I'm waiting to hear you call me "darling."
I'm waiting to hear you call me "dear."
You know that I have always loved you.
Don't make me lonely
 oldie, dear. all these years.

Two years ago when I first met you
You smiled and that made you at me and looked so sweet.
You made me think you cared about me,
But you never said that you loved me.

I'm waiting to hear you call me "darling."
I'm waiting to hear you call me "dear."
You know that I have always loved you.
Don't make me lonely oldie, dear.
all these years.

      ----interlude----


Baby, I took to my condolence
Maybe I took too much for granted
To
see if think you would ever love me.
Please, oh please don't try to insult
fool me.
All you xxxx xxxx xxxx.
'Cause all you'd cause is misery

I'm waiting to hear you call me "darling."
I'm waiting to hear you call me "dear."
You know that I have always loved you.
Don't make me lonely oldie, dear.
all these years.

               好きだっていって
ダーリンって呼んでくれるのを、ずっと待ってるの、
ディアって呼んでくれるのを、ずっと待ってるの。
あなたを慕い続けていること、知ってるでしょう、
お願い、寂しい独身おばあちゃんで終わらせないで。
寂しい思いをさせないで。


二年前、初めて会ったとき、
あなたは微笑みかけてきて、すごくすてきにみえた。
わたしに関心があるって、思わせた。
だけど、好きだってことは、一度もいってくれてない。

ダーリンって呼んでくれるのを、ずっと待ってるの、
ディアって呼んでくれるのを、ずっと待ってるの。
あなたを慕い続けていること、知ってるでしょう、
お願い、寂しい独身おばあちゃんで終わらせないで。
寂しい思いをさせないで。

      ――間奏――

ねえ、ずっと悩んでいる、 
一人合点してしまったのかもしれない。
私のこと好いてくれるんだろうかって。
 私のこと好いてくれるに違いないって。
おねがい、お願いだから、いじめないで
だけど、お情けで好きな振りをするなんてことは、 お願い、絶対にしないで。
xxxx xxxx xxxx ????
私をみじめな気持にさせるだけだから。

ダーリンって呼んでくれるのを、ずっと待ってるの、
ディアって呼んでくれるのを、ずっと待ってるの。
あなたを慕い続けていること、知ってるでしょう、
お願い、寂しい独身おばあちゃんで終わらせないで。
寂しい思いをさせないで。

*****************************************************
 改めて歌詞と日本語訳を掲げておく。
   
   I'm waiting to hear you call me darling
                           
 
by Flatt & Scruggs
 (イ)  I'm waiting to hear you call me darling.
    I'm waiting to hear you call me dear.
    You know that I have always loved you.
    Don't make me lonely all these years.

 (ロ)  Two years ago when I first met you
      You smiled at me and looked so sweet.
     You made me think you cared about me
     But you never said that you loved me.

  (ハ)   Oh maybe I took too much for granted
        To think you'd ever love me.
        Please oh please don't try to fool me.
        'Cause all you'd cause is misery.

                                 (イ、ロ、ハ)は便宜上付したもの。
            好きだっていって
          ダーリンって呼んでくれるのを、ずっと待ってるの、
          ディアって呼んでくれるのを、ずっと待ってるの。
          あなたを慕い続けていること、知ってるでしょう、
          お願い、寂しい思いをさせないで。

           二年前、初めて会ったとき、
           あなたは微笑みかけてきて、すごくすてきにみえた。
          わたしに関心があるって、思わせた。
          だけど、好きだってことは、一度もいってくれてない。

           一人合点してしまったのかもしれない。
          私のこと好いてくれるに違いないって。
          だけど、お情けで好きな振りをするんだったら、
          お願い、そんなこと絶対にしないで。
          私をみじめな気持にさせるだけだから。


 コレットは、「ハ」の後でもう一度「イ」を唄う構成にしている。
   「一人合点してしまったのかもしれない・・・・・・」として半ば諦めかけてはいるんだけど、それでもなお、望みを託して、切々と訴える・・・・・・
 おそらくこういう気持ちを打ち出す狙いからであろう。
 「ハ」で終わったのでは、そういう気持ちは伝わらず(多少はあるが)「諦め」、「恨み節」、「泣きトーチソング」で終わってしまう。

作者のFlatt & Scruggsとは、Lester Flatt(ギター)と Earl Scruggs(バンジョー)のことだという。二人はThe Foggy Mountain Boysというバンド(画像)を結成して活躍したそうだ。ブルーグラス(bluegrass)の世界では偉大な先駆者みたいな存在で有名なコンビだという(Wikipedia)。
 YouTubeの場でこのバンドによるこの曲の演奏を探したが見つからなかった。他の曲のものはいっぱい載っているのに。
 そこで、場に出ているもののなかから、よさそうなものを選んで掲げておく()。  

■Bluegrass Album Band - I'm Waiting To Hear You Call Me Darlin'

  Bluegrass Album Band。こういうグループだそうだ(ココココ)。

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2012年12月24日 (月)

James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-1)。

2012.12.24
                                    <<<[関連記事一覧表](相互リンク機能を付しているので適宜参照されたい)>>>
  James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)について何か書いてみようと考え、その"The Lost Get-Back Boogie"を読み直した。

◆◆◆◆◆◆◆◆
1_2 一、気に入り作家
1.以前から興味を強く惹かれていた、というか、気に入っていた作家だ。
 しかし、そうであっただけで、この人の世界に精通しているわけではなく、まだ「よくは知らない」存在だ。
 つまり、いっぱい書いているなかで――多作だということは最近になって知ったんだけど――5冊しか読んでいない。しかも、作品群がいくつかの系統だったシリーズ物に別れているのだが(これも後から知ったこと)、amazon.comで買うすべを知らなかった当時のこととて、時につれ、書店の洋書陳列棚にたまに現れるものを、「アレ! あった、うれしい」として買ってきた5冊がその系統横断のつまみ食いみたいなことになっている。そのようなことで、人物像というか作風というか、そういうことをまだよく掴んでいないのだ。

 しかし、一言だけいえることがある。
 それは、読んだ5冊全作品が、ニューオリンズ周辺を、南部ルイジアナを、アメリカ南部を物語の主たる舞台にしている、あるいは、こういう地域が物語の重要な要素となっているということである。当人はこの地域に愛着を有している人物であり、地域を熟知している。
 何か書いてみたいと考えたのは、この「地域性」に関係がある。そこらへんのことは追々触れていくとして、とにかく、この本を読み直した。ここ10日ほどかけて。
 話の内容は、まったく覚えていなかった。たいがい、読み返しはじめて少し経つと「ああ、そうだった」と記憶が多少なりともよみがえるものだが、それがなかった。めずらしい。おそらく、前回は、ざざっと読み流したというか、「おもしろくねーや」と途中でおっぽりだしたのであろう。
 
2_2
2.重い作品
 十日もかかったのは、じっくりと読んだからである。読み進んでいるあいだ、到達地点から頻繁に後戻りしたり、一度読み終わってからも、またあちこちに戻って読み直したりした。
 この本、"The Lost Get-Back Boogie"だが、――さて、これをどう訳すばいいのかということは後回しだが――かなり「重い」本なのだ。
 いわゆる純文学調の趣きのあるもので、人の生き様、生き方などについてのさまざまな疑問、葛藤や、父親の期待に応えられない男の父親コンプレックス、自責の念、酒、薬物への逃避、「破滅型」、「自滅型」人間の行動パターン、その思考分析といったことが全編を通して多く語られる。
 軽い「私立探偵物」ではない。「物語性」も強くない。まったくないとはいえないまでも、手に汗握るといった要素はない。
 このバークという人、文体特徴として、全体的に、文章がえらく長い。カンマ、カンマ、カンマで、一文が延々と続くのである。だから、述べている内容を理解するのに時間がかかる。したがって、斜め読みには向いていない、というかほとんど不可能だ。記述内容が重いこともあって、なおさらである。

 現れる地名や施設、魚、樹木、植物などについての周辺情報を調べたり、記事に書く材料を書きとめながら読み進んでいったことも、時間がかかった原因だ。
 
3.出会ったきっかけ
 最初に買ったのは、昔のことなのでよく覚えていないが、おそらく、Dixie City Jamだった。それとも、The Lost Get-Back boogieだったか。
 まあ、はっきりしないが、とにかく、いずれにせよ、題名に惹かれて買った。書店の陳列棚から手に取った。
 "Dixie"、"New Orleans"、"Jam"、"Boogie"といったことばに敏感に反応する謂れがあったのである。長年、こういった要素に深く関連する音楽を聴き、演っていたのだ。

ニ、作品、経歴など
 さて、ということで、風景描写、カントリーミュージック、魚について書いていくが、その前にもう少しだけ寄り道をする。
 作品群や経歴について多少触れておく。
(1)作品
Dave Robicheaux (デイブ・ロビショー)シリーズ
    The Neon Rain (1987)
    Heaven's Prisoners (1988)
    Black Cherry Blues (1989)
    A Morning for Flamingos (1990)
    A Stained White Radiance (1992)
    In the Electric Mist with Confederate Dead (1993)
    Dixie City Jam (1994)
    Burning Angel (1995)
    Cadillac Jukebox (1996)
    Sunset Limited (1998)
    Purple Cane Road (2000)
    Jolie Blon's Bounce (2002)
    Last Car to Elysian Fields (2003)
    Crusader's Cross (2005)
    Pegasus Descending (2006)
    The Tin Roof Blowdown (2007)
    Swan Peak (2008)
    The Glass Rainbow (2010)
    Creole Belle (2012)
Billy Bob Holland(ビリ・ボブ・ホランド)シリーズ
    Cimarron Rose (1997)
    Heartwood (1999)
    Bitterroot (2001)
    In the Moon of Red Ponies (2004)
Hackberry Holland(ハックベリ・ホランド)シリーズ)
    Lay Down My Sword and Shield (1971)
    Rain Gods (2009)
    Feast Day of Fools (2011)
Miscellaneous(その他
    Half of Paradise (1965)
    To The Bright and Shining Sun (1970)
    Two for Texas (1982)
    The Lost Get-Back Boogie (1986)
    White Doves at Morning (2002)
Short Stories Anthologies(短編集)
    The Convict (1985)
    Jesus Out to Sea (2007)
              (Wikipedia)から。茶色表示は読んだ本。黒太字はエドガー賞受賞作。

(2)経歴など
   1936年12月5日テキサス州生れ、現在76歳。テキサスとルイジアナ州の州境あたりで育ち、南部の大学、大学院を出ている。いろんな職業を経て30歳ぐらいで職業作家になったようだ。エドガー賞(長編)を2度受賞している(  Black Cherry Blues /1989とCimarron Rose/1997 上の太字斜体作品)。モンタナとルイジアナ州をに住み分けているようだ。(Wikipedia)
 容姿からして(画像)、インディアンの血を引いているように思えるが、どうか。

三、アンゴラ刑務所(Angola Prison)
  さて、本論に入って、物語は主人公が刑務所を仮出所する場面から始まる。
 悪名高いアンゴラ刑務所(Angola Prison)である。正式には、The Louisiana State Penitentiary(ルイジアナ州刑務所)という。

 ――次稿に続く――

 

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2012年12月 7日 (金)

♪ジャズ・スタンダード曲、「歌詞の変遷」とレンディッション(rendition) ―― 歌詞の意味が本来のそれから変容した場合、ジャズ・ボーカルによる曲解釈、曲表現も当然変わってよい。

2012.12.07
                                                                            ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]
 ジャズ・スタンダード曲、 歌詞に変遷が生じている場合、すなわち、歌詞の意味が本来のそれから変容した場合、ジャズ・ボーカルによる曲解釈、曲表現、すなわち、レンディッション(rendition)も当然変わってよい。

 「変遷」とは、時の推移とともに移り変わることをいう(集英社「国語辞典)。一般的にはこういう意味だが、場合によっては、この、無味無臭の事実を表わす意味ではなく、そのように移り変わることを、あるいは移り変わった結果としての姿を許すべきか(許されるべきか)という規範的な意味を表わす意味で使用されることがある。

 抽象的で分かりにくいので、寄り道になるが、ことばの意味についてもう少し続けよう。
 時、折しも衆議院議員選挙を目前にして改憲論が世を賑わしていることでもあるし。
 こうだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 「憲法の変遷」ということがいわれる。ことばの定義上の問題など細かい議論を飛ばして要点をいうと、こうだ。
 憲法の規定が実効性を失い名目的なものになってしまって、行われる可能性がなくなっている――こういった関係で論じられる憲法議論である。
-----------------------------
  憲法の変遷として問題になるのは、
――違憲の行為がまかり通り、それに よって、憲法正文に含まれる法規範の実効力、すなわち、憲法の規範力に変動が見られる場合である。およそ法は、どの法の場合でも、法として通用し行われ なければ紙に印刷された文章にすぎなくなってしまう。憲法が憲法として通用し、行われるためには、一面、規範的な拘束力または妥当性をもち、他面、さら にいわゆる実効性をもたなければならない。成典憲法の規定が形式的には存在していても、それと異なる実例が行われ、そのために憲法の規定が実効性を失い名目的なものになってしまって、行われる可能性がなくなるような場合には、憲法の規範力に異変が生ずる。このような現象をとらえ、憲法の規範力の変遷とい う意味で、「憲法の変遷」ということは、学問的にも意義のあることであろう――

                                       (有斐閣、法律学全集3 「憲法I」 清宮四郎著、1971年2月、382ページ
-----------------------------

 「自衛隊は合憲か違憲か」。
 違憲だとすると、「憲法の変遷」が起きていることになる。
 まあ、正確にいうと、最高裁判所が、「自衛隊は違憲ではない」という最終判断を下すと、変遷が起きたことになる。こういうことらしいんだが、つまり、それまでは、政権交代その他により自衛隊を廃止するなどして、違憲状態が消滅する可能性があるので、「変遷」が生じているとはいえないというんだが、まあ、理論上はともかく、そんなこた起きっこないから、9条に関する変遷は生じているとみてよい。違憲、第9条に違反しているという前提に立てば、変遷が起きている。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 さて、本題に移ろう。 
1.歌詞の変遷
 上記の清宮四郎記述で、「憲法」を「歌詞」に置き換えてみよう。

*********************************************
  歌詞の変遷として問題になるのは、
――歌詞の意味の間違った把握がまかり通り、それに よって、歌詞が意図している本来の意味の実効力、すなわち、意味の規範力に変動が見られる場合である。およそ歌詞は、どの歌詞の場合でも、作詞家が意図した意味が通用し行われなければ紙に印刷された文章にすぎなくなってしまう。歌詞が歌詞として通用し、行われるためには、一面、規範的な拘束力または妥当性をもち、他面、さら にいわゆる実効性をもたなければならない。正文歌詞が形式的には存在していても、それと異なる実例が行われ、そのために歌詞の意味/訴えが実効性を失い名目的なものになってしまって、行われる可能性がなくなるような場合には、歌詞の規範力に異変が生ずる。このような現象をとらえ、歌詞の規範力の変遷とい う意味で、「歌詞の変遷」ということは、学問的にも意義のあることであろう――
*********************************************

2.許される

 憲法はいざ知らず、歌詞の世界では、この「変遷」という現象があちこちで起きている。You'd Be So Nice to Come Home to然り、My Funny Valentine然り。 
 そして、この世界では、それは許されてよい。

――"You'd Be So Nice to Came Home to"の意味の間違った把握がまかり通り、それに よって、歌詞が意図している本来の意味の実効力、すなわち、意味の規範力に変動が生じている。つまり、異なる解釈が定着し、もう元に戻る可能性はない。
 しかし、それは許されてよい――

 こういうことである。

     ********************2012.1.24記事から**************************
You'd be so nice to come home to.の意味は、
         直訳的にいえば、
――君の許に毎日仕事先から帰るような生活になったら、さぞかしいいだろうな――
             ひいては、
――君と一緒に暮らせたらどんなに幸せだろうな――
        さらに日常生活的にいうと、
――君と一緒に暮らしたい(
結婚しておくれ、というよりも多分に、ヤラセテおくれ)――

 こういう意味である。
 つまり、口説いているのである。次の如し。

 (バース)
 君は、ただ可愛いってだけの女の子たちとは違うけど、
   ぼくが君を神殿崇拝するのは、そのせいじゃない。
 君は、季節外れのアスパラガスより稀な存在だけど、
   ぼくがプロポーズしようとしているのは、そのせいじゃない、
 違うよ君、このためだ
(6)

 (コーラス)
 毎日、帰ってくると君がいる生活、
(You'd be so nice to come home to.)
 暖炉のそばの君、(
You'd be so nice by the fire.)
 そよ風が頭上高く子守唄を囁く春の宵、
 そこにたたずむ君、どれも最高だ、
 君さえいれば何も要らない。

 真冬の、凍てつく星空の下、
 八月の、焦がすような月の下、
 君はどこにいても最高だ、
 毎日君の許に帰り、愛し合う生活、
 どんなに幸せだろう。

 (バース)
  そう、私は嬉しがらなきゃいけないのよね、愛を告白されて、
 だけど、あんた、ロザリオ、女たらし、
 新しい女の子が町に来るたびに、言い寄ってるじゃない。
 なんで、白々しく、そのこと隠してるの。

 これが、つぎのように「変遷」した。つまり、変容した。

①You'd be so nice to come home to.の意味は、
――君と一緒に暮らしたい(結婚しておくれ)――
という求愛の表現である。

②本来は喜劇タッチ映画(1943)の特定場面で唄われる歌の一節としての、喜劇風味の表現であった
 しかし、発表後すぐに、表現の意味合いが変容した
 すなわち、時代が第二次大戦下であったため、その詩が、国に残した妻や恋人を異郷で想う兵士らの心に強く訴え、
 ――君の許に帰りたい(帰還したい)――
という意味で捉えられるようになった
 元の属性から離れて独り歩きするに至ったわけである。
そういうことであったが、戦後も歌は――喜劇風味を醸し出すバース部分を抜いたものとして――人々の心を捉えつづけ、
求愛を格調高く歌い上げるものとして、あるいは、場合によっては「君の許に帰りたい」という望郷の念のようなかたちで、人々に愛されている。
そこで、「意味は?」との問いに対する解答は、次のようになる、また、そう答えなければならない。そう答えなければ、完全な解答とはいえない。


――本来の意味は、すなわち、作曲目的として意図された意味は
 君と一緒に暮らしたい(結婚しておくれ)」という喜劇風味の求愛の表現であったが、戦時下、「君の許に帰りたい」という帰還希求心情を意味するものに変容し、その後、喜劇風味ではなく求愛を格調高く歌い上げるものとしての「君と一緒に暮らしたい、君さえいれば何も要らない」という意味、あるいは、離別状態にある妻/夫/恋人に対する心情としての「君の許に帰りたい」という意味で捉えられている。
  ここで、「君」とは男性から女性に対する呼称と、女性から男性に対する「あなた」という呼称の両方が含まれている概念である。

         ****************************************************

 こう「変遷」したわけだが、ジャズ・スタンダード歌詞の世界においては、こういうことが起きても、許されてよい。

3.結論
  だから、ジャズ歌手がその「変遷後の歌詞」に基づいてレンディッションをすることに、曲解釈、曲表現を行うことに、なんら問題はない。
 こう考える。

4.記事コメントへの返答
 2012.5.2にBye Bye Black Birdの歌詞解釈に関する記事を書いた。その記事に、その歌を(ライブ/コンサートで)唄おうとしているという一人の方からコメントをいただいた。
 今日のこの記事は、そのコメントへの返答、返礼を兼ねた応答である。

 



 

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2012年12月 4日 (火)

イギリスのキャサリン(ケイト)侯爵夫人、ウイリアム王子のお妃に、お子が生まれるようだね。

2012.12.4
 キャサリン(ケイト)侯爵夫人にお子が生まれるそうだ。おめでたい。
 これまで、いくつかの記事のなかで(ココココココココ)英王室について触れている関係から、お祝いを述べておく。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 The SUNが報じていたので、記事を紹介しておく。紹介というよりも、無断転載みたいなもので怒られそうだけど。

Photo_2              ウイルズとケイトに赤ちゃんの喜び。
                  ●ケンブリッジ侯爵夫人の懐妊を皇室が正式発表。
                  ●急に起きたつわり(悪阻)でケイト夫人が入院

2

By HARRY HAWKINS, BELLA BATTLE and JACK LOSH
Published: 7 hrs ago

KATE Middleton is pregnant and expecting her first child with Prince William, it has been announced.
The Royal Family revealed the news today after the Duchess of Cambridge was taken to King Edward VII Hospital with acute morning sickness.
The Royals are said to be "delighted" that Kate is expecting a child who will be third in line to the throne.
Wills, 30, is by his wife's side in hospital but the Royal Household would not comment on whether he travelled with her to hospital.
Kate, 30, made the journey from Bucklebury in Berkshire, where her parents Michael and Carole Middleton live, and it is thought she spent the weekend with them.

 

ケイト・ミドルトン(KATE Middleton)が懐妊しウイリアム王子との最初の子ができる、そう発表された。

  今朝急に起きたつわり(悪阻)を理由にケンブリッジ侯爵夫人がエドワード王7世病院(King Edward VII Hospital)に収容された後、本日、皇室がニュースを発表した。

  皇室は王座継承第3位順位となる子の誕生期待に「大喜びしている」、と伝えられている。

 ウイリアム王子、30歳は病院で妻に付き添っているそうだが、病院に行った際にも付き添っていたのかどうかについては、王室はノーコメントだとしている。
 ケイト妃、30歳は、両親のマイケル、キャロル・ミドルトン夫妻が住むバークシャーのバックルバリーを訪れて、そこで先週の週末を過ごしたと推測されている。


               ――<<< 記事は次のように続く >>>――

 ケイト妃の妊娠は12週間を超えていないとされ、この後数日間病院に滞在する予定である。

 二人が妊娠にいつ気付いたのかという質問に対して、セント・ジェームス宮殿は、「最近です」というだけで、仔細は語らない。
 セント・ジェームス宮殿は声明を発表して次のように語っている。

――ケンブリッジ侯爵夫妻は、喜びに充ちて、侯爵妃に子ができることを発表する――

 エリザベス女王、エジンバーグ侯爵、ウェールズ王女、コーンウォール侯爵、ハリー王子を初め、ウイリアムズ王子/ケイト夫妻妃の両家族はニュースに喜んでいる。

――侯爵妃は、つわり(悪阻)のために、今日の午後セントラル・ロンドンのキング・エドワード7世病院につわりで収容された。
 まだ妊娠初期なので、お妃は数日病院に留まる予定であり、その後もしばらくは養生期間が必要となる――


 声明はこのようにも語っている。

--------------------------------------
  この後、下のような画像とともに(いっぱいあります)、これまでケイト夫人の行動に「どうも妊娠しているんじゃないか」ということを窺わせるような徴候があったというようなことを報じている。

3

   (画像は、The SUN紙面に掲載されているものを組み合わせたもの
             
 左下の画像は「エドワード王7世病院」)

 加えて、
 キャメロン首相が、「ニュースに大喜びしている」、すばらしい両親になる」とツイ―トしたとか、その後同様のことを首相官邸のテレビカメラの前で正式に述べたうえで、国全体の人々が今晩お祝いをするであろうと語ったとか、王室正式発表の少し前に知った、会議中に小さなメモを渡された、自分だけの胸にしまっておくことができなかったというようなことが報じられている。

 故ダイアナ妃の弟のスペンサー伯爵も喜んでいるそうだ。






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