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2013年6月18日 (火)

James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-7)。

2013.6.18
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  Part-5から6までが3ヶ月、今回のPart-7まで2ヶ月、いつになったらモンタナに到着できるのか、記事を終えることができるのか、ため息が出る。
 一連記事へのアクセスが皆無に近いこともあり、ともすれば気がくじけがちだが、まあ、最後までやり抜こう。いい着想だと考えて始めたことだ、時間がかかってもいい。

 さて、前作で、ルイジアナを発った(*1)。父の形見のフォード・ピックアップ・トラックで。
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  ...だけど、その三日後にバトン・ルージュから申請を認める旨の書類が届いた。
4週間以内に当地での物事を整理して、モンタナ州Missoula(ミズーラ)市の仮釈放/保護観察事務所に出頭せよという内容だ。
  ピックアップ・トラックの名義変更は、弟がすでに済ませていた。そして、仕事で稼いだ金が275ドルある。
 寝袋とテントと、コンビーフその他の缶詰食品をトラックに積み込んだ。

 翌朝、オレはテキサス東部を走っていた。松のような樹木の間を転がりながら。
 木々には朝霧がかかり、道路の両側は赤っぽい、乾いた粘土質の土が覆っている。

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 今日は、この続きだ。

*1.主人公の故郷の町がどこなのか、作者は明示していないのだが、当ブログ主は、おそらくHouma(ホーマ)ではないかと推測している(2013.1.3、Part-4参照)。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 ダラス(Dallas)まで来たときには、フードの下でラジエーターが蒸気を吹いていた。給油スタンドの少年は、箒の柄を使ってキャップを外した。
 焼けつくような午後をウイチタ・フォールズ(Wichita Falls)までなんとか走らせたが、そこでウォーターポンプがいかれてしまい、交換するのに、トタン屋根のガレージで5時間過ごさなければならなかった。そこは、まるでストーブのように熱と湿気を閉じ籠めた地獄だった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++Photo     1961年式フォード社ピックアップ。 物語の時代は1962年だから、まだ「新しい」車なんだけどね。オーバーヒートしてラジエーターが沸騰し、あげくの果てはウォーターポンプがいかれてしまったという。欠陥車だったか。物語の時代とトラックの年式の決定根拠については、Part-5を参照されたい

[訂正] 2014.3.4
 
フォード社ピックアップ・トラックは、1961年式ではなく、1949年式であった。
 
1962年式であると考えたのは以下の理由による。
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「His Ford pickup truck with last year's tag was parked in the shed....
(
父親の去年のナンバープレートをつけたフォード社ピックアップ・トラックが木陰に停めてある)」
  という記述があり(25ページ)、物語の年度が1962年であることから、1961年式と判断した(
Part-5参照)
----------------
  しかし、本の118ページに

"......but they owe me for a 1949 picup and two guitars...."
 
とある。
  この国の自動車登録制度がどのような仕組みになっているのか不知なのだが、この「去年の」というのは、車の年式には関係なく、登録だけに関係することのようだ。

  ↓画像を差し替えておく。
1949                   (1949年Ford pickup truck。ココから)
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 アマリロ(Amarillo)の南側まで来て、シチュー肉の缶詰を食べ、眠気覚ましのNo-Doze錠剤を噛んだ。車を道路脇に停めて睡眠を取るべきであったが、ハイウェイ走行に憑かれたような精神状態になっていた。おまけに、覚醒錠効果がビールの酔いとごちゃ混ぜになって気持ちが昂ってしまっていた。おそらく、デンバー(Denver)まで、ぶっ通しで走ることもできたのではないか。
       Nodoze                                                      (覚醒錠剤、ココから)

 給油スタンドやトラック食堂に立ち寄る度に、人々がしゃべることばのアクセントの変化に気付き始めた。やがて、夜明けの気配がやってきた。その薄明かりのなかで、ちょうど、テキサス州のパンハンドル部分(*2)を走っていたのだが、オレは生れてはじめてメーサ(mesa)(*3)というものを見た。
 平らな平原のなかで、まるで地質学上の事故が起きたように、盛り上がっているのだ。その縁部分は暁光でピンクに染まり、浸食された峡谷部分は紫の影で覆われている。
     Photo_2                                                 メーサ(ココから)

 綿花畑、トウモロコシ畑地帯は今や後方のものとなった。特許薬広告塔やMARTHA WHITE'S SELF-RISING FLOUR(*4)の広告も見なくなった。道路脇に停めたトラックの荷台で野菜や西瓜を売る風景、空き牧草地に建った宗教集会大テント(revival tent)(*5)も見ない。すなわち、南部そのものが過ぎ去ったのである。
  南部は、目に見えない境界線を境にして、――地理的な指定とはまったく無関係の境界線を境にして――過ぎ去ってしまった。

*2.パンハンドル(panhandle)
   国や州の地理的形状として、「フライパンの柄」のように突き出ている部分。テキサス州の地形を見よ。
*3.メーサ(mesa)
   米国南西部に見られる頂上が平らで周囲が絶壁の台地。

*4.MARTHA WHITE'S SELF-RISING FLOUR
  "self-rising flour"とは、パン種なしでひとりでに膨らむ小麦粉のことである。Marth Whiteは人名であろう。つまり、パンや菓子の材料にする小麦粉の広告である(見よ)(見よ)。

*5."revival tent"(リバイバル・テント、復活集会テント)
  キリスト教信者が"revival meeting"(キリスト教への信仰を復活させるための伝道的な集会)など特定目的のために設営されたテントで行う集会のことを"tent revival"(テント復活集会)という(Wikipeia)。"revival tent"とは、そのようなテントのことである(見よ)。


 こうして、ダルハート(Dalhart)に、次いでTexlineにやってきて、通り過ぎる。熱い空と雲のように舞うホコリを背景に穀物サイロが灰色の姿で立っている。そういう場所だ。
 やがて、遂にニューメキシコに入り、ラトン(Raton)に到着した。

Dallasraton                            Dallas→Wichita Falls→Amarillo→Dalhart→Texline→Raton
                (「赤A」印はTexlineで、最後の丸印がRatonである。すぐ向こう側がコロラド州みたいな州境の町だ)。


  No-Doze剤の効果と、この24時間内に飲んだ膨大な量のビールの酔いのせいで、意識が朦朧とし始めていた。熱にちらつく光で目が痛む。給油スタンドの水道ホースで頭に水をかけ、顔と頸筋を冷やしてから、食堂でステーキを食べた。もう疲労が限界に達していた。裏の駐車場に一晩車を停めて寝ていいとスタンド係員がいうので、荷台に寝袋を敷いて寝た。
 ハイウェイを走る車のシューシューというブレーキ音が聞こえる。Raton Pass(ラトン峠、標高2,388m)の長い上り坂に向けてギアをシフトダウンする音が聞こえる。
 やがて、寝袋のキャンバス地の匂いに包まれ、ひんやりとした夜気を顔に感じながら、眠りに落ちた。

 翌朝は、魂に中身を再充填するような気分だった。精神的肉体的エネルギーをすべて使い果たしていたのだ。
 さて、気分一新、出発したが・・・驚いたね、そこは、真の西部だった。

 ラトンの町は山に対して平らに横たわっている。山は、茶色い丘から、ロッキーの山岳地帯に茂る背の高い緑の木々の中へと、急角度でせり上がっている。町の通りは痛んでおり、しっくい(漆喰)で固めたレンガ造りの家屋と、納屋、鶏を放った庭、ボロボロに腐食して車体に蔦が絡まっている車の残骸といったものが並んでいる。メキシコ人の子どもらが、ローラスケートで作った手製の車で、歩道を轟音を立てて走りまわっている。しなびたリンゴのように皺の寄った顔のインディアンたちが州の労務事務所の前で、開くのを待っている。空は、見上げると瞬きをしなければならないほど硬質で美しい緑青色の変化を見せながら動き続けている。

 しかし、なんといっても、見ごたえのあるのは、連なる山々と松の樹木に映える早朝の光であった。2マイル続くラトン峠を登るためにギアをセカンドに落としたとき、山々は登っていくこちらの前方で、お互いに重なり合いながらの宙返りしているようにみえた。
 峠の頂上でコロラド州との州境を越え、古いトリニダード(Trinidad、6,010ft/1,832m)の町に降りてきたときには、冷却水温度計の針は上限を超えており、ギアシフトが手の平をゴツゴツと打っていた。

Photo_2                   Raton(ニューメキシコ州)からTrinidad(コロラド州)。下部黒丸がラトン、「赤A」がトリニダード。中央点線は州境。
Photo                            ラトン峠(Ratton Pass)からコロラドを臨む(Wikipedia)

  Coor缶ビール6本入りパックを二つ買って、砕いた氷を詰めたサックに押し込み、床に置いて、4車線道路を、「出発進行」、Puebro(プエブロ、4692/1430m)に下りていった。煤煙だらけの衰退気味の町で、トタン屋根の建物群から醜い煙が立ち昇っている。そこから、デンバー(Denver、標高5,130-5,690ft/1,564-1,731m)に向かって、ずっと続く勾配を登っていった。山々はあくまで青く、窓の左に高く聳えて、裾を雲が包んでいる。
Photo_2                                              (ココから)

 デンバーはいい町にみえた。モミの木(fir)とトウヒ(spruce tree)が生い茂り、緑の芝生と、チューリップの咲く公園が町のいたるところにある。町の北側のカフェでメキシコ料理を食べた。

Photo_3                                         fir(モミの木、樅の木)
Photo_4                                          spruce tree(トウヒ、唐檜) (モミ、トウヒ、どちらも同じように見えるんだが)

 次いで、フォート・コリンズ(Fort Colins、標高5,003ft/1,525m))を通り過ぎ、州境を越えて、ワイオミング(Wyoming)州シャイアン(Cheyenne、標高6,062ft/1,848m)に至る。州を真っ直ぐ横切って一気にモンタナを目指そうと、赤茶けた土地を、夕刻が迫りくる赤い太陽を見ながら走っていった。

Photo                Puebroから(最下段矢印)、 Denver、Fort Colinsと北上。ワイオミング州に入ってCheyenne、さらにモンタナを目指す。
 
 やがて夕闇が来て夜間走行となった。路上に子連れの雌鹿が出没したりする。しばらくして、二人連れの酔っ払いインディアン・ヒッチハイカーを乗せた。二人とも、シャツを二枚重ね着して、そのうえにジーンズ・ジャンパーという姿だ。こちらとは間隔を置いて、シートの端の方に二人でくっついて座り、赤ワインボトルを廻し飲みしたりしている。50マイルほど走ったところで、一人が、どこまで行くのかと訊いてきた。ビリングズ(Billings3,123ft/952m)(モンタナ州)までなんとか走るつもりだと答えると、ワインに染まった歯で笑い、無理だという。何故無理かと問うと、自分で分かっているはずだと答える。自分の家に泊まれという。
  男のいうとおり、それ以上運転できる状態ではなかったので、その家に泊まった。ビッグホーン山脈(Bighorn Mountains)の麓にあるインディアン居留地だ(*6)

*6.(脚注だが普通サイズで記す)
   ウインド・リバー居留地(Wind River Indian Reservation)であろう。下の地図画像の長方形で囲って部部がその区域である。
 ただし、シャイアン(Cheyenne)から先、どのような経路をとってこの居留地に来たのかということは、はっきりしない。すなわち、IS25を走っていたのだが、
①そのままIS25を走ってCasper(キャスパー)を抜けてきたのか、
②シャイアンの先、Wheatland(ウィートランド)辺りでIS25を降りて左折し、Medicine Bow(メディスン・ボー)を通り、Casperに出たのか、それとも、
Medicine Bowの先から287に進みShoshoni(シュシューニ)を経由して居留地に来たのか。
  Medicine Bow、Shoshoniを通ったことをうかがわせる記述があることからして(下に掲げているインディアン画像の説明文参照)iおそらく③ではないか。
 Casper、Wheatland、Medicine Bow、Shoshoniの所在、詳細な道路網など、Google地図へのリンクを掲げておくので、各自確認されたい(クリック→Google map)

Photo_2
          泊まったのは黒丸印の辺りではないか(長方形がウインド・リバー居留地)。「赤A」は、南北に延びるビッグホーン山脈。上部の点線はモンタナ州境。黒丸印のすぐ左側を縦(南北)に延びる緑色の帯、すなわち、山脈に平行して走っている帯はビッグホーン・リバー/Bighorn Riverである(その上流というか、モンタナ州側に東南に走る支流があり、リトル・ビッグホーン・リバー/Little Bighorn Riverという。そこは、カスター将軍とインディアン部族合同部隊の決戦の場として知られる)。なお、IS25はモンタナに入りIS90となる。
  Shoshoni                道中、干上がった川にかかる橋を、それぞれ支柱にMedicine Bow(メディスン・ボー)、Platte(プラット)、Shoshoni(ショショニ)と刻印してある橋を渡った。そういう描写がある。
(...the headlights briefly illuminated the names chiseled into the concrete faces of the bridges over dried-out riverbeds, MEDICINE BOW, PLATTE, SHOSHONI, each a part of something...)
  Medicine BowとShoshoniは町の名前だが、Platteは、Platte郡のことなのか、川の名称(North Platte River)なのか、何を表わしているのか不明である。

 "Shoshoni"で検索すると、↑のような画像が現れる。この町名は、"Shoshone"というインディアン部族に由来するのだという。ウインド・リバー居留地はEastern Shoshone族とNorthern Arapaho族が住んでいるというが、ヒッチハイクで載せた二人はこのどちらかの部族の子孫であろう。


 その家では、ビールの重ね飲みと覚醒錠剤の二重効果でメロメロ状態に陥り、主人の妻の、――これまで見たこともないほど美しいインディアン美人だったのだが――、その妻、イレーン(Irene)の手をテーブル越しに握ったまま席に突っ伏して眠りこみ、夢にうなされて目を覚ますという醜態、――そのイレーンは、「白人」に遠慮して、握られた手を離すこともできずにいたのだが――、そういう醜態を演じた。
 かつて、朝鮮戦争従軍時、負傷療養のために滞在した日本で、歌舞伎を見ながら芸者らと共に飲食して大荒れに荒れ、酩酊乱行によってMPに拘束されたことがある。
 うなされた夢は、その時のものであった(*6)
 結局、主人に介抱されるようにしてカウチに横たわったのは、夜明けの光が鶏飼育裏庭とウサギ小屋を紫に染め始めたときであった。

*6.この「歌舞伎を見ながら芸者やママサンと飲食した」というくだりの描写は、日本の実情、生活実態にそぐわない要素に満ちている。実体験に基づいて書いているのか、想像、伝聞で書きなぐったのか、その点はどうあれ、「これほどの作家がこんなお粗末を」と、気に入らない。

Medicine_bow 
Medicine_bow2                    ↑2画像、いずれも" Medicine Bow"、標高6565ft(2001m)、人口284(2010年調査)。元来は大陸縦断鉄道敷設のために設営された町だが、その後、家畜の出荷地として知られるようになった(Wikipedia)。

Platte           Platte(プラット)で検索した画像。North Platte River関連3つと、左から3番目は、Wyoming州内でのPlatte county(郡)の位置を表わしたもの。

Shoahoni2                         shoshoni、標高4843ft(1476m)、人口649人(2010年調査)。鉄道と鉱山の町として開設された(Wikipedia)。



――続く――

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