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2013年10月

2013年10月31日 (木)

あのDoris Day(ドリス・デイ)が91歳(???)で生き永らえているというのだが、ここにきて、おざなりみたいな看護/介護の餌食になりかけていることもあり、健康維持が危ぶまれているという。

2013.10.31
  見せかけのような低質の看護/介護のために、超高齢ドリス・デイ(Doris Day)の、――長い隠遁生活のなか、91歳(*1)で生き永らえているというのも驚きだが――、この超弩級ハリウッド女優のさらなる長生きが危ぶまれているという。MailOnline(メイルオンライン)紙が危惧を報じている(2013.10.142013.10.25)。

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Dorisday90yold5                                                                                      (MailOnline紙2013.10.25記事から)
          (画像説明)
          隠遁 ― 2008年7月に撮影された写真で、その後公共の場で写真に撮られたことはない(*2)。

                                     

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MailOnline      News
Terrible twilight of Doris Day: Concerns raised over the beauty who has hidden from the world for 45 years
  ・Day, now 91, is one of Hollywood's greatest legends in Hollywood history
  ・ But the reclusive star has not been photographed since 2008
  ・This week her former housekeeper lifted the lid on her secretive life


By Tom Leonard
PUBLISHED: 23:11 GMT, 25 October 2013 | UPDATED: 11:21 GMT, 26 October 2013
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 ドリスデイの悲惨な終末期。45年にわたって隠遁生活状態を送ってきた「美」女優(*3)に危難が降りかかっているのではないかと危ぶまれている。
・ドリス・デイ、91歳になるドリス・デイは、ハリウッド映画史上における最高の伝説的女優の一人である。
・だが、この隠遁生活スターの姿は、2008年以来、写真に現れていない(*4.)。
・今週、元の家政夫が、デイの秘密に充ちた生活の蓋を開けてみせた。


Tom Leonard 記者
2013.10.2523:11分(グリニッジ標準時)/更新2013.10.26、11.21分
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*1.*5.
一般的データ(Wikipediaや諸々のネット記事)によるかぎり(1924年4月3日生れだとする)、89歳6ヶ月のはずである。なぜ「91歳」としているのか、理由はまったく分からない。
 記事中に「1968年に引退したとき年齢はまだ44歳であった」というくだりがあるが、そこでは一般データどおりの年齢になっている。→見よWikipedia(ドリス・デイ/Doris Day)


*2. あくまでも「公共の場では(in public)」撮られたことはないということであろう。つまり、町を歩いたり買い物をしたりしている姿を撮られたことはないということであり、まったく写真がないということではない。この記事は、全体として、読者を、「写真がないから2008年(4月3日を境に83か 84歳)以後どんな姿をしているのかまったくわからない」という誤解に導くような書き方をしている。
 当人は2011年9月(87歳)にほぼ20年ぶりにアルバムを出したが("My Heart")、 そのCDは、若々しい姿の大写し写真で飾られている。同じく、同月、アルバム発売前にポール・マッカートニー(Paul McCartne)と会ってそのアルバムのことなどを話し合っているが、その対談内容を自ら手記として
2011.9.1のThe Telegraph紙に載せており、当時の 若々しい写真(発売予定CDの販売促進用に撮影されたもの)が紙面を飾っている(この件については、後で改めて触れる)。

*3.ドリス・デイのことを"the beauty"と表わしているが(『「美」女優』とした)、おそらく次のようなことからであろう。すなわち、当人は常々「」(beauty)ということについて語っており、そのことで知られているいるのであろう。
 この関連で、上で触れたポール・マッカートニーとの対談に、次のようなくだりがあるので掲げておく。
PM:
 I think your fans will go crazy with it. It's a nice album with beautiful emotions. Is it true when you sing Joe Cocker's You Are So Beautiful you are singing about the beauty you find in animals?
DD:
 Well I do find the beauty in animals. I find beauty everywhere. I find beauty in my garden.
(マッカートニー)
 あなたのファンは大喜びすることでしょうね。情緒に充ちたすばらしいアルバムです。あなたは、"Joe Cocker作曲のYou Are So Beautifulを唄うとき、動物のなかに見る「」ということについて唄っているといわれていますが、ほんとにそうなんですか。
(デイ)
 そうね、見るわ、私は、動物のなかに「」を見るわ。私は、いたるところに「」を見ます。私の庭に「」を見ます。

                                                                              (2011年.9月1日のThe Telegraph紙)

*4.無造作に断言しているが、「*1」でも述べたとおり、おそらく、誤りである。

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 2013.10.25記事には上記のような見出しの下に、次のようなことが書いてある。
 Mail Online紙から怒られそうだが、以下、概略を転載する。
記事は総体的に、「隠遁生活」、「秘密の生活」、「世に隠れた姿」といったことを過度に強調する点で、バイアスのかかったものになっているようだ。種々のネット記事をみると、隠遁めいてはいるが世界と没交渉ではなく、それなりに活動しているように思える。
 何よりも、89歳6ヶ月のはずの年齢を91歳と報じているのだが、その理由がまったく分からない。単純ミスとみることは、まずできない。なぜ「91歳」としているのか。

  ↓下の画像が記事の全容である。

20131025

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 カリフォルニア州のCarmel Valley。美しいこの地に建つ要塞のような邸宅、ドリスデイの家の巨大な門の前に立っていると、ときたま犬の鳴き声が聞こえる。ハリウッドのスター女優と生活を共にしている連中だ。

 ドリスデイが、――現在91歳だというのだが(*5)、世に隠れて生活していることで知られるこの人物が――、まだ生き永らえていることを知ると人々は驚くであろうが、この人は、かつて、真夜中に家の近辺の町を人目を忍んで動きまわることを(ジョギングなど運動のために)生活習慣にしていた。それから、数年になる。

 野良犬や痩せ猫をみつけては、車で家に連れ帰っていた。50匹もの犬がいたこともある。邸宅の門の外に犬/猫を捨てていく者も現れた。このハリウッド大女優は必ず引き取り、放置することはなかった。
 きびきびした、艶のある若々しい顔つきの、ファン受けのするブロンド女優は、Rock Hudson(ロック・ハドソン画像 )との共演によるPillow Talk(邦題「夜を楽しく)でオスカーを取った。James Stewart(ジェームス・スチュアート画像 )との共演による The Man Who Knew Too Much(邦題「知り過ぎていた男」)で唄ったケセラセラ(Que Sera Sera)でも受賞している(当ブログ主「注」―アカデミー歌曲賞/Best Original Song)。

 しかし、問題まみれの4回の結婚/離婚、――暴力沙汰が絡んだこともあったが――、その出入りの後、男関係とは縁を切った。その後は犬と暮らした。ただ、噛まれやしないか、怪我をしないかと不安を感じてもいたという。友人がそう語っている。
 この、負傷や疾病への不安の問題は、当人がChristian Scientist(クリスチャン・サイエンス、科学者キリスト教会、キリスト科学者)宗教の信者になっていたために、切実なものとなっていた。近代医学に頼るのではなく、祈りによって病を癒すべきであると説く宗教である。

 この理由で、一度、死にかけたことがあった。
  当人が出血を続けていたのに、クリスチャン・サイエンス教信者であった夫が、医者にかかることを数週間にわたって禁じたからである。検査の結果、腸に腫瘍ができていた。子宮摘出手術を受けるはめになった。それから数年後には、その身辺の世話をした友人が語るには、当人自身、この信仰から、アスピリンを飲むことすら嫌がるようになっていた。

  数ヶ月前、当人の介護人の一人が、ハーブ系の(草本)治療薬を買うところを目撃されている。おそらくは、デイの尿感染や腎臓疾患を治療するために使用するものと推測されるが、医師ならば、当人のこの年齢を考えると、そんなものは処方しないであろう。そういう類いのものである。

 当人は病気にかかると神への祈りにすがるという。地元クリスチャン・サイエンス教会の有力者がそう語っている。現在は、かつて熱心に通っていたCarmel所在の教会を訪れることはないというが、「母なる教会」への寄付を依然として続けている。

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 今週になって、かつて当人に献身的に仕えたハウスキーパーとして知られるSydney Wood(シド二ィ・ウッド)が、この崇拝するアイドルの身を心配する声を寄せてきた。ウッド氏はイギリス人であり、20年余にわたって、信頼される相談相手、被使用人として当人に仕えてきた人物であるが、公の場で発言することはこれまでなかった。
 しかし、ここにきて当人の身を案じる懸念を語るとともに、ドリス・デイが数十年にわたって過ごしてきた秘密的な隠遁生活の蓋を初めて開けてみせた。

 ドリス・デイは1968年にハリウッドを引退した。その時、すでに39本の映画を残してこそいたが、齢はまだ44歳だった。それなのに、自らの身に沈黙の壁をめぐらした。
 しばらくのあいだ、あれこれのテレビ番組に出演したが、徐々に公共の目から消えていった。
 ウッド氏は、East Anblia(イギリス東部のNorfolk、Sufforkなど4州を含む地域)で育っていた若者として初めてドリス・デイの唄を聴いてからこの方、ずっとこのスターを崇拝している人物であるが、ここにきて、相手のことを、孤独で弱弱しい存在であると描写している。当人の友人、人間の友人は、そのほとんどが亡くなっており、動物の友人、身を取り巻く犬たちについても、自身ではもはや適切に世話することもできない状態になっているとして。

 かつては、忠実な召使たちによる内部軍団が、スポットライトを避けようとする当人を数十年間よく支えてきたが、その者たちは去ってしまった。
 当人の家族についていえば、最愛の一人息子として愛情を注いできたTerry Melcher(テリー・メルチャー)、ミュージシャン、は2004年に死亡しており、唯一の孫であるRyanは、当人と疎遠になっていることで知られている。

 以前は身辺の世話する適切な人々に囲まれていた。私のような者たちだ。金のためでなく、愛情から働いた者たちだ。ウッド氏はそう語る。
 ウッド氏は7年ほど前に当人との雇用関係から離れたが、当人との連絡をとり続けようと努め、少なくとも、当人のために働いている人物の一人とはずっと連絡を取り続けている。そう語る。
 「連中が彼女の元にいるのは、彼女がスターであるという打算的な理由からのことでしかない。適切に世話をしていないんじゃないか」と心配している。

 かつて、磨かれるように手入れの行き届いていた住居は、今では、だらしのない、ひどい状態に陥っている。紙の皿で料理をだしたりもしている。ウッド氏は語る。「彼女は、住まいをきちんと運用していくことについて、大きなプライドをもっていた」、そう語る。
 清潔さということについて過剰なほど捕われ、自分のベッドルームに洗濯機を置き、アイロンかけも自ら行うほどだった女性は、我が身の肉体外観維持にも気を使っていた。じっと座っていることなんか、まずなかったぐらいだ。しかし、昔の姿はない。今では、家にじっと閉じこもっている。
 実際に、隣人二人はいう。彼女の体調が良くないことは仲間内では知れ渡っている事実だと。これまでは、何人か地元の人々を家に招いたりしていたのに、それもしなくなったと。
 公の場で写真を撮られたのは2008年が最後で(上の脚注4参照)、顔は帽子とサングラスで隠れている

 彼女のファンは、――それは、イギリスからの者が多いのだが――、カーメル(Carmel)にある当人の共同所有となっているホテル(「注」当ブログ主― おそらくココ) に投宿する。そこに行けば、ドリス・デイの姿を見ることができるのではないかと考えてのことだ。しかし、がっかりする。
 当人は、巨大な建物に、住み込み看護婦と二人だけで暮らしている。もちろんペットの動物もいるが、それも、今では二、三匹の犬だけになっている。当人に怪我をさせる虞のあるような大きなペットは追いやられた。
 以前の共演主役男優のなかで今でも生きている者としては、ウッド氏は一人しか想いだせない。James Garner(ジェームス・ガーナー)である。ドリス・デイと2本の映画で共演したスターで、かつて、デイのことを、「ものすごくセクシーな女性だ、だけど、そのことに気付いていない」と評した。

 ドリス・デイは、大勢の昔からのファン層を大切にする気持ちを抱き続けているが、個々のファンレターに返事することは、負担が重くてできない状態になっている。

 シドニー・ウッド氏は現在71歳、メイン州でボーイフレンド、Cliffと生活している。このスタ-女優の回想を語っているが、その内容は、必ずしも、へつらいを述べるだけではない。
 ウッド氏は、サフォーク州とロンドンで育ったが、この胸の豊かな金髪スターがスクリーン上で演じる姿は50年代の意気消沈したロンドンに必要な陽光の炸裂であった、と回想する。
 氏はDoris Day Fan Club in Britain(ドリス・デイ英国ファンクラブ)を設立し、1976年に初めて憧れの人に会った。相手がロンドンのDorchesterホテルに滞在中のことである。
 デイは、ウッドを、カリフォルニアに来て自分のために働くように説得し、1979年にそうなった。ビバリーヒルズにあった旧宅とCarmelの住居(当ブログ主「注」、おそらくココ)の両方で働くという仕事である。

 驚喜のウッド氏は、あらゆることをやった。プール掃除から電話応対まで。氏自身は、無料奉仕同然でも喜んで働く気でいたが、ドリス・デイは、使用人に対してほんの小額の賃上げさえ渋った。ウッド氏はそう回想する。デイは、金銭問題では短気だった。「ワーナーブラザースで働き始めた時、私は、たった週300ドルで働いたのよ」、よく、こういったものだ、ウッド氏はこういい、「だけど、当時はガソリンが10セントだった時代だからね」と苦笑する。
 彼女は「金の問題」については非常に神経をとがらした、ダンサーとして苦労していた頃に貧乏で苦労したからだと思う、ウッド氏はこういう。買い物のときでさえ、クーポン(割引券など)がないかと探しまわり、それを利用した。
 そうしておいて、蓄えた金をペット基金に寄付した。

  引退した後、ショービジネス界との絆を断ち切ろうと努めてはいたが、完全に過去との縁を切ったわけではなかった。有名人が立ち寄ったり、電話をかけてきたりした。ドナルド・レーガン大統領は50年代に共演したボーイフレンドだが、大統領時代にも電話を寄こした。
 ある新聞が、レーガン大統領について、ホワイトハウスで飼うのが面倒になったペット犬を自分のカリフォルニア州牧場に連れてきたと報じた。
 このニュースに対して、ドリス・デイは、ある雑誌の記事において、その犬がちゃんと世話してもらえるように望むという談話を表わした。そうしたら、レーガン大統領から電話がかかってきて、犬は大丈夫だから、心配しなくていいと言って寄こした。
 ウッド氏はこう語っている。

 Paul McCartney(ポール・マッカートニー)が訪れてきたこともある。デイとは初対面であった。ある日の午後、電話をしてきて、ウッド氏が応対した。デイは、どうせ騙り電話だからうっちゃっておけといったが、数日後にマッカートニーが当時の妻、Heather Millsと一緒にやってきた。鉢植えの植物とビスケットを手土産に。マッカートニーは当時ロスアンゼルスに滞在していたのだが、ドリス・デイが主演した映画Calamity Janeの昔からの大ファンだったので、その主役女優に会おうと決心したのだという。
 デイとマッカートニーは現在でも電話で話し合う仲である(*5)。

 野良犬救助など動物への献身的な世話のために、家政は大変だった。缶詰ドッグフードは禁止である。当人は毎朝早く起きてきて、使用人と一緒になって餌作りをした。鶏肉を処理し、骨を取り去って与えるのである。
 ベッドに七ハ匹の犬を上げて一緒に寝ることもあった。
 ドリス・デイは動物福祉基金を設立したが、毎日、午後はその仕事に当てられ、さらなる募金活動をした。
 

*5.マッカートニーとの関係を述べているこのくだりは、ちょっと「おかしい」ような気がする。下に項を改めて記す。

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[ポール・マッカートニーとの関係]
 2011.9.1のThe Telegraph紙に、同日付けのドリス・デイ自らの手記記事が載っているThe Telegraph---注意!!、リンク処理が完全に終わるまでじっくりと待たないと、ハングアウトする危険がある)。その年、カリフォルニア州Camel(カーメル)のデイの自宅でマッカートニーと対談したのだが、その内容を逐次的に記したものである。内容は、87歳になるデイが17年ぶりに出す新アルバム、"My Heart"についての話題が中心である。
 対談でマッカートニーは、冒頭、次のように述べている(マッカートニーは1942.6.18生れ、71歳)。

 <<<60年代に、Calamity Jane(1953映画)を観た後であなたに電話したことを思い出します。最高の映画で、最高の演技だということを伝えたくて電話したことを>>>
   I remember ringing you up after watching Calamity Jane in the Sixties to tell you it was the best film and you were the best character.


 なお、この記事にその当時のデイの写真(発売目前CDの販売促進用に撮影したもの)が載っている。となると、MailOnline紙では先に掲げたように「2008年以後公の場で(in public)写真を撮られたことはない」とか、「だが、この隠遁生活スターの姿は、2008年以来、写真に現れていない(冒頭見出し)」と述べているが、それは誤りであることになる。

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[17年ぶりのニューアルバム"My Heart"]

Myheart                                       アルバム"My Heart"(Wikipediaから)

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2013.10.14 MailOnline紙記事からの若干の補足

Mailonline_2
EXCLUSIVE - My fears for my darling Doris Day: Confidante who spent 40 years with the reclusive Hollywood star, now 91, worries about the hangers-on who now share her home - as he reveals unseen photos of their time together
"    Sydney Wood tells all about life with the Pillow Talk star - and his worries for her now
"    The British caretaker admits: 'Doris isn't what she used to be and she's now confined to her house for much of her days'-
"    He reveals secret visits by Sir Paul McCartney - and phone calls from her ex-love, President Ronald Reagan, from the White House
"    Doris Day has not been pictured in public since 2008


By Chris White
PUBLISHED: 17:39 GMT, 14 October 2013 | UPDATED: 21:58 GMT, 14 October 2013
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独占記事――愛するドリス・デイのことが心配。
 隠遁生活を続けるハリウッド・スター女優、91歳に達した女優を、共に40年以上を過ごしてきた親友が案じている。デイの住居にたかる寄食者らによって害を受けていると嘆いている。共に過ごした往時の未公開写真を開扉しながら。
・Sydney Wood氏が、Pillow Talk(邦題「夜を楽しく」、1959年映画」)主演女優の生活についてすべてを語り、その現状の心配事を明かす。
・Sirポール・マッカートニーが訪れたという秘密を明かし、以前の愛人、ロナルド・レーガンからの電話、ホワイトハウスからの電話を明かす。
・ドリス・デイは2008年以来写真を撮られていない。


Chris White記者
グリニッジ標準時間17:39、2013年10月14日


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 このような見出しから始まる記事であり、上に掲げた2013.10.25記事とかなりの部分が重なる内容のものである。
 10.25記事の補完材料となるような事項などをいくつか掲げておこう。

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 シドニー・ウッド氏はドリス・デイの下で約40年働いてきた。現在71歳。2000年にドリスの家を出た。お互いにお互いの神経に触るようになっていたからである。
 ウッド氏はイギリス、サフォーク州(Suffork)で生まれ育った。ドリス・デイのファンクラブを立ち上げ、手紙や電話で当人とやりとりした。1979年にデイから、自分の下で働いてくれといってきた。

 ドリス・デイは1968年、映画界から引退し、カリフォルニア州カーメルに立地する11エーカーの敷地の住居に移り住んだ。忠誠な使用人たちに助けられて世間の目から逃れる生活を送ることができた。名前をClark Kappelhoffに変えさえした。元来の名前がDoris Mary Ann Kappelhoffだったからである。
 めったにないことであるが、たまに、外に出て、景色のいい自宅周辺一帯を散歩した。メーキャップなしで、つばの広い帽子をかぶり、ジョギングパンツにスニーカーといういでたちで。

 かつては適切な使用人たちに適切に世話されていたが、いまでは異種の人々に囲まれている。連中は当人がドリス・デイというスターだからという打算的な理由で寄食しているだけで、当人の世話をしていない。
 実際、デイは、引退後も最近まで数十年にわたってずっと同じ家事使用人を維持し、その者たちを親しい友達のように扱った。ところが、今はこのざまだ。紙の皿で料理を出したりしている。以前には考えられなかったことだ。きちんとした家事運営に誇りをもっていた人だ。
 きれい好きで、ベッドルームに洗濯機を置き、いつも、自分ほどアイロンかけのうまい人はいないと自慢していた。箒を持たせたら放さない。私が表で掃いていると箒を奪い取ったりするのである。
 ウッド氏はカーメルの住居で、二度働いた。1919から1992と、2000年代の6年間である。

 ビートルズのスター、ポール・マッカートニーが突然電話してきたとき、デイに取り次ぐと、デイは、ウッド氏が冗談をいっているのだと思った。
  「ビートルズ? よしてよ、誰かのいたずら電話よ」。
その後、90分間も話をして、電話を切り、こういった、「ここに来たいっていうのよ、犬たちに会いたいって、私の映画のうちのある一つが気に入っているって、来て、私がやってきた仕事について語りあいたいって」。
 Sirポールは当時の妻と連れだって、鉢植え植物とGirl Scoutクッキーを手土産にやってきて5時間滞在した。ポールは今でも電話してくる。

 ドナルド・レーガン大統領のこと、1950年代初期に二人が共演していたころ、デイはドナルドを愛していた。当人がいうには、レーガンはそのころから政治を語っていた。運命が上手く運んでいれば、大統領夫人になっていたかもしれない。
 レーガンのことを偉大な大統領だと評価していた。デイは根っからの共和党員である。

 ドリスは4月3日に91歳の誕生日を迎えた。
 ウッド氏は、デイがみせる齢を感じさせぬバイタリティについて冗談をいったことを想いだす。
 「いつもいったもんです、『永久に生きるんですね、誰よりも長生きする』と。そうすると彼女は笑い流して、冗談はよしてというのです」。

 (イ)91歳だということと、(ロ)2008年以後写真を撮られたことはない、ということについては、10.25記事と同じである。
 先にも触れたが、なぜそう論じているのか、断じているのか、理由はまったく分からない。一般的見解からすれば「事実と反する」ことを、二度にわたって論じているのだから、何か理由があるはずだ。それは何か。

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↓下の画像が記事の全容である。

Photo
   2                                                                            (MailOnline2013.10.15記事)

{追記]
 続き記事 ― 2013.11.5にこの話題について「続き記事」を載せたので参照されたい。
 関連記事 ― このMailOnline記事をブログ題材にとりあたのには訳があるのだが、そのことについて2011.11.9記事で触れているので参照されたい。

―― 完 ――

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2013年10月15日 (火)

♪I'll Remember April(1942)に取り組んでいる。超絶人気スタンダードだが、変則構成曲で(16x3 or 8x6=48)、曲を覚えることすら難しい。歌詞と日本語訳を掲げておく。

2013.10.15
  いつまでもしつこい暑さ、熱さ、異常極まりない天候だったが、それも、やっと終わるか・・・その気配。ああ、よかった、やっとかい。
 それはうれしいんだが、十年一度の凶暴さだという台風が襲ってこようとしている。本土南方を、予想どおりに、25km/hで北上しているらしい、関東に上陸の恐れだって、kuso。
 机を据えた北東角部屋、左耳50センチのところに位置するブリキの雨戸がバラバラ鳴っている。
 まあ、それはそれ、今日の記事、I'll Remember April、アイル・リメンバー・エイプリル(定着邦題「四月の想い出」)を進めよう。
 前回記事(2013.10.09)の、まあ、「続編」みたいな記事だ。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 このI'll Remember April(1942)、もう、あらゆるアーティストが録音している超絶人気スタンダードだが、曲を覚えるのが、全体を頭に入れるのが、えらく難しい。
 友人が練習発表会でこの曲を弾くというので、こちらも、わがレパートリーに取り入れようという気になった。
 しかし、難しい。 
            ----------------前回記事から-----------------
 しかし、ところが、この曲、二回、三回と聴いても、その全体像を掴むのは難しい。そう、黙ってて、つまり、何度か聴いているうちに自然に、頭に入る曲、覚えられる曲ではない。
 ラララ、ラララリ、ラーララリ・・・。最初の4小節は、なぜかしらん、これ、頭にこびりつく。覚えようとしなくても。ラリリ、ラララリ、ラー、次の4小節も二度三度聴くうちに、まあ、記憶される。
 だが、その後は難しい。その後何度聴いても、意識的に覚えようとしない限り、頭に入らない。すなわち、「この後、どうだったかな」ということの繰り返しになる。


 曲は、特異な[ABA']の16x3=48小節であり(あるいは、[ABCDAB'、8x6=48)、一般にみる[AABA、32小節](8+8=16+サビ8+8)といった馴染みものではない。つまり、そういった(標準的な)流れを前提にして、というか流れに沿って旋律を構想したものではない。そういう、「こうきたから、次はこうだろう」といった、いわば「予測できる」旋律構成にはなっていない。
 歌を覚えるには、あるいは、曲が吹けるようになるには、意識的に覚える、何度も繰り返して覚え込む「練習」が必要だ

                            --------------記事引用終わり--------------

 歌詞と日本語訳を掲げ、周辺事情などについて語ってみよう。
 まずは、どんな曲なのか、歌を聴いてから。

■ Frank Sinatra - I'll Remember April
  元来意図されているテンポより(おそらく)遅く、ゆっくりと唄っている。

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■歌詞と日本語訳
                               ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]
                        I'll remember April
                        
    (w)Patricia Johnston, and Don Raye   (m)Gene DePauland, 1942

This lovely day will lengthen into evening,
We'll sigh good-bye to all we've ever had.
Alone where we have walked together,
I'll remember April and be glad.

I'll be content, you loved me once in April,
Your lips were warm and love
     and spring were new.
But I'm not afraid of autumn, and her sorrow,
     for I'll remember, April and you.

The fire will dwindle into glowing ashes,
For flames and love live such a little while.
I won't forget, but I won't be lonely,
I'll remember April, and I'll smile.

                      四月の想い出  (定着邦題を生かす)    (独自訳)
今日、この最高の日も、やがて、たそがれ、
ぼくらは、ため息で、別れを告げることになる。
 二人で過ごした、あらゆることに。
 ぼくはこの先、あの、一緒に歩いた場所に道に、独りぼっちでたたずみ、
四月を、愛し合った日々を想いだし、うれしく想い出に浸ることになる。

だけど、それでいい、運命に甘んじよう。
 今日の想い出があるもの、君との愛の四月が。
君の唇は暖かく、恋も春も新しく新鮮だった。
秋が、哀愁の秋が来るけど、
 ぼくは恐れはしない、悲哀も感じない。
四月を、君のことを覚えているから。

火の炎も、恋の炎も、やがては衰え、灰の輝きを惜しみつつ、遂には消える。
炎にも、恋にも、宿命があるから、寿命は短いという宿命が。
だけど、ぼくは決して忘れないよ、寂しい気持にもなりはしない
四月を思い出し、微笑むんだ。

 
[翻訳工房]
    (以下、断わりのないかぎり、英語語句に対する日本語訳は、「小学館英和中辞典」による)
1.推測で語ることの断り
 この曲は映画の劇中歌として世に出たものだというのだが、歌詞には、実際に映画を観ていないと、はっきりとした意味がつかめないところがある。すなわち、誰が誰に対して、どのような状況の下で、何を訴えようとして唄ったかとうことを知ることが肝要なのだが、当ブログ主は映画を観ておらず、そこらの事情を充分につかめない。
 したがって、掲げた日本語訳には「おそらくこうであろう」と、推測で物を言っている部分が多い。まず、そのことを断わっておく。

 曲は1942年の"Ride 'Em Cowboy"(邦題「凹凸カウボーイの巻」)(*1)という映画で世に出たものである。ただし、楽譜自体は1941年に、おそらく暮れのことであろうが、出版されたという。翌1942年2月に映画が公開され、3月にWoody Herman and His Orchestra(ウディ・ハーマン楽団)がレコードを出してポップ・チャート23位につけたとされる。(JazzSrandards.comから)

 映画は、当時の超人気喜劇コンビ、" Abbott & Costello(アボット&カステロ)"主演による喜劇映画である。だが、まあ、実質的にはこのコンビが主役なのだが、一応、形式上は、恋物語仕立てとして、主演男優/女優というものが存在する。
 こうだ。
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 ブロンコ/Bronco Bob Mitchell (男優、Dick Foran)は、超売れっ子西部劇小説作家なのだが、実際には、西部に足を踏み入れたこともない男だ。そのことを新聞記事で暴露され、ファンの抱くイメージを損ねかけている。そこで、ロング・アイランドで開催される慈善ロデオ大会に出演して、いいところを見せて挽回をはかろうと画策する(ロデオ画像 )。
 ところが、馬に乗っているときに、近くで子牛の逃走騒ぎが起こり、馬が暴れて振り落とされてしまう。アン/Anne Shaw (女優、Anne Gwynne),が場に飛びだし、牛を引き倒してブロンコを救う。
 アンはこの救出劇で負傷し、予定していた大会賞金10,000ドルを逃がしてしまう。ブロンコは救助に感謝してはいるものの、アンは、ブロンコの都会っ子的なずる賢さみたいな雰囲気に嫌気がさして、アリゾナに、父親が経営している観光客用牧場に戻る。
 ブロンコは、謝ろうと、アンを追ってアリゾナに行き、本腰を入れてカウボーイ修行にいそしむことになる。(Wikipediaから)
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 さて、この、ブロンコが、アンに向かって唄うわけである。
        (どういう状況下で唄うのかということが分かればうまいのだが、映画を観ていないのでつかめない)
 ある映画評論家は、次のように語っている(JazzSrandards.comから)。
――I'll Remember Aprilは、狂気渦巻くなかで一瞬正気を取り戻すことのできるオアシスである――

*1."Ride 'Em Cowboy"の直訳的な意味は、「荒馬どもを、全部乗りこなしちゃえ、カウボーイ]というようなことである。「'em」は、"them"のことである。つまり、暴れ馬(かん馬)のこと。

2.語句の意味
(1)This lovely day will lengthen into evening,

(i)"This lovely day"
 まず、"lovery"の意味だが、「よく晴れて気持ちのいい日」みたいな天候のことを表わしているのではなく、恋愛面での「素晴らしい 日」、例えば、「念願の恋が成就した日」、「二人の気持ちがぴったり合わさって、恋が燃え盛った日」といった意味であろう。
次いで、
 
(a)二人が現在身を置いている「今日」のことをいっているのか、つまり、「今日、この素晴らしい日」といっているのか、それとも、   
 (b)「このような素晴らしい日」といっているのか、
  つまり、それは、「今日」のことかもしれないが、そこに重点はなく、いわば、一般的に素晴らしい日」といっているのか。
 「(a)」と解釈した。
(ii)"lengthen into" - (vi)延びて(.........)になる。
   「(i)、(ii)」参照。二人の恋の行方を示しているわけである。
(iii)"evening"
  ここでは"the"は付いていないのだが、 "the evening"で、晩年、(一般に)末期、何々の衰退期、the evening of life=人生のたそがれ、晩年。
 つまり、(i)との相関で、「今日このように燃え盛っている二人の恋も(あるいは、恋は)、やがて勢いを失っていく、いこうとしている」ということを述べているのである。
 いうならば、外形上の「晴れたこの日もやがて夕刻を迎えてたそがれる」という文章によって、二人の恋が進もうとしている方向を暗喩的に示しているのである。

(2)We'll sigh good-bye to all we've ever had.
  "all we've ever had"- これまでに過ごしてきたあらゆること。
  ネットには、「今日一日、これまでやってきたこと、すべて」と解している者がいるが、 おそらく違う。
 その場合には、"all we've had today"といいった表現になるはずである。ここでは、"ever had"となっている。
  知り合ってからこれまで、というよりも、多分に「恋中に」なってからこれまで二人でやってきた様々なこと、こういうことだ。

(3).I'll remember April
  "April" - 「四月」って、語っている今は、四月なのか。
   "this April"とか"the April"となっていないので、抽象的に「『四月』というもの」といった意味にもとれる。おそらく、ブロンコが唄っている現時点は、「四月のある一日」なのであろう。そして、その日は、上記(1)で述べたように、「恋が燃え盛った」日なのである。
 二人の関係は止もうとしているが(なんらかの原因で)、この日、「燃え盛った日」のことを忘れない、想いだすということを訴えているのである。
 その日のことを"April"、「l四月」で表わしているのである。
 こう解釈した。
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Raye’s and Johnston’s narrative relates how two parted lovers will remember the past, a similar theme to the one employed by Dorothy Fields in 1936’s “The Way You Look Tonight.”
  RayeとJohnstonによる歌詞は、別れ行こうとしている恋人どうしが、将来において過去のことを回想する様(
愛しく想いだす)、ということに関係する。ちょうど、1936年の曲"The Way You Look Tonight."において作詞家 Dorothy Fieldsがその歌詞で狙ったテーマと同じである。       (JazzSrandards.comから)
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  まあ、とにかく、映画を見ておれば一発で解決できる問題なんだけどね。


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                                  (左)Ride "Em Cowboy                   (右)William "Bud" Abbott and Lou Costello

Photo                     Dick ForanAnne Gwynne
            この1940年代活躍女優は、第二次世界大戦中の人気ピンアップであったそうだ(画像)。

■Ride 'Em Cowboy Official Trailer #1 - Lou Costello Movie (1942)

  (映画予告編)


2  
これって、アリゾナまでロデオ娘を("cowgirl"、カウガール)追っかけていって、再び結ばれた後の場面かい。男は、娘の指導によりカウボーイ生活を学び、乗馬技術その他を習得して真のカウボーイとなり、娘率いるロデオ・チームの一員として州チャンピオンを決めるロデオ大会に出場し、優勝したりするんだけどね。

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2013年10月 9日 (水)

♪"A-Tisket A-Tasket" ― I'll Remember April(ジャズ・スタンダード)"のことを調べていて、Ellaのこれに出会った。初めて知る。ついでだがら、その歌詞と日本語訳を掲げておく。

2013.10.9
 暑いね、いつまでたっても。このところ「記事書き」が停滞している。早く戻さなきゃ。  

       
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一、.I'll Remember April
 I'll Remember April(四月の想い出))というジャズ・スタンダード歌がある(*1)。ジャズ愛好者/奏者なら、頻繁に耳にする曲だ。そして、一度耳にすると、頭にこびりついて離れなくなる旋律を持っている。
 しかし、ところが、この曲、二回、三回と聴いても、その全体像を掴むのは難しい。そう、黙ってて、つまり、何度か聴いているうちに自然に、頭に入る曲、覚えられる曲ではない。
 ラララ、ラララリ、ラーララリ・・・。最初の4小節は、なぜかしらん、これ、頭にこびりつく。覚えようとしなくても。ラリリ、ラララリ、ラー、次の4小節も二度三度聴くうちに、まあ、記憶される。
 だが、その後は難しい。その後何度聴いても、意識的に覚えようとしない限り、頭に入らない。すなわち、「この後、どうだったかな」ということの繰り返しになる。

 曲は、特異な[ABA']の16x3=48小節であり(あるいは、[ABCDAB'、8x6=48)、[AABA、32小節]、[8+8=16、サビ8、+8)といった馴染みものではない。つまり、そういった(標準的な)流れを前提にして、というか流れに沿って旋律を構想したものではない。そういう、「こうきたから、次はこうだろう」といった、いわば「予測できる」旋律構成にはなっていない。
 歌を覚えるには、あるいは、曲が吹けるようになるには、意識的に覚える、何度も繰り返して覚え込む「練習」が必要だ。

 今日のこの記事、話は、友人がコンサートでこれを弾くということから始まった。 
 「ああ、あの有名なスタンダード曲だな」。
 こういう認識はあるのだが、冒頭メロディしか浮かばない。「その曲知っている」ということにはならない。歯がゆい、腹立たしい。「スタンダードの鉄人」を自称する身としては。
 そこで、改めて本格的に曲を攻略することにし、それと向かい合った。パーカー(Charlie Parker)その他の演奏を聴き直した。
  楽譜で構成をよく吟味し、ネットで曲の由緒というか起源というか、そこらを調べ、手持ち楽譜集から楽譜と歌詞を紙に記し、何度か旋律を追ってみて、全体構成の音の流れ、A(16)B(16)A'(16)を頭に馴染ませようとした。 
 何度もくどいが、この曲、その旋律、頭に入れるには「訓練」が必要だ。

*1.「ジャズ・スタンダード」につき、当ブログの関連過去記事を参照されたい。
     →「♪ジャズ・スタンダード(Jazz Standards)とは何か、その1その2その3

二、A-Tisket A-Tasket
  I'll Remember Aprilは、1942年の"Ride 'Em Cowboy"(邦題「凹凸カウボーイの巻」)という映画で世に出たものだという(Dick Foranという役者が唄った)。映画は、当時の超人気喜劇コンビ、" Abbott & Costello(アボット&カステロ)"主演による喜劇映画である。 
 

                                  (左)Ride "Em Cowboy                   (右)William "Bud" Abbott and Lou Costello

 こういうことを調べていて(Wikipedia)、エラ(Ella Fitzgerald)がその映画に出演して、劇中でA-Tisket, A-Tasketという曲を唄っているということを知った。ジャズ・スタンダードになっているという(見よ→当ブログ過去記事、「ジャズ・スタンダード曲リスト)。

 うん?、どういう曲か。普通、Wikipediaやなにかで、「誰々が、このブロードウェイ劇/映画の中でコレコレの歌を唄っている」という記述を目にしても、自分が知っているスタンダード曲でなければ、それを追っかけて、どういう曲か耳で確かめるという作業はしないのだが、今回はそれをやった。
 (おれの知っている曲でなければ――それは、かなりの数に上ると自負しているのだが――、そんな曲はすでにすたれ去ったものだから、顧みる必要はない、と、まあ、不遜だが、こういう意識が働くんだね、ハハ)

 おもしろい曲だ。歌詞と日本語訳を掲げておく。

■Ella Fitzgerald - A Tisket a Tasket ( Ride Em Cowboy) - 1942


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A-Tisket A-Tasket (ア・ティスケット・ア・タスケット)
1.元来は童謡
  英語圏で唄われている童謡であり、19世紀末に初めてアメリカ合衆国で記録(録音)された(1879年に、アメリカでその存在が初めて公に認識された)。「ハンカチ落とし遊び」(*2)で使用される唄として知られるという(Wikipedia)。
 「Roud Folk Song Index - 13188」として認識される。
 すなわち、 Steve Roud(スティーブ・ラウド)という英国人によって編纂された童謡全集データベース、Roud Folk Song Index(ラウド・フォークソング・インデックス、ラウド編纂民謡全集)に、指標13188として載っている。全集には約25,000曲が収容され、200,000件近くの参照データが収められているという(Wikipedia)。

*2.児童が輪になって回り、唄い、踊る。一人だけは、つまり、日本の遊びでいう「鬼」だが、鬼は輪の外側にいる。鬼は、唄の終 わりで、ハンカチを、その時点で自分に最も近いところにいる児童の背面に落とし、すぐさま、予め定まっている自分の居場所(輪の空きスペース)に逃げ戻 る。鬼がそこに到着する前に、「ハンカチを落とされた児童」が鬼を捕まえると(身体にタッチするなどして)、鬼は、もう一度鬼役をやる。うまく逃げ戻った 場合には、ハンカチ児童が鬼になる。ほぼ、こういうことであろう。

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[元来の唱]
    A-tisket a-tasket
    A green and yellow basket (I lost my yellow basket)
    I wrote a letter to my love
    And on the way I dropped it,
    I dropped it,
    I dropped it,
    And on the way I dropped it.
    A little boy he picked it up and put it in his pocket.

                *二行目は、括弧内のように唄われることもある。

2.Ellaバージョン
 エラは、この元歌をベースにしてジャズ曲(歌)を創り(Al Feldman、後年Van Alexanderと称す、との協働作業で)、1938年、チック・ウェブ・オーケストラ(Chick Webb)をバックに唄って、爆発的ヒットを仕留めた(Chick Webbとの関係につき、この過去記事参照)。

[Chick Webbのこと]
 <<過去記事から>>
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■Stompin' at the Savoy(ストンピン・アト・ザ・サボイ/邦訳=「サボイでストンプ」)
   「『サボイでストンプ』」といや、ベニー・グッドマン」みたいな感じでとらえていた曲だが、ニューヨーク、ハーレム(Harlem)にあった"Savoy Ballroom"(サボイ・ボールルーム、ダンス劇場)のハウスバンド(1931年から)、Chick Webb(チック・ウェブ)楽団のオハコであった曲としても知られているという。

 チック・ウェブは、Buddy Rich(バディ・リッチ)やLouie Belson(ルイ・ベルソン)など多くの後続者/同輩に影響を与えた名ドラマーだったとされる。(画像)

Photo  サボイは、「バンド・バトル」で名を売った。すなわち、当時の一流ビッグバンドをゲストとして呼び(複数のときもあろう)、これとチックのバンドとを噛みあわせて競争させ、舞踏客/観客にどちらが(どれが)勝ったか投票させるのである。
 競争する二つのバンドは、対向位置にあるバンドスタンドで向き合って演奏する。まあ、ドラム合戦なんか派手にやったんだろうね。
 そんなことで、Benny GoodmanやCount Basieなどのオーケストラがやってきたが、一夜が終わるとき、客は、決まって、チックのバンドを「ベスト」だとしたそうだ。

 Chick Webbバンドは"King of Swing"(スイング王)の称号を受けるに最もふさわしいバンドだみなされていた。Art Blakey(アート・ブレイキー)とDuke Ellington(デューク・エリントン)は、自分の音楽に影響を与えた人物だと評している。

 23_2 チックは、Ella Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)を育てたことでも知られている。1935年に、まだ10代だったエラに(生年月日からして17か18歳)主役歌手の座を与えて活躍を支援しはじめたとされる。チックは1939年に34歳で死んだが、その後3年ほど、エラが後継者としてバンドを率いた。チックがエラを養女にしていたという説もあるが、噂にすぎないとする論が有力である。

  右の写真だが(Wikipediaから転載)1940年1月撮影のものだという。ということは、1917年生まれだから、23歳だ。この人の写真は、「おばさん」風のものしか、これまで見たことがないという感じだが、珍しね。

 チックは、幼少時から脊柱結核を病み、小柄で、背骨の変形した人物だった。しかし、そのドラミングは力強く、卓越した技量によるものであった。(以上、Wikipediaから)

 なお、この曲の共同作曲者としてベニー・グッドマンの名が掲げられているが、実際には何もしていないとされる。

*Stomp(ストンプ)とは、ダンスの一種である(stompin '= stomping)

                       ――過去記事引用終わり―――

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                              ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]
   
              A-Tisket  A-Tasket
A-Tisket A-tasket,
A brown and yellow basket,
I send a letter to my mommy,
On the way I dropped it.

I dropped it.
I dropped it.
Yes on the way I dropped it.
A little girlie picked it up
And put it in her pocket.

She was truckin on down the avenue,
But not a single thing to do.
She went peck peck pecking all around,
When she spied it on the ground.

She took it.
She took it.
My little yellow basket.
And if she doesn't bring it back, I think that I will die.

A-tisket A-tasket,
I lost my yellow basket.
And if that girl don't return it
I don't know what I'll do.

Oh dear I wonder where my basket can be.
(So do we, so do we, so do we, so do we, so do we.)
Oh gee I wish that little girl I could see.
(So do we, so do we, so do we, so do we, so do we.)

Oh why was I so careless with that basket of mine?
That itty bitty basket was a joy of mine!

A-tisket
A-tasket,
I lost my yellow basket.
Won't someone help me find my basket,
And make me happy again? Again.

(Was it green?) No, no, no, no.
(Was it red?) No, no, no, no.
(Was it blue?) No, no, no, no.

Just a little yellow basket.
A little yellow basket
!

              ア・ティスケット、ア・タスケット
ティスケット、タスケット
茶と黄のバスケット
ママに手紙を書いたの。
それを入れて郵便局に行く途中で、
 バスケット、籠(かご)、落としちゃった。

落としちゃった、
落としちゃった、
そう、手紙出しに行く途中で、落としちゃった。
小さな女の子が籠を拾って、
手紙をポケットにしまい込んじゃった。

その子は、通りを、何やらいわくありげに、ゆっくり進んでいたの。
でも、実際は何もしてやしない。
ただ、そこらじゅうを、コツコツとつついて、つついて、
 つつきながら歩いて行っただけ。
 地面に落ちた籠を見つけて、横目で密かに見張る。

そして、籠を拾い上げた、
拾い上げた。
私のちっちゃな黄色い籠を。
その子が返してくれなきゃ、私、死んじゃうかもしれない。

ティスケット、タスケット
黄色いバスケットを無くしちゃった。
あの子が返してくれなきゃ、
私はどうなるかわからない。

アア、ねえ、あの籠、どこにあるのかしら。
(そうだ、そうだ、そうだ、そうだ!)
アーア、あの子を見つけることさえできれば、
(そうだ、そうだ、そうだ、そうだ!)

なんて、バカだったの、
 籠、もっと気をつけていればよかったのに。
 あのちっちゃな籠は、私の宝物だったのに。

ティスケット、タスケット
黄色いバスケットを無くしちゃった。
だれか、探すの助けてくれない。
楽しい生活に戻してくれない、もう一度、もう一度。

緑の籠かい――違う、違う、違う。
赤の籠かい――違う、違う、違う。
青かい――違う、違う、違うったら。
ちっちゃい、黄色い籠よ!

ちっちゃい、黄色い籠。


[翻訳工房]
1."A-Tisket A-tasket"
 "basket"に引っかけた「ことば遊び」であろう。
 「かーごめかごめ、かごのなかのとーりーは、いついつねーやーる」、みたいな。
2."I dropped it"
 落としたのは手紙かバスケットか。
  "it"は何を指しているか。"letter"なのか"basket"なのか。
 13行目までは、"it"は「手紙」とみるのが素直であろう。
 その後は、「籠」を指している。
 文章面ではこういうことになる。
   (ついでにここで触れておくと、唄の主人公は、♀、児童から思春期入りたてぐらいの女の子である、当然のことながら)
 
 もちろん、両方落とした、失くしたのである。手紙の入っている籠を落としてしまったのだから。母親あてに書いた手紙を小さなバスケット、手提げ籠に入れて、ルンルンで、郵便局にそれ(手紙)を出しに行ったわけだが、途中で籠を落としてしまった(失くしてしまった)。路上でそれを拾った女の子は、籠から手紙を取り出して、それをポケットにしまい込んだのである。だからといって、手紙だけしまい込んで籠はおっぽったなんてことをしたのではなくて、籠も依然として手にしているのである。
 ここに掲げたエラの(その創作による)歌詞では、失くしたのを残念がっている対象としては、「バスケット」に重点がある。

 元来の童謡では、先にみたように、「手紙」は、恋人に宛てたもの、ラブレターみたいなものとされている(letter to my love)。
  その場合には、失くしたことを悔やんでいる対象は、「手紙」に重点が置かれる。
 「取り戻すことができなければ、死んじゃう」、「何をしでかすか分からない」、というセリフも、ピッタシとなる。
 
 ただまあ、エラの場合にも、手紙は母親宛のもので、他人に見られて特に差しさわりがあるものではないともいえる反面で、「バスケット」は、宝物として大事にしていたものだとしているから、籠に重点を置き、「死んじゃう」、「何をしでかすか分からない」というセリフもまんざら、おかしい、「整合性に欠ける」、ということにもならない。

3."truckinng on""peck peck pecking"
  She was truckin on down the avenue,
   But not a single thing to do.
 She went peck peck pecking all around,
 When she spied it on the ground.

(i)"truckin on" }
     <<何かを探すというような目的の下に慎重な態度でゆっくり歩く>>
 こういうことではないかと考えたのだが、合っているかどうか。
(ii)"peck peck pecking"
 
「鳥がくちばしでつつく」、こういうことではないか。つまり、それに擬して、「道路のそこらじゅう、隅々を、何か貴重なものが落ちてないかどうか、見回しながら進む」、こういうことを述べているのではないかと考えた。
 合っているかどうか。

4."itty bitty" basket
 
itty-bitty = ちっぽけな、ちっちゃい (
こまごまとした、くだらない、という意味を表わすこともある)


 

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