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2014年1月

2014年1月24日 (金)

♪Wreck of the Old 97(97号列車の脱線事故)というカントリー曲を知った。周辺情報を調べた。えらく興味深く、雑学増大にも大いに役だった。曲の歌詞と日本語訳を掲げ、知り得た雑学のおすそ分けをしよう。

2014.1.17
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James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-xxx)。
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 こういうシリーズ記事を書いてきている(→相互リンク機能を付した記事一覧 )。
 その"Part-13、最終場面で(物語の最後に非ず )、 
主人公アイリー(Iry Paret、30歳)がWreck of the Old 97(オールド97の脱線事故)というカントリー曲を弾く。
「注」

  "Ole 97"、"Ole' 97"と表現する例も多く、著者Burkeも"Ole 97"としている。OleまたはOle'はOldの南部的俗表現である。また、著者は "The Wreck of the Ole 97"と、"The"を付しているが、Wikipediaに倣って付けないことにする500万枚売れたという1924年のVictorレコード盤の表示でも(↓に下に画像)、"The"はない。

 モンタナ
州、北部ロッキー山脈西側、Bitterroot Valley(ビタールート)の牧場で、穴を掘ってフェンス支柱を立てるという作業を朝から午後遅くまでやり、牧場正面から斜面底部沼地まで完成させるという目標を達成し、肉体的疲労は感じるが、「まっとうな仕事」をした、という充実感に浸りながら山小屋に戻り、小屋の裏手の渓流で「夕まずめ」時に喉裂き鮭(Cutthroat troute見よ )を釣り、小屋の主人、ムショ友達、アンゴラ(ルイジアナ州刑務所見よ )で知り合った友がニンニク胡椒風味で魚をバター焼きしているあいだ、缶ビールとピックギターを手に正面ポーチに出て、弾く。
 情感溢れる描写のなかで作者が弾かせる曲だ。
 「どんな曲か」。
 当然こうなる。
 そこで、YouTubeで聴き、周辺情報を調べた。
  わあ! 実におもしろい。
 事故がおもしろいといってるんじゃないよ、不謹慎にそんなことをいっているのではない、歌がおもしろいんだ、念のため。

 歌詞と日本語訳を掲げておく、併せて、仕入れた周辺情報を披露しておく。
                                 
 ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]


                   Wreck of the Old 97
                              Lyrics: Fred Jackson Lewey, Charles Noell
                  Melody: "The Ship That Never Returned"(by Henry Clay Work, 1865)

Well they gave him his orders in Monroe Virginia,
Sayin "Steve you're way behind time,
This is not 38, this is Ole' 97,
You must put her into Spencer on time."

So he turned around and said to his black greasy fireman
To shovel on a little more the coal.
And when we cross that White Oak Mountain
You can watch ole' 97 roll.
.........................................................
It's a mighty rough road from Lynchburg to Danville.
It's a line on a three mile grade.
It was on that grade that he lost his airbrakes.
You can see what a jump he made.
      
(↓Jhonny Cash/ジョニー・キャッシュはこの部分を次のように唄う。↓YouTubeビデオ)
    
Then a telegram come to Washington station.
        And this is how it read.
       "Oh that brave engineer that run old Ninety-Seven,
        He's a-lyin' in old Danville dead".

.......................................................................

He was goin' down that grade makin' 90 miles an hour.
When his whistle broke into a scream,
He was found in the wreck with his hand on the throttle,
Scalded to death by the steam.

So ladies you must take warnin'
From this time on and learn.
Never speak harsh words to your true lovin' husbands.
They may leave you and never return.

I said ladies you must take warnin'
From this time on and learn.
Never speak harsh words to your true lovin' husbands.
They may leave you and never return,
They may leave you and never return.

                        
 (Wikipediaから。但し、カンマ、ピリオドは当ブログ主による)

                             オールド97の脱線事故 (97郵便急行の脱線事故)
あのな、バージニア州モンローで、司令部は男に指示したんだ。
時刻表に遅れてるからなと、
38便じゃないぞ、泣く子も黙る97便だぞと、 
スペンサーに時刻表通り到着しろと、
スティーブにそう言った。

そこで、機関士はあちこち見まわし、
振り向いて言う、油汚れの黒人火夫に、
石炭をもっとくべろと。
 やがて、ホワイト・オーク・マウンテンの峠を越えると、
列車は転がるように突き進む。
.....................................................................
リンチバーグからダンビルまでは、難所だらけのきつい線路だ、
事故の場所、そこは三マイルの下り坂。
エアブレーキが効かなくなったのはその坂だ。
当然だ、列車はジャンプして転落した。

  (↓Jhonny Cash/ジョニー・キャッシュはこの部分を次のように唄う。↓YouTubeビデオ)
     そして、ワシントン駅に電報が入った。
     こうだ。
     「あの勇敢な機関士、Old 97を運転していた男、
     彼はダンビルで横たわっている。死体で」。

....................................................................

スティーブは、時速90マイル、下り坂を突き進む。
汽笛がブレーキ悲鳴に変わり、
男は、機関車残骸の中で死んでいた。
 スロットルに手をかけたまま死んでいた。
蒸気で死んだ、蒸し焼きにされて死んだ。

 ハハ、だからな、カアチャンたち、
分かったろう、教訓だ、
これからはな、可愛い亭主にな、
 荒々しく迫っちゃ駄目だぜ、うん、何をってか・・・アレ、アレよ。
家を飛び出して、戻ってこないかもしれないから。

  いいかい、カアチャンたち、
分かったろう、教訓だ、
これからはな、可愛い亭主にな、
 荒々しく迫っちゃ駄目だぜ、うん、何をってか・・・アレ、アレよ。
家を飛び出して、戻ってこないかもしれないから。
家出して、戻ってこないかもしれないから。

[翻訳検討など]
1.作詞/作曲
  歌詞は、Fred Jackson Lewey, Charles Noell とした。
 「その歌、俺が作ったんだ」として著作権争いがあったが、連邦最高裁判所で決着がついた。後で詳述する。
 メロディは、1865年にHenry Clay Worという人が作った"The Ship That Never Returned"(「二度と戻らなかった船」の意)という曲のそれを借用しているのだという。
  後で再度触れる。

2."This is not 38, this is Ole' 97"
      (38便じゃないぞ、泣く子も黙る97便だぞと)
  「38」、「97」というのは、その列車が従事する業務を区別するための番号だという。つまり、旅客列車、貨物列車、特殊貨物、郵便列車、各々につき、鈍行、急行、特急、超特急郵便、諸視点からのさらなる細分化といった業務区別、それを表わす番号である。
  この点に関して、機関車の型式(技術仕様)を示す「機関車番号」というのがあるが、それではないという。この機関車は、1102型機関車だった(ココから。そのwebページの記述の一部を後掲)。
 
 Wikipediaによれば、この"97"列車の正式名称は"Fast Mail"(郵便特急、郵便急行、速達郵便列車)だという(見よ)。
 Old 97(Ole 97')という愛称、俗称で呼ばれたのは、次のような用法によるものであろう。 すなわち、My old man went to New York...(おれの親父、わたしの亭主/旦那)とか、"You, old boy, can't you see ......"(おい、お前.......)」と友人などにいう場合の"old"、親しみの意味を込めた"old"であろう(「老いた」とか「古い」という意味とは直接的には関係しない)。

 なお、「泣く子も黙る97便だぞ」としたのは次の理由による。
 すなわち、この列車は、「絶対に遅れない列車、遅れた試しがない列車」という異名をとっていたのである。

3."he lost his airbrakes"
  (エアブレーキが効かなくなった)
  列車のエアブレーキ(圧縮空気ブレーキ)とは、「空気圧縮機で『元空気タンク』と呼ばれるタンクに圧縮空気を溜めておいて、運転席のブレーキ弁でブレーキ力を制御する仕組みのブレーキである(ココから)。

4.Scalded to death by the steam.
 (蒸気で死んだ、蒸し焼きにされて死んだ)
 汽笛の悲鳴と物音と舞い上がる埃で事故を知り、近隣住民が駆け付けた。何体かの遺体を車体残骸から引き出そうとした歳に、皮膚というか肉というか、それが、ペロリと、というよりも「ズルーッと」という表現の方がいいか、とにかく、剥けた(むけた)、骨から剥がれたという情報がある(ココ)。
 そこで、英文は単に「蒸気で火傷(やけ)死んだ」 となっているのだが、「蒸し焼きにされて死んだ」を加えた。
 機関士、スティーブ当人だが、彼は救助隊が到着した際にまだ生きていたという説もある。すなわち、横転した機関車の運転席で構造物に足を挟まれ身動きできない状態であり、脚を切断して助けようとしたが間に合わず、上から垂れてくる熱湯で火傷(やけ)死んだとする。

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 上記「38 vs 97」について情報を仕入れたWebページの記述の一部を掲げておく。
[Answers]
The numbers "38" and "97" were Train numbers on the schedule, not locomotive numbers. Mail train #97 was an important mail train from Washington DC to Atlanta, GA. The mail contract was lucrative ($140,000 per year) but the Southern had a substantial monetary penalty for each minute the train was late. Hence, "you MUST bring put her in Spencer on time."


[返答]
  「38」、「97」という数字は、従事業務を区別するための列車番号であり、機関車の型式番号ではありません。「郵便列車97号」は、ワシントンDCと ジョージア州アトランタを結ぶ重要な郵便列車です。郵便物輸送契約は非常に儲かる仕事でした(年間140,000ドル)。しかし、Southern社(引 用者「注」―Southern Railway社)としては、列車の遅れ時間に対して多額の違約金を支払わなければならないことになっておりました。
 列車をスペンサーに時刻表どおりに、「何が何でも」到着させろ、と指示されたのは、この故なのです。
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Wreck of the Old 97 Johnny Cash (歌詞付き)
 
 (バカでかいサイズにしたが、事故状況がよく分かるようにするためである)

Old97

  [上から下に順に、Washington D.C.(楕円)、Monroe(バージニア州、四角)、事故現場(州境に近いDanvilleという町のそば、小楕円X印)、Spencer(ノース・カロライナ、四角)、Atlanta(楕円)]


971
  ↑
Stillhouse Trestle(スティルハウス構脚の事故現場。「構脚」とは、架台としての堅固な枠組みのことである(見よ)。下り坂の終点あたりが4フィート(1.2m)高さの構脚上を走るようになっており(雑木林のような場所を走り抜けていたようだ)、上の事故現場画像に見る鉄橋に続いていた。この鉄橋はStillhouse Branch(スティルハウス支流)という谷川(峡谷)にかかるもので、列車は鉄橋に入りきれず、谷に転落した。こういうことのようだ。。
 事故の知らせに、近辺の人が救助や見物に集まった。下段左画像は、日曜日の正装をした婦人たちが、救助支援をしているところ。下段真ん中が事故現場の現状。現在は構脚は存在しない。歴史的な鉄道事故現場であることを示す表示板が立っている

 上段左端は、現場から回収して修理した後に再び仕事に就いた機関車、――別路線で就業したのだというが――その機関車のことを報じた、雑誌かなんかの記事、あるいは、博物館資料。

2
                         Lynchburg(上)とDamvill(下)の間の線路は難所続きだったという。Google地図でこの場所を拡大すると、その様子がよく分かる。
                 ずっと、峡谷の中を走っている。

[1102型機関車]
  Old 97列車の機関車は、1102型機関車だった。「4-6-0」形式の10車輪機関車である。その1102機関車は、事故からほんの10ヶ月前にフィラデルフィアのBaldwin Factory(ボールドウィン工場)から納入されたばかりの「新車」であった。

97             (↓下のYouTubeビデオ、アマチュア歴史愛好家による「The Wreck of the Old 97」から)


[1102型機関車]

2011             (1102機関車。↓下のYouTubeビデオ、アマチュア歴史愛好家による「The Wreck of the Old 97」から。

2011_2

      (同じく1102機関車。Southern Railway社は、事故破損機関車を現場から回収して修理した。
      その再生機関車は1930年まで働いた。画像は、修理後の姿だという(ココから)
 

[4-6-0形式]460_5
 
  [4-6-0構造。先輪(leading wheels) → 2x2=4連結駆動輪(Powerd-and-coupled-driving wheels) → 2x3=6
                      従輪(Trailing wheels) → 0]

460_6              [先輪(leading wheels)(赤枠) - 2x2=4車輪は、駆動はしない。カーブ走行制御と
                             ボイラー前部支えの役割をする] (画像はWikipediaから。但し、向きを変えてある)

4600               [従輪(Trailing wheels)。重い負荷を引っ張っての発進時など、臨時の追加動力を必要とする場合に使用する駆動車輪。
                             論じているOld 97、すなわち1102型機関車には備わっていない。すなわち、"0"]
                                  (画像はWikipediaから。
但し、向きを変えてある)

460                      [連結駆動輪。画像はWikipediaから。但し、向きを変えてある]


Wikipediaからの情報

  (記述の一部分を掲げる)
概略
 "Old -97"列車はSouthern Railway(サザン・レイルウェイ)社の列車で、正式名称を"Fast-Mail"(速達列車)という。ワシントンDCとジョージア州アトランタ(Atlanta)を結ぶ列車便で、1902年12月に運行を開始した。
 1903年9月27日、バージニア州(Virginia)のMonroe(モンロー)駅からノース・カロライナ州(North Carolina)のSpencer(スペンサー)駅に向かう途中で、列車はStillhouse Trestle(スティルハウス構脚。州境近くにDanvilleという町があり、その近く)で脱線事故を起こした。
  この脱線事故に基づいて有名な鉄道歌謡が世に現れた。その歌は複雑な著作権訴訟の対象になったが、カントリー音楽の分野で人気となった。

事故
 1102型機関車を運転していた33歳の機関士Joseph A. Broady("Steve")/ジョセフ A. Broady(愛称「スティーブ」)が、列車の遅れを取り戻してスペンサー駅に時刻表どおりに到着させようとして、高速で運転している途中で起きた。
 その日、Old 97列車はワシントンDCを出発した時点で遅れを出しており、モンローに着いた時点で、1時間の遅刻となっていた。モンローで乗組員が交代し、17人が乗ってそこを出発した。機関士(運転手)スティーブもここで乗りこんだ。
 列車がバージニア州Lynchburg駅(リンチバーグ)に到着したときに金庫係が一人乗り込んだので、事故時には総勢18人であった。
 11人が死亡し、7人が負傷した。

  モンロー駅においてスティーブは、「速達列車」をスペンサーに、そこまで166マイルの行程だが、時刻表どおりに到着させよと命じられていた。モンロー/スペンサー間の所定所要時間は4時間15分に設定されていた。平均速度に換算すると、時速39マイル(62.4キロ)である。一時間の遅れを取り戻すためには、51マイル(82キロ)で走らなければならない。スティーブは、通常なら停止することになっているFranklin(フランクリン)ジャンクション(連絡駅)を、その速度で走り抜けろと命じられていた。

 モンローとスペンサーの間は起伏の多い地形で、坂道と半径の短い急カーブとの組み合わせにより、危険な地点がいっぱいある。
  機関士に対して速度に気をつけるように促す表示が各所に掲げられている。しかし
遅れを取り戻そうと懸命なスティーブは、急速度で急勾配を駈け下りようとした。勾配の終着点は4フィートの高さのStillhouse構脚であり、それはStillhouse Branch(スティルハウス支流)をまたいでいる。
 構脚に導くカーブに入ってきたとき、充分にスピードを落とすことができなかったために、列車の全車両が脱線してしまい、下の谷間に突っ込んでしまった。

 脱線墜落後に発生した炎が猛烈な勢いで広がったために、木製車両の残骸は跡形もなく燃え尽きてしまった。地元消防隊は、消火するのに非常に苦労した。焼失のために現場検証の手掛かりがなく、目撃者もほとんどいないので、原因究明は大いに制約された。最終的には、9人が死亡したと結論づけられた。
 郵便物は一部しか残らなかった。そのなかには数羽のカナリアの入った大きな鳥かごがあり、鳥たちは飛び去ってしまった。
1102機関車は回収され、修理された後、1935年に廃棄処分されるまで働いた。


 事故の翌日、Finely副大統領が声明を発し、次のように述べている。
 「列車は2両の郵便車両で構成されていた。一両は速達便、他は郵便物を収納するための貨物車両である――中略――。目撃者全員が一致して述べるところによると、列車は構脚に時速30から35マイルで近づいていったそうである」。

 サザン・レイルウェイ社は事故の原因は機関士ブローディにあるとし、時刻表を守るために可能な限り速く走れと会社側が命じたことの非は無視している。スティルハウス構脚に至る下り坂を時速70マイル(112キロ)超の速度で下っていったと述べている。
 これに対し、数名の目撃者は、50マイル(80キロ)ぐらいであったとする。
 いずれにせよ、会社は、少なくとも、部分的責任を負うべきである。郵便物輸送について("Fast Mail"という列車名はそこから来ている)国営郵便事業と利益の多い契約を交わしていたのであるから。すなわち、契約に盛り込まれている運送遅滞違約金支払条項からして、スペンサー駅への遅刻にもそれが適用されることになっていたからである。Fast Mail列車を運転していた機関士たちは、常にプレッシャーを感じていたのではないか。郵便運送遅滞の違約金を会社が支払う事態が起きないように時刻表どおりに運行しなければならない、というプレッシャーを。
 おそらく、そう結論付けることが許されよう。

  Old 97列車は1903年4月にも別の事故を起こしている。ワシントンDC午前8時発ニューオリンズ行き。ノースカロライナ州Lexington(レキシントン)で軌道上の石とぶつかり、脱線して溝に落ちた。機関士と火夫が死亡した。
 列車を牽引していた機関車の型式は不明だが、1102ではない。1102は、まだ導入されていなかった。

カントリー曲
 事故は歌謡歌手の心を惹いた。最も有名なものは、最初に商業録音された演奏で、バージニア州のミュジッシャンG. B. GraysonHenry Whitterによるものである(↓下にYouTubeビデオ)。
 1924年にVernon Dalhart版が出た(Victorレコード番号19427)。それは、米国レコード業界カントリィ・ミュージック分野での最初のミリオンセラーだといわれることがある(下にYouTubeビデオ)。
 それ以来、大勢の奏者が手掛けている。

  Lynchburg(リンチバーグ)近辺の鉄道従業員、船乗り稼業の人々、モンタナ州に住む感傷的なカウボーイたちのあいだで非常に人気を博した。
 バンジョーとフィドルをバックに、歌詞が入る。態様はさまざまだ。唄われ、呟かれ、裏声で唄われ、口笛混じりで唄われ、ムニャムニャ唸られ、朗読され、あるいは詠じられる。

 歌はHenry Clay Work(ヘンリー・クラーク・ワーク)が1865に作曲したThe Ship That Never Returned(ザ・シップ・ザット・ネバー・リターンド「「二度と戻らぬ船」の意)のメロディーで唄われる。
 このメロディを借用した歌曲は数多くあるという。作者ワークは、「大きな古時計」(My Grandfather's Clock)の作曲者として知られている。

<著作権問題>
 歌詞は当初Fred Jackson LeweyとCharles Noellの共同作詞によるものだとされていた。
Leweyは事故の翌日に書いたと語っている。死亡した二人の火夫のうちの一人が従兄のAlbion Clappだったという。Leweyは構脚の土台になっている地の綿花工場で働いているといい、事故現場に行って犠牲者らを残骸から引き出す作業をしたと語っている。
 その原歌詞をミュージッシャンのHenry Whitter(最初に吹き込んだ歌手/奏者。見よ↓YouTube) が磨いて、Dalhartが唄った版となった。

 ところが1927年に、"Wreck of the Old 97"はDavid Graves Georgeが作詞したものであるという異議が申し立てられた。
 すなわち、1924年にVictor Talking Machine Company(ビクター)社から、この曲のレコードが発売され、よく売れた。それに対して、David Graves Georgeが作詞権を主張して著作権侵害で裁判所に訴えたのである。
 当人は地元住民であり、現場に駆けつけた者の一人である。職業は制動手(ブレーキ係)兼電報係で、唄うことが趣味であるという。目撃した悲劇に触発されて詩を書いた。こう語る。
 長らく決着がつかなかったが、1933年になって、John Boyd判事が、訴えを認め、最終的に原作者はDavid G. Georgeである旨を宣言した。
 これを受けて、ビクターはデイビットに利益の一部を支払わなければならなくなった。レコードは500万枚売れた。デイビッドは、65,295ドル程度を受け取ったという。

 ビクターは3回上訴した。第1、2の上訴審では、裁判所は訴えを退けてデイビットの勝訴とした。第3の審理、アメリカ合衆国連邦最高裁判所は、下級審判決を覆し、ビクター社に著作権があるとした。

◆◆◆◆◆◆◆◆
1923 - Henry Whitter - "Wreck of the Old 97"
   唄ヘンリー・ウインター(この曲が世に出た初レコード)

 Tube投稿者の解説によると、Okeh Records社への吹き込みだという(78回転ビニール盤)。
2007.11.20にネット上でWFMU (www.wfmu.org)によってレコードが再演された由で、それを録音したものだそうだ。G.B. Graysonが演奏に加わっているのかいないのか、肯定否定両説があり、投稿者としてはどちらなのか判定しえないが、MFMUは肯定しているという。
 "WFMU"とは何か、と上記アドレスをたどってみると、ニュージャージー州所在の非営利ラジオ局であった(
マンハッタン南端部の対岸あたりにあるという)

WRECK OF THE OLD 97 by Vernon Dalhart 1924
  唄バーモン・ダルハート(このレコードがきっかけになって、作詞著作権侵害訴訟が提起された)

Photo_2 Victor Talking Machine Companyからの1924年レコード (唄、Vernon Dalhart)カントリー界初のミリオンセラーだという(上の著作権紛争関連記述では、500万枚売れたとしている)。


■The Wreck of the Old 97
  (地元のアマチュア歴史愛好家が事故の内容を語る。必見!)

    (聴き取りを試み、語りの日本語訳を後日掲げる、まあ、うまくいけばだが)


 

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2014年1月21日 (火)

James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-13)。

2014.1.21
 翌日、干し草束作り、フェンス柱の穴掘り、灌漑用水路設置作業をやった。バディと共に。十時には、裸の胸が滝の汗になり、牧草がまみれてベトベトだ。穴掘り具の操作で腹の筋肉が痛い。
                      <<<[関連記事一覧表](相互リンク機能を付しているので適宜参照されたい)>>>  

◆◆◆◆◆◆◆◆
 バディの姉、パール(Pearl)が、ミントの葉と氷を入れたサン・ティ(sun tea)(*1)のピッチャーを運んできた。平床ワゴンの荷台に座って、それを飲み、ハムサンドを食べる。

Photo_4                                             (サン・ティ。ココから)

 姉は、波打つブロンド、ブルージーンズに、サン・ホールター(sun halter)(*2)姿で、カラダを充分に見せてくれており、目のやり場に困る。失礼にあたらないようにするため、注意をサンドイッチに集中し続けていなければならなかった。

Photo_5                      ( 姉の「ブルージーンズ+サン・ホールター」姿。この図からイメージを想像されたい。「波打ちブロンド」髪は、
                            もっと長いイメージなんだけどね、まあ、とりあえず我慢して。画像はココから)


 姉が俺を嫌っていることは分かっている。その明らかな事実を無視した行動にバディが出なければいいが、と俺は祈った。
 「オレはカアチャンと子どもらに会いに行こうと思ってるんだ、日曜日に。ジミーの誕生日だ、
 あんたとメルビンも一緒に行こうや。ミシシッピー川生まれのこの偽ヒッピーがボナーの居酒屋でEarnest Tubb(アーネスト・タブ、画像)を真似て唄うのを聴こうじゃないか」。

 姉はアイスティー・ピッチャーの蓋をして、それをテイルゲイトに注意深く置いた(テイルゲイト/Tailgate=馬車やトラックの荷台の最後尾またはバタンと落ちる仕組みの蓋の部分。画像)
  「メルに訊いてみなきゃ分かんないわ」。

 「やつは、日曜日の午後は、必ず飲む。実際、やつが酔っ払うのは次の日に授業があるときだけだ。大酒を飲んで、教室全体を酒臭くするような息を吐きながら家を飛び出していく」、バディがいう。
 俺は川辺のcottonwood(ヒロハハコヤナギ、北米ポプラの一種。種子に綿毛がある。画像 )の木々に目を遣り、煙草を咥える。バディが次に何をしゃべるかしらんが、それは、オレとしては口にしてもらいたくない内容になるだろうという予感がした。
 案の定、ヤツはいう。

  Photo_7 「まあ、それはどうでもいいが、この田舎もんの、演奏を、まあ、聴いてみなよ」、
  「やろうと思えば、チャーリィ・クリスチャン(Charlie Christian)張りに弾けるのに(*3)、なぜか知らんが、こいつはヒルビリー(hillbilliesPart-10の脚注*1参照)やOkies(オクラホマ出身者による、あるいは同州を題材にしたカントリー・ミュージック)にいかれてんだ。ジミー・ロジャース(Jimmie Rodgers画像)やウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)が好きで、ハンク・ウィリアムズのヨーデル(裏声)の真似をする。ビル・モンロー(Bill Monroe)のように爪弾きをやる。
  あの南部料理のグリッツ(Grits)(*4)より、ずっと偉大だ」。
 「よせやい」、とオレ。
 「こいつは、恥ずかしがり屋でな」。
Photo_3                (m右から→Jimmie Rodgers、Woody Gutjrie、Bill Monroe。ココココココから)

Photo_6                                      (グリッツ。ココから)

 「親父さんは、今日中に、沼地まで支柱を立て終えてくれといっていた、さあ、やるぞ」、
   ハムサンドの残りをワックス紙に包んで弁当桶に戻しながらオレがいう。
 「雇い主に忠実なやつでもある。非常に善人だ、こいつは」、
   汗に濡れた俺の肩を手のひらで叩きながらバディがいう。
 俺は、荷台からヤツを放り投げたかった。

 「パール、ちょっと待てよ、メルビンに、行こうっていえよ、そうすれば、ベス(Beth)が一緒に来るかもしれないから」。
 姉は返事をせずに頷いて、牧草地を横切って歩いていった。優美に、いかして、格好よく。サン・ホールター(*2)が風にひらひらと舞い、日焼けした肌の下部で、白のちらつきが目を射す。

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*1.サン・ティ(sun tea)
   紅茶(葉)と外気温温度の水をガラス製のジャーに入れて、屋外、日光の下に放置して入れる(煎じる)方式の紅茶。南部の風物詩だという(→Wikipediaのsun teaの項画像)


*2.サン・ホールター(sun halter)
  背中と袖のないi、エプロン状のドレス服、ないし、ブラジャー状の上半身服。Halter=端綱(はずな。馬の口につけて引く綱)から来ている。(画像
)

*3.チャーリィ・クリスチャン(Charlie Christian)
 ジャズの歴史において、スイング・ジャズ(Swing Jazz)時代からバップ時代(Bop, Be-bop、modern jazz)への移行に(Charlie Parkerらと共に)重要な役割を果たした天才ギター奏者。24歳で夭折した。モダンジャズ・ギターの祖といわれる(見よ→Wikipedia英語版 )。
 「チャーリィ・クリスチャン(Charlie Christchan)張りに弾ける」→その演奏ぶりを この過去記事に掲げてあるので参照されたい。

  なお、なぜこのような専門的な言及をバディができるのかというと、この男は優れたジャズ・ピアノ弾きなのである。そのスタイルは、バード(Bird)ことチャーリィ・パーカー(Charlie Parker)のリフが年中荒々しく頭の中を飛んでいるというもの、つまり、バップ派(bop, be-bop)である。従って、クリスチャンのこともよく知っているわけだ。
その辺りのことは、Part-9で触れているので参照されたい。

*4.グリッツ(Grits)
  トウモロコシの粉を素材にした食物/料理。アメリカ・インディアン起源のもので、南部住民は、みなこれを食べる。特に、朝食に。現在では、一般的に、Hominy(ホミニー)と呼ばれる加工製品(胚乳部を大粒に挽き割りした食用品→見よ)で作るという(Wikipedia)。

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 二人はフェンス支柱の穴掘り作業に戻った。硬い地面にオレが器具を突きたて、バディがバケツで水を注ぐ。
 「オイ、あんなこといってもらいたくなかったな」、と俺。
 ...........バディは、何か土木工事的な問題があるかのように、穴掘り器具の二枚の刃の間にバケツから水を注いでおり、黙して答えない。
 「本気でいってんだぞ、オイ」。

 「いろいろと問題があるんだよ、あんたには分かるまいが。
 パールにあんたのことを悪く思わせるようにするつもりで、いろいろしゃべったんじゃない。
 そうじゃないんだ、アネキはあの大学講師と結婚してんだが、ヤツは、悪い男じゃない。そうではないが、ヤツは頭の中に卵の泡立器みたいなものを持っていてな、ものすごく気まぐれなんだ。それで、姉は、その気まぐれに、どんなことにでも我慢して従う。荷物をまとめて、雪靴を履いてアラスカへ行くとか、アラバマ州の座り込みデモに参加するとかな。あるいは、三日間連続で、夜、ハイファイセットで、大音響でべートーベンをかけるとか。あのときゃ、その都度、親父がベッドから飛び出してきた」。
 バディは、こう語り、続けていう。

 「いや、まあな、実のところは、行こうと誘ったのには、ほかに目的があったんだ。ほら、オレはカアチャンと縒り(より)を戻そうとしてんだ。まあ、いい考えではないかもしれないが、しかし、子どもらがもう9歳と11歳になる。連中は、学校で、まったくダメなんだ。それなのに、ベスはやつらをミズーラの精神分析医みたいなやつのところへ連れていっている。
 刑務所にいたときに心配だったのは、子どもたちのことだけだった。ベスがある晩警察に通報してオレを留置場に入れ、それ以来、オレは父親の務めを放り投げていた。そのまま、ニューオリンズに行ってしまった」。

 俺は穴掘り器具を脇に置いて穴に支柱を立てる。バディが土砂を埋め、その上を小石で固める。その細い背中が汗でテカテカ光り、シャベルで土砂を持ち上げる度に、骨と筋肉が皮膚を引き裂くように浮き出た。

 「まあ、今いうべきことじゃないかもしれんが」、俺はいう、
 「だけどな、昨日オックスフォード(Oxford)という店に寄ったんだが、お前の親父さんは、郡の全員に喧嘩を仕掛けたようなことになっている、そういう気がしたぞ」。
 「あいつらは、ほとんどがオカマ野郎だ。飲み屋でしゃべっていることなんか、いちいち気にする必要はない」。
 「いや、かなり、真剣だったようにみえた」。

 「話はこういうことなんだ」、バディはいう、
 「町の西側にパルプ工場ができたんだ。日によっては、谷に、象が目の前で屁をひったような悪臭が漂う。工場は、トイレット・ペーパーか何かを作っている。
 え、どうだい、オイ、あのきれいなポンデローサ松(bonderosa pine画像 )が、結局、デモイン(Des Moines、アイオワ州の州都)のどこかの家の水洗便所で流される運命になるなんて、えっ。
  とにかく、親父は州裁判所に操業の差し止めを訴えたんだ。もし差止命令が認められれば、工場その他何もかも閉鎖しなければならないことになる。まあ、連中が怒るのも無理はないな。
  とにかく、連中はまったく収入がなくなる。組合は何もしてくれやしない。ここらで他の仕事といえば、季節労働しかない。
 親父は、自分がやっていることの向こう側でどんなことが起きるのか、全然分かってないんじゃないか、オレは時々そう考えることさえある」。

  バディはタバコに火をつけ、俺は次の穴にとりかかった。
 川辺のコットンウッド(Cottonwood、ヒロハハコヤナギ )の木々の葉が風に揺られ、陽に光った。

 「しかし、親父にとっては、真新しいことじゃない。アナコンダ・カンパニー社(Anaconda Company)がクラーク川を汚し始めたときに争ったし、モンタナ東部で野生の馬を捕えてドッグフード会社に売っていた連中の行動を止めさせる争いの支援もした」、
 バディは、そこでバケツを手にしゃがみこみ、しばらくタバコをスパスパとやって、続ける。
 「親父は、いつも、頭の中では正しい決定をするんだが、絶対に譲れないという線を引く人種、妥協しない人種なんだ。そう、コチコチ頭で融通が利かない」。

 二人は、午後遅く、沼地の脇で最後の穴を仕上げた。
 俺は後ろを振り返って、フェンス支柱が連なった長い真っ直ぐな線を、しっかりと分厚く地面に連なった線を眺め、牧場の正面から二人が立っている窪みの底の泥地まで続くその幾何学的な列に誇りを感じた。
 今や、草は川からの風に腰を曲げ、夕日には、山の頂による黒い浸食が現れ始めていた。俺たちは道具をワゴンの荷台に積んで片付け、野原を歩いて山小屋に帰った。肉体的な疲労を感じたが、まっとうな仕事をしたときの喜びがあった。
 山々の影が谷間を横切って動く。丸太小屋の上を、牧草地に散らばる牧草の束の上を動く。石壁の上を、馬小屋の脇に積んである薪の上を動き、やがて光が薄れ、川の向こう岸の樹木の中に吸い込まれていった。

 夕まずめの間、キャビンの裏手のクリークで、ウォーム(worm、ミミズのような虫、または、そのような擬似餌、画像 )による釣りをやり、薪ストーブを点け、喉裂き鮭(カットスロート)を、バターとガーリック・ソールト風味で焼いた。
 俺は缶ビールとマーチン(Martin、ギター、画像 )を手に正面ポーチに出た。バディはフライパンで魚を裏返している。チューニングをDに落とし、親指のピックでベース弦をはじき、ネックまでスーッと上げて、ディミニッシュ(減七の和音)によるブルースコード(見よ)に入った。アンゴラ刑務所でRobert Pete Williams(ロバート・ピート・ウイリアムズ、画像)(*5)に習ったものだ。

 ギター弦が月光に和して鳴り、深い音が指と前腕に振動するのを感じる。あたかも、板が俺の血液の脈を感じ取ったように。
 ブルースからブリッジ(*6)を置いてThe Wreck of the Ole 97(*7)に移った。A.P. Carter(見よ画像 )のように打ち鳴らし、ひっかきながら。弦が月光に震え、自身の金属的共鳴に震えた。

  He was going down the grade making ninety miles an hour
   When his whistle broke into a scream
   They found him in the wreck with his hand upon the throttle
   He was scalded to death in the steam


  スティーブ(機関手)は、傾斜に90マイルで突き進んでいった。
  汽笛が悲鳴に変わる。、
  男は、機関車残骸の中で死んでいた。スロットルに手をかけたままだった。
  蒸気で死んだ、蒸し焼きにされて
死んだ。

    (歌詞の一部。作者が掲げているもの。HYPERION社Mass market版, ISBN: 0-7868-8934-9、87ページ。日本語は独自訳)
  「追記」→歌詞全体と日本語訳2014.1.17記事として掲げたので参照されたい。

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*5.Robert Pete Williams(ロバート・ピート・ウイリアムズ)
  ルイジアナ州出身のブルース歌手 (1914.3-1980.12)。非伝統的な音楽構造とチューニングで知られ、刑務所服役中の話題を対象にして唄う曲が多い。
  Zacharyで小作人の子として生まれ、学校には行かず綿摘みとサトウキビ切りで少年期を過ごした。14歳のころにバトンルージュに移り木材作業員とし て働く。20歳のころからギターを手にするようになり、何人かに習った。教会の集会やダンスパーティなどで演奏するようになる。その後ずっと、材木作業員 として働く傍らで演奏活動を続ける。
 1956年(41-2歳)に殺人罪でアンゴラ刑務に服役する。地元のクラブで男を殺したことによる。当人は 正当防衛を主張したが認められなかった。服役2年後に二人の民族音楽研究者によって見だされ、服役しながら録音する。歌はすべて刑務所内の出来事を対象に したものであった。二人は仮出所を嘆願する。3年半服役後の1959年に仮出所が認められ世に戻った。5年間ルイジアナ州内での活動に制約された後、 1964年に伝説的なNewport Folk Festivalに出演した。ヨーロッパでも、短期間、演奏したことがある。
(Wikipediaと、その脚注3で引用のウェブページから)。
 なお、アンゴラ刑務所につき、Part-2を参照されたい。


*6.ブリッジ(Bridge)
 音楽用語。楽曲において、ある主要旋律と次に来る主要旋律との間を結ぶ「架け橋(ブリッジ)」のような部分。ジャズ音楽では通常2小節または4小節。

*7.The Wreck of the Ole 97(Old 97列車脱線事故) (画像)
   
Old 97とは(Ole=Oldの南部俗表現))、Southern Railway社の蒸気機関車列車のニックネームで、正式名称は"Fast Mail"という。時刻表厳守、絶対に遅配のない郵便を売り物にしていたことと、そのような列車が脱線事故を起こしたことで超有名になった。機関車は1902年12月に就業し、ワシントンDCとアトランタ(ジョージア州)を結ぶ路線を走っ た。1903年9月、バージニア州Monroeからノースカロライナ州Spencerに向かう途中、バージニア州Danville近くのStillhouse Trestleという構脚(トレッスル、見よ )で脱線事故を起こ した。運転手(機関士)、同助手、車掌、郵便職員など18人が乗っており、11人が死亡、7人が負傷した。Monroeを発つとき1時間ほど遅れており、それを取り戻すためにスピードを出し過ぎたのが原因だという。
 この事故について歌の歌詞が作られ、複雑な著作権騒動を起こした。カントリーミュージック分野で大いに唄われている。
(Wikipediaから)
 「追記」→事故についての詳細2014.1.17記事で掲げているので参照されたい。
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 バディが鮭の肉片を指に挟んでポーチに現れ、手すりの上に置いていた俺のビールを飲む。
 「いいな、おい」、唄を褒めて、手すりに腰をかける。月光がその肩で砕け散る。俺は男が指に挟んでいたタバコを取って口にした。
 山々は氷河の陰鬱(いんうつ)のように空に対峙(たいじ)している。

 「おまえが何を考えてるか知ってるぞ」、バディがいう、
 「悩む必要はない、うまくいくさ」。

 それが、木曜日のことであった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
■Robert Pete Williams - Scrap Iron Blues
  (クズ鉄のブルース)

   Robert Pete Williams/ロバート・ピート・ウイリアムズ。YouTubeで探した。
 こういう男で、こういうブルースを弾き、唄う男なんだね(→画像 )。


P                      
(上に掲げているTouTubeビデオkら)


■Wreck of the Old 97 Johnny Cash with Lyrics

  (Old 97列車の脱線事故 ― ジョニー・キャッシュ、歌詞付き)


Photo             (機関車残骸。横転から立ち姿に戻っていることからして、数日経過後の写真であろうとしている。Wikipediaから)
       「追記」→2014.1.17記事経路地図や現場写真などを多く掲げた。参照されたい。


―― Part-14に続く ――
 

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2014年1月15日 (水)

「James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界・・・"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る」 ― 記事一覧、相互リンクページ。。

2014.1.15
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James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路 に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-n)
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1_2                                     ( HYPERION社、Mass market版、ISBN-0-7868-8934-9)
                         
 シリーズ記事の相互参照便宜のためにこの記事を置く。

◆◆◆◆◆◆◆◆
●Part-1(2012.12.24)
 James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)について何か書いてみようと考え、その"The Lost Get-Back Boogie"を読み直した。
 5冊全作品が、ニューオリンズ周辺を、南部ルイジアナを、アメリカ南部を物語の主たる舞台にして.........何か書いてみたいと考えたのは、この「地域性」に.........

●Part-2(2012.12.27)
 さて、本論に入って、物語は主人公が刑務所を仮出所する場面から始まる。
 悪名高いアンゴラ刑務所(Angola Prison)である。正式には、The Louisiana State Penitentiary(ルイジアナ州刑務所)という。


●Part-3(2012.12.28)
   前回記事は、仮釈放でアンゴラ刑務所を出て、Baton Rouge(バトンルージュ)から汽車に乗り、ニューオリンズで乗り換え、ミシシッピ川を渡りBayou Lafourshe(バイユー・ラフォーシェ)(画像)を越え、Schriever(シュリーバー)と推測される故郷の駅に到着したところで終えた。
今日は、その道中について、少し記述を膨らませる。

●Part-4(2013.1.3)
  物語の世界は、1962年、オレ、主人公の名はアイリー・パレット(Iry Paret)、31歳。カントリー/ヒルビリー/ブルーグラスのギター弾きだ。演奏中のトラブルでナイトクラブの荒くれ客を刺し服役した(そのいきさつはココ ).............3年弱を残して仮釈放で出てきたところだ。
  さて、 ニューオリンズから乗った汽車がミシシッピ川を渡った。

●Part-5(2013.1.9)
  到着、父の死、モンタナへと。今日は、その一、我が家に到着した場面。
"What you want here?"
 「何か御用ですか」。
 階段の上に、糊の効いた看護婦制服を着た大柄な黒人女性が立っている。黒い股まで巻き上げている白いストッキングが、肉の厚みで破裂しそうだ。
"I'm Mr. Paret's son"
 「パレットの息子です」。

●Part-6(2013.4.28)
  前回までの記事では、まだルイジアナを出発するところまでも至っておらず、中途半端、尻切れトンボで終わっている。モンタナに到着させなければならぬ。そして、さらにその地での生活を語らねばならない。
一、父の死
  さて、家についてみると父親は腸がんの末期症状で床に臥していた。

●Part-7(2013.6.18)
 さて、前作で、ルイジアナを発った。父の形見のフォード・ピックアップ・トラックで............翌朝、オレはテキサス東部を走っていた。
........................................
今日は、この続きだ。
 ダラス(Dallas)まで来たときには、フードの下でラジエーターが蒸気を吹いていた......焼けつくような午後をウイチタ・フォールズ(Wichita Falls)までなんとか走らせたが、そこでウォーターポンプがいかれてしまい........

●Part-8(2013.6.21)
  今日は、やっとモンタナに着く。故郷、南部ルイジアナを発って三日目、
  出発進行!
一、Little Bighorn River(リトル・ビッグホーン・リバー )から(*1)Missoula(ミズーラ/モンタナ州)まで、一気にピックアップを駆った。給油とハンバーガーで停止しただけだ.............
二、モンタナは美しかった..............

●Part-9(2013.6.24)
一、ミズーラ
 道路を南に曲がってBitterroot Valleyへと進み、バディ(Buddy)が書いてよこした地図を頼りにその父親の牧場を目指した..........

  その先、懐中電灯で標識を照らしながら進んでいき、二度道に迷ったが、とうとう目的地に到着することができた。Buddy Riodan(バディ・リオーダン)の父親の場所だ。

●Part-10(2014.1.6)
  ヤツの家に着いて..........在庫ビールを補充しがてら、町に繰り出して一杯やってこようということになった.........
  間もなく、テーブルに座ってる連中や......男がちらちら寄こす視線に気付くようになった......連中の目に冷たい悪意や、挑戦のひらめきを見た。
 何か知らないが、問題があり、オレはその上にどっかり座っていたのだ。

●Part-11(2014.1.10)
   ------しかし、あのバーにいた時点で悟るべきだったのだ。あるいは、少なくとも、物事の一部でも悟るべきだった。
 事が、そこに存在していたんだ、問題が、事が。
..............................................
 前回記事(Part-10)はこう終わった。
 この後、物語は後半に入り、その「事」という存在に触れていくことになる。   
一、バディの家族と対面すること

●Part-12(2014.1.14)
  モンタナ州に着いた日の翌日の午後、俺はミズーラで仮出所保護観察官に移住開始申告を済ませ、たっぷりと残った時間をかけて、その初めての町を探検する。
一、ヤバイ予感
 ...........おれは、Oxfordとか、Eddie's Club、Stockman's Barというような名前の店に入っていった。
 .................その後、ボナー(Bonner)という直線距離で20キロほどの場所にあるパルプ工場城下町に行き、リードギターの仕事を得る。

●Part-13(2014.1.21)
  翌日、牧場労働を開始、農場正面から斜面底部沼地まで、穴を掘り、支柱を立て、フェンス支柱の列を、見事に、完成させる。バディが、別居中の妻、ベス(Beth)への強い未練を吐露する。

Part-14(2014..2.10)
  バディの妻ベスに初めて会う。日曜午後ライブをやる。バディ夫妻、妹夫妻も同行。バディ、マリファナと酒で酩酊。山小屋に引き上げる帰路、木材労働者らに襲われる。腕の骨を折られ、トラックを焼かれる。大事な楽器も灰となる。

●Part-15(2014.3.21)
 バディの父親は、尖鋭的な反パルプ工場行動のゆえに、連労働者から憎悪されている。俺はそういう一派から襲われた。その被害を保安官に訴えるが相手にされない。工場側も聞く耳持たない。クソッ、ライフルを手に仕返しだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆
■関連記事
"The Wreck of the Old 97"歌詞と日本語訳(2014.1.24)
  Pary-13の最終場面で主人公アイリーがThe Wreck of the Old 97(97号特急郵便列車の脱線事故)というカントリー曲を唄う。歌詞と日本語訳を掲げ、事故の周辺情報をまとめた。

◆◆◆◆◆◆◆◆
リンク方法を変更したこと}
 次のようにしていた。
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  記事冒頭で
        (末尾に、リンク機能を付した「シリーズ記事一覧」)
という注意書きを置き、
 記事末尾に、下に見るような項を置いた。

.........................................................
<<<「"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る」シリーズ記事一覧>>>
   Part-1(2012.12.24)
  Part-2(2012.12.27)
  Part-3(2012.12.28)
  Part-4(2013.1.3)
  Part-5(2013.1.9)
  Part-6(2013.4.28)
  Part-7(2013.6.18)
  Part-8(2013.6.21)
  Part-9(2013.6.24)
    Part-10(2014.1.6)
....................................................

 このようにしていたのだが、新記事を追加した際のリンクのメンテナンスがやっかいなので、仕組みを変えることにした。すなわち、全記事からこのページに飛んで、ここで一覧表を見る仕組みにした。

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2014年1月14日 (火)

James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-12)。

2014.1.14
 モンタナ州に着いた日の翌日の午後、主人公、Iry Paret(アイリー・パレット)は、ミズーラ市(Missoula)に出向いて仮出所保護観察官に移住開始申告を済ませる。
 その後、たっぷりと残った時間をかけて、初めての町を探検する。
Photo_3          (左画像=市庁舎/City Hall。保護観察官事務所は、通常、裁判所、警察署などと共に、市庁舎の中にある。右画像=文字どおり、「青く、金色に輝く」午後。画像はココ から)

        ----------------以上、Part-11の末尾------------------

                                                      <<<[関連記事一覧表] (相互リンク機能を付しているので適宜参照されたい)>>>  

◆◆◆◆◆◆◆◆
一、ヤバイ予感
 ミズーラは素晴らしい町だ。東西南北、四面とも山々が聳え立って(そびえ)いる。Clark Fork Riverがビジネス街のど真ん中を流れており、タイヤチューブ(inner tube)やゴムボート(Rubber Raft)に乗った大学生たちが、手に手に缶ビールを持ち、白い水面を下っている。土手で釣りをやっている連中に野次を飛ばしたり、手を振ったりしながら。
 街は楡(ニレ)と楓(カエデ)に包まれている。芝生はあくまで緑にみずみずしく、そこかしこと花壇が散らばめられている。シャツの袖をまくった男たちがガーデンホースで草花に水を撒いている、その様子は、まるで1940年代の記憶を彷彿(ほうふつ)とさせるようだ。

 俺は刑務所に入った時以来、初めて味わう自由、解放感に浸りながら、通りを進んでいった。自宅、親父の家でさえ、想い出を呼び起こさせる遺物が存在する。家の暗さ、壁にかかった祖先の肖像、死、バイユーの浸食作用によって時間と共に1フィートずつ削られていく家族墓地、いつも家に帰る度に脳の中に新しい毛細根を伸ばしてくる、あの脳の中の黒い野菜。そういうものが存在する。しかし、ここでは、歩道全体に陽光が溢れている。その歩道たるや、場所によっては、馬や牛をつなぐ足かせ用のリングの埋め込みを、いまだに温存しているといった驚きもの、優れ物なのである。
 
 おれは、Oxfordとか、Eddie's Club、Stockman's Barというような名前の店に入っていった。それはまるで、ドアを通り抜けて、一世紀後戻りするような感覚の動きであった。カウボーイ(牧童)、パルプ加工工場作業員、木材伐採人夫(きこり)、季節労働者、プロの賭けトランプ師たちが、奥のフェルト張りテーブルでトランプ(カード)をやっている。
 スツール(椅子)を備えていないバー(カウンター)がある。飲むことに命をかけている男たちのためのバーだ。ステーキとジャガイモと生ビールのためのバーがある.。隅の方では、カチカチと玉突きの音がしている。ときどき、怒声が聞こえ、椅子の壊れる音がし、男がパンチを喰らって、トイレの石膏ボード壁に、腹を押えて丸まった姿勢で叩きつけられたりする。
 
 俺は、Oxford(オクスフォード)でオニオン載せステーキを食べていた。脚を失った障害者の男が、おれの隣のスツールに腰掛けるために、身を持ち上げようとした。男は、ローラースケートの車輪を装着した板の台に乗って、通りをずっとやってきて、そして店内へと漕いできたのだ、台車を。脚の切断先端部に装着している止め具がスツールに引っかかって、うまく動きがとれなくなっているので、おれはその身を持ち上げてやろうとした。
 男は虫食い前歯の隙間からトカゲのように舌を出して、チッ、チェッと舌打ちをした。

 「彼は手助けを嫌がるんですよ」、バーテンダーがいう。
「すまん」。
 「この人、耳も聞こえないし、しゃべることもできない。戦争でね、そうなった」、
 バーテンダーはそういい、ライマメ・スープを椀によそって、皿に乗せ、クラッカーを添えて男の前に置いた。
 男がズルズルと音を立ててスープを吸っている。「オエッ」、おれは、カウンタの端の方に目を反らせて自分の料理を食べた。
 バーテンダーが、追加ビールを持ってきた。
「店のおごりです」、こういう。
 そして、マッチを口の端に咥え、無表情な目で、訊いてきた。
「町に滞在されているんですか」。

 「ビタールートの友達の家にいるんだけど、何か仕事がないか探しているんだ。とりあえずは、リオーダン氏の牧場で干草積みをやるかな」。
 つい、名前を出してしまった。ちょうど、湖面の氷が割れないかどうか試すために、体重を軽く載せてみたように。
 相手の反応は、「ちょっと怪訝に感じた」という程度のものであったが、しかし、そこには、反動が確かに存在した。
 「フランク・リオーダンをよく知ってるんですか」。
 「その息子の友達なんだ」。
 「そうですか、で、パルプ工場の問題だけど、フランクは何をやらかそうとしているのかね」。

 「大勢の男を失業させようとしてるんだよ」、カウンターのずっと向こうの男が、皿から顔を上げもせずに答えた。

Photo_4        Oxford、stockman's Barという店の画像がネットに出ていた。下段の画像は上段の店の店内ではなく、Google画像ページから適当に摘まんで載せたものである。画像はココココココから。

 おれは、「しまった」と思った。
 「そのことについては、何も分かりません」、おれは答えた。
 「ヤツも、そのことについて、何もわかっちゃいない」、その男がいう。
 男はブリキの帽子をかぶり、長袖の下着に、格子縞のシャツを着ている。
 バーテンダーは、突然外交官に変じ、公平無私の中立的立場に立った。
 「しばらくフランクに会ってないなあ、前は、たまに土曜日にやってきて、カードをやったもんだ」。
 「今はもう、暇がないのさ」、
   脚なし障害者の隣で食べている男がいう、
 「1,300エーカーもの土地に飼っている牛の群れの上に乗っかって、時給1ドル50セントの労働者に(パルプ工場の労働者)解雇通知書(pink slip)が配られるように仕向けてんだよ。
それが、リオーダンというヤツの正体だ」。

 バーテンダーは俺の前のカウンターを、あたかも、自分の罪を拭き取ろうとでもするかのごとく、雑巾でこすり、
 「煙が糞便臭いという人もいるけど、わたしには、パンとバターのような臭いがしますがね」、といって、笑った。喉の奥から胃潰瘍の臭いを吐き、黄色い歯並びを見せて。
 俺は、両側の男たちの怒りを感じ取った。両側をブックエンド(ブックスタンド)で挟まれた者のように。
Photo                                            ("between bookends"。画像はココから)

 皿にフォークとナイフを置いてタバコに火をつけ、怖がっていないところを見せるためにゆっくりと長くタバコを吸い、そして、通りの陽光へ戻った。

 「リオーダン」という名を出して反応を試すことは、これ以上やるまい」、
 俺はそう思い、問題が重大なものであることをバディに認識させ、対処について、もっと真剣に話し合う必要があるなと考えた。

 その午後、この経験をする前に、俺は、あるバーで、一人のジッポ・ロガー(gyppo logger、零細材木事業者、または、その労働者)から、Bonner(ボナー)の町のカントりーバンドで仕事がみつかるかもしれないという助言を聞いていた。
 そこで、Hellgate Canyon(ヘルゲイト・キャニオン)という峡谷を抜けてミズーラの町を出た。

Photo_2               (Gyppo logger。語源は不明だという。左端はSteam donkey=「蒸気ロバ」。ココから)

二、ボナーの町
 Hellgate Canyon(ヘルゲイト峡谷)は、山塊の裂け目である。そこは、歴史的に、Salish Indians(サリシュ・インディアン)Clark Fork(クラーク・フォーク)川を辿って(たどって)きて、毎年、Crow(クロウ)インディアンとBlaxkfoot(ブラックフット)インディアンに大量殺戮されていた場所だ。
Photo_3             (Salish Indians。ココから。「注」― 著者は"Salish Indians"としているが、その名の単一種族は存在しない。
       集合的にCoast Salish Peoplesと称される多数種族から成る集団、人々である。見よ→Wikipedia)


Photo_4                                     (Crow Indians。ココから)

Photo_5                         (Blackfoot Inndian。ココから)     

 俺はクラーク・フォーク川に沿って山塊の深い亀裂を登っていった。山の斜面に、薄い松の茂み、伐採後の二次生えを見ながら、川がブラックフット川と合流する地点まで。
  合流点は、広い範囲で暗い水が渦を巻いており、コンクリート・ダムの上で水煙と虹をなしている。
 
 ボナーの町はAnaconda Company社の城下町だ。会社は、川べりに造成した巨大な木材加工(パルプ)工場である。煙突から噴煙を噴き上げでおり、それが、ブラックフット峡谷数マイルにわたって空中に漂っている。
 町は一つの通りだけで成っており、こぎれいな庭と、日除け樹木と、均一仕様の家屋が、ずらっと並んでいる。
 俺は、ルイジアナとミシシッピ州以外では企業城下町を見たことがない。

 そこには、空気中にサトウキビ製糖工場の臭いはなく、車のリアウインドウから黒人たちの姿を、――夕暮れ時に弁当箱を片手に砂糖絞り機の前から自宅のポーチ、こぎれいに手入れされた庭と樹木の、均一仕様の木造家屋の自宅の、ポーチに向かう姿を見ることもないけれども――、ボナーは、ルイジアナ州のIberia Parish(アイビーリア郡、イベリア郡)から街並みをチョキンと切り取ってきてロッキー山脈のど真ん中に糊でくっつけたような町である。

4       (丸印、左からミズーラ市街、ヘルゲイト峡谷、クラーク・フォークとブラックフット川の合流地点、目的地のボナー。直線距離で西方10キロというところか)

Photo        Blackfoot River(上段左丸印)とKlerk Fork River(下段)の合流地点。上段右印がBonnerの町。

Photo_2                       (合流地点の昔と今。ココから)

Photo_2  上=Blackfoot River、下=Clerk Fork River。まあ、どちらも同じような趣だね、当然ちや当然だが。下段右端画像は、流域と合流地点を示している。その左上隅がミズーラ市街で、合流地点は画像下段の写真のようになっているとして矢印で示している。ココココから。

三、リードギターの仕事を得る
1.Milltown Union Bar
 俺は踏切のそばにある灰色の風化した建物の駐車場に車を停めた。MILLTOWN UNION BAR, CAFE AND LAUNDROMAT(「Milltown労働組合のバー、カフェ、コインランドリー」の意)というネオンサインが屋根にかかっている。
  バーには、電気製のスロットマシンが何台か置いてあり、黄色い馬蹄や、いくつものサクランボや、金色のBARが盛んにウインクしている。正面ドアの壁上部には野生山岳羊(mountain sheep)の頭部がアクリル樹脂ガラスの半球に覆われて飾られており、ジュークボックスの壁上部には、これまた、ヘラジカ(elk)の頭部が巨大な湾曲したラックに装着して飾ってある。

Photo_6                   (スロットマシン、山岳羊、ジュークボックス。ココココココから)

2.ドブロ(Dobro)が威力を発揮
 「リードギターを弾くんだが仕事はないか」。
     俺はオーナーに訊いた。
 案の定、相手は、「要らないね」と暗に拒絶する仕草で、コーヒーカップを皿に置いたり持ち上げたり、ウデウデやってやる。クソッタレ、おっぽっとけ。
 おれは、トラックに戻って、ドブロとピックギターの入ったダブルケースを持ってきて、――それは、ケースの裏地に南部連合旗(Confederate Flag)がかがってあるやつなんだが――、それを持ってきて据えた。 

 音響孔に装着している金属製共鳴盤が、カンターの後ろの銀紫の照明に反射してキラキラトと泳ぎ、オレは、弦に挟んであったスチール製ピックを外して、それをネックの方からフレットをザザッっと下ろしてきて、そのまま、ハンク・ウィリアムズのラブ・シック・ブルース(Hank's Love Sick Blues) のアタマ(音楽用語)に入った。

[南部連合旗(Confederate Flagと)ドブロー(Dobro)]
          [過去記事、Part-5(2013.1.9)から]
*************************************************************
 オレの部屋は元のまま残っていた。410口径銃身、22マグナム弾仕様の上下二連銃(over- and-under)が部屋の隅に立てかけてある。マーチン(Martin)フラット・トップ・ギターとドブロー(Dobro)が入っているダブル・ギ ターケースがベッドの上に置いてある。その皮のケースには、THE GRATE SPECKLED BIIRDという金文字が浮彫で入っている。ダラスで200ドルかけてあつらえた特注品である。
 ケースを開ける。
 ケースの裏地として施されている南部連合旗(Confederate flag)と、ワックスのかかったギター表面の反射光が目に入り、オレは、しばらく想い出に浸った。
 悲鳴と怒声、震える手に握っている血塗られたナイフの、酒場の想い出に。

Photo_2                                             
  (Confederate flag、ココから)
Photo_4                     
  (Martinフラットトップ、ココから)
Photo_3                                     
       (Dobroギター、ココから)
******************************
引用ここまで****************************

■Love Sick's Blues/ラブ・シック・ブルース
   ハンク・ウイリアムズ(Hank Wikkiams)


 
 -----------------------------------------
   ドブロは、常にやってくれる。必ず、仕事が取れる。
 ヤツは、オーナーは、金曜と土曜日の夜、それと、日曜の午後3時間のセッションに、@35ドル払おうといった。

 俺は、ヘルゲイト峡谷を通って帰路を走った。
 エンジンはフードの下で鼻歌を唄い、夕刻に近い太陽が、峡谷の壁と川の深い流れに赤く輝いている。

-----------------------------------------
[ドブロは必ずやってくれる]
    [過去記事、Part-6(2013.4.28)から]
*******************************************************
 
(モンタナ移住)申請の結果が出る間、あちこち探しまくった後にThibodaux(ティボドー、画像)郊外の道路際ナイトクラブで週4日の仕事をみつけた。リードギターは間に合っているとして、最初は取り付く島もなかった。しかし、オレがケースを開けてDobro(ドブロ)を取り出した瞬間に、オレは仕事を得た。
  Dobroとは、ブルーグラス特有の楽器である。金属製の共鳴器が音響ボックスに埋め込まれた構造のギターで、スチールギターのように横に寝かせて弾く。 南部山岳地帯以外ではほとんど目にしない。カリフォルニア州エルモンテ(El Monte)の業者に特注して400ドルで手に入れたものである。ネックは薄く、光輝くボックス木材は封筒のように軽く手に馴染む。
 「一晩25ドルとチップ(投げ銭)の均等割り」で契約した。バンドの連中とはうまくいった。

Losthighway_2  最初の夜ハンク・ウイリアムズの曲を6曲立て続けにやり、Johny and Jackに移った。"Poison Love"をやり"Detour"、そして、"I'll Sail My Ship Along"(1)をやった。
 場が興奮に割れた。客はジルバを踊りまくり、ハチャメチャなロック踊りをやり、テーブルから叫ぶ。昔馴染んだ曲に出会うと、郷愁に駆られて吠えまくり、銀貨とドル札をチップ用のビンにねじ込んだ。

 次いで、"The Lost Highway"を唄うと、海上油田関係のラフネック(roughneck)たちが、――荒くれ男、ブリキの帽子をかぶり、軒並みビール焼けの顔に、掘削作業の泥を服にこびりつかせた男たちが――、涙にうるんだ目で、厳しい顔つきで、オレの顔を見上げてきた。
 ハンク・ウイリアムズの真似は得意だ。そして、オレのドブロ(Dobro)は、当時のハンクのバンドのスチール、唄うハンクの後方で響くスチールのように鳴った。

                                                   (上掲書43-50ページ)
*1.I'll Sail My Ship Along
  "Along"は、おそらく、"Alone"の誤植。


Photo_4
                      Dobro(ドブロ)ココから
*******************引用、ここまで***************************


  ―― Part-13に続く ――


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2014年1月10日 (金)

James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-11)。

2014.1.10
  ------しかし、あのバーにいた時点で悟るべきだったのだ。あるいは、少なくとも、物事の一部でも悟るべきだった。
 事が、そこに存在していたんだ、問題が、事が。
--------------------------

 前回記事(Part-10)はこう終わった。
 この後、物語は後半に入り、その「事」という存在に触れていくことになる。
   主人公、「オレ」の名前は、Iry Paret(アイリー・パレット)、現在31歳。カントリー/ヒルビリー/ブルーグラスのギター弾きだ。 
                    <<<[関連記事一覧表](相互リンク機能を付しているので適宜参照されたい)>>> 
◆◆◆◆◆◆◆◆
一、バディの家族と対面すること
 翌朝、太陽が薄青い山の背から姿を表わし、緑に濡れた牧草が光線に映えた。山々の裾を覆う影は冷たい打ち身(打撲傷)のように紫色をなしている。朝が温まり、草の葉から露が蒸発するに連れ、家畜たちは川に沿って生えているコットンウッド(Cottonwood、ヒロハハコヤナギ、画像 )の木々の暗がりの中に移動していった。

Photo_2          (コットンウッド=ポプラの一種。綿のような実をつける。右端の画像は、小屋の左側に松林(パイン)、右側にコットンウッドを擁している。ココから)

 バディと俺はキャビンの裏手のクリークでウェット・フライ釣りをやり(*1)、大きな岩の後ろで渦を巻いている深みで、カット・スロート鮭(cutthroat trout)(*2)を一ダースほど釣り上げた。
  木々の枝から漏れ散らばる太陽光線で、水面に我が身の影を落としてはならない。そこで、尻を地面につけるようにしゃがむ。フライを、ゆっくりと、深みの底まで沈める。突然、喉裂き鮭(じゃけ)のヤツが、底石の蔭から飛び出してきて、輝くようなエラの縁取りが光線に反射する。フライ・ロッド(竿)が、グッと水面まで弧を描き、グッグ、グッっと、激しく脈打つような、力強い引きがくる。

*1.フライ・フィッシング/ウェット・フライ(wet fly)
   フライ(擬似餌、毛針)による釣り。フライにはdry(ドライ)とwet(ウェット)があり、前者は水面に浮いた状態を保つもので、後者は水中に沈むもの。見よ→Wikipedia

*2.Cutthroat trout(カットスロート鮭)    独自訳―喉裂き鮭、ノドサキシャケ、ノドサキジャケ
  北米太平洋沿岸、ロッキー山脈、グレイト・ベイスン(Greate Basin)地域の冷たい川に棲む鮭科の魚。Cut-throat=喉裂き(け)、という名前の由来は、下顎の底部が喉を裂かれた傷のように線状に赤く染まっているところから(Wikipedia)
  「カットスロート」なんて味も素っ気もない訳が定着しているようだが、「喉裂き鮭」とでもしたらどうかね。


Photo
[画像説明]
 
Cutthroat troutにも種類があるという。上段画像はNorthern Rockies(ロッキー山脈北部。画像)に棲む種として掲げられているもので、モンタナ州のものは、だから、これであろう。右側のものは、同種のうちの、ワイオミング州のモンタナ州境に近いYellowstone湖(イエローストーン画像)湖周辺に生息する種だとして掲げられている写真である。「cut-throat=喉裂き」線の謂れがよく分かる。
 下左は、太平洋沿岸種、中は、リオグランデ川種(ニューメキシコ、コロラドなど)、右はGreat Basin地域種(ユタ州Great Salt Lake支流など)。Wikipediaから。


 魚のわた(腸)を取ってきれいに洗い、それを持って、母屋に朝食に行った。
 丸太をチェーンソーで切った槇(まき)が、馬小屋の壁にうず高く積み上げられている。小屋の側面には、錆びついて骨格状態になった蒸気エンジン・トラクターの残骸が放置されており、車輪の隙間からpigweed(アカザ属の総称、→画像)が伸びて茂っている。
 
裏手には、少なくとも50個はあろうか、木の枠にワイヤ張った鳥小屋がいっぱい並んでいる。カモ(ducks)、アヒル(ducks)、ガチョウ(geese)のほか、ライチョウ(grouse)、エリマキライチョウ(pheasant)の、これまで目にしたことのない品種の鳥たちが、庭のあちこちにしつらえた餌小屋や水飲み場を徘徊している。

 「親父の動物園だ」、バディがいう、
「おそらく、州で一番でかいものだ」、「世界中から集めている」、
 「オレが山小屋に住んでいる理由の一つがこれだ。朝四時に、ヤツらが活動し始めたときに、ヤツらがあげる鳴き声を、まあ聴いてみろよ、たまったもんじゃないぜ!」。
Photo           上左=ライチョウ、右=エリマキライチョウ、下左=カモ(オナガガモ)、中=カユガアヒル(cayuga duckアメリカ原産)、右=ガチョウ画像は、順に、ココココココココココから

 おれたちは鮭をバターでいため、バディの母親が巨大な皿にスクランブル・エッグとポークチョプを盛り、トマトの輪切りを添えた。テーブルには油布が貼ってあり、脇を鋲で留めている
 
バディの父親が主座に座り、家族の全員が揃うまで静かに待つ。
 やがて、最初に皿を取って、次々と始めさせた。

 バディの弟が三人、全員が高校生だが、俺の向かいに座っている。兄の前科者の友人を前にして、物珍しそうな顔つきをしているが、礼儀は失っていない。三人とも日焼けしており、体躯に贅肉はまったく存在しない。ブルージーンズに、色褪せたプリントシャツの袖をまくって、若くて力強い腕を見せている。まるで、「これぞアメリカの健康!」といった見本のようだ。

 バディの姉夫婦がテーブルの端にいる。は大学の講師だという。二人は、なんとなく俺を落ち着かない気分にさせる。俺は、男を、農民生活に一時的に魅せられたロマンチストか、あるいは、妻の家族の生活に一時的に旅行してきた東部大学人だとみた。浮かべた笑みも、握手も、過剰に気安く、あけっぴろげであり、願い下げみたいな感じのするものであった。
 妻、バディの姉は、母親似だ。整った体型、色白、素早い光を秘めた青い目をしている。しかし、その顔には、母親の持つ、機嫌のよさ、愉快さは存在しない。日光で漂白された波打ち髪の、美しい手を持つ美人ではあるが、内面の暗さが、すべてを台無しにしている。さらに、弟のバディが刑務所で知り合い、家に連れてきた相手、ノコノコやってきた男だということからくる憤り、敵意を、俺は感じ取っていた。

 しかし、バディの父親は、直観的に、尋常な人物ではないということを悟らせる相手であった。がっしりとした角張った肩、首は日焼けと風曝しでざらざらに強張っている。手のひらの縁は分厚くタコができ、爪には半月形の大工傷がある。

 父親は、齢はいっているけれどもハンサムな男である。茶色の薄い髪を広い額から真っ直ぐに撫でつけている。灰いろの目は、瞬きもせずに、こちらの目を見据える。アイルランド系の男はほとんどが顔の骨格の端に柔らかい部分を持つのだが、この男にはそれがない。背筋を真っ直ぐに伸ばして椅子に座り、その背にもたれることはない。
 やがて、ブルージーンズのポケットから鎖付きの銀時計を取り出し、初めて見るような仕草で、しばらくそれを眺めた。

 「時間だ、束ををトラックに積みあげなきゃいかん、みんな、支度はいいか」、父親がいう。
 弟三人が立ちあがり、父親に続いてキッチンを出ようとする。父親が、まるで思い直したような風情でこちらを振り返って、あのグレーの、瞬きしない目で、俺を見つめた。
 「パレットさん、表におもしろいものがありますが、見ますか」、そう問う。
 バディが、コーヒーカップ超しに俺を見て、ニヤッと笑う。
 俺はリオーダン氏、三人の息子と共に、裏庭に出た。

 今や、谷間全体に陽光が射しており、放牧地に散在する緑の牧草の束と、樹木を通してビタールート川(画像)に反射する光と、峡谷の壁を包む重々しい影の対比が、えも言えず美しい。俺は感動のあまり、立ち止まって胸で腕を組み、大きく息を吐いた。

Photo                       (Bitterroot Valley/ビタールート峡谷。下段右端は航空撮影写真。ココから)

 「こういう動物、みたことありますかな」、リオーダン氏が訊いてきた。
 氏は檻を開けて、大きなヌートリア(nutria、南米原産のげっ歯類。大きなネズミのような動物画像 )を掴み出した。
            ........................................

 「南部ルイジアナ以外では見たことがないですね、寒い気候で生きられるとは思いませんでした」。
「みんなそういうんだが、しかし、ヌートリアに、そのように助言した者はいない。この動物のこと、どれぐらい知ってるかね」。
  俺はパックからタバコを振り出して口に咥えた。..........この先、新しいゲームのルールをいろいろと教えられていくことになるんだな、おれは、そう感じた。

 「McIlhenny tabasco(マキルヘニー・タバスコ、画像 )の一族が1900年頃に南米から持ち帰ったと聞いています」、俺は答える、
 「言い伝えによると、ルイジアナ沿岸約12マイル沖のMarsh Island(マーシュ島)の檻に隔離されていたのが、嵐で檻が壊れ、陸地まで泳いで渡ってきたのだそうです。今では、南部ルイジアナのどこのバイユー(湖沼地帯)、キャナル(運河)にも棲んでいる。連中のいる水に犬が落ちると、犬を殺してしまうし、マスクラット猟のために仕掛けてある罠を、一日で一杯にしてしまう(マスクラット/muskrat=ネズミの一種、画像 )。

 「私は、こいつらを、この地域に定着させて、広げようと思っている。手伝ってくれるかね」。
  「ルイジアナでは、こいつらはペストのように嫌われているんですよ、リオーダンさん。米作りのための灌漑運河を壊してしまうし、ヤツら、さかりのついたミンクのように子を産みまくる」。
 「そうか、まあ、寒冷気候のなかでどう振舞うか、見てみようじゃないか」。

Photo_2  上段がヌートリア、下段はマスクラット。左端=その毛皮で作ったコート、真ん中=猟の罠(ワナ)。画像は、ココココから。

二、殺人前科者、仮出所中の身
 そして、突然訊いてきた、声色も変えずに。
 「あんた、人を殺したんだね」。
             You murdered a man, did you?
 俺は、とっさには返事ができなかった。
 「それは、おそらく、法的な用語定義の問題になると思います。私は、murder(謀殺)ではなく、manslaughter(故殺、非謀殺)で刑務所に行きました」。(*3)
             "That's probably a mutter of legal definition," I said. "I went to prison for manslaughter."
 「その議論は、場合によって、かなり微妙なものになると思うがね」、相手はいう。
 「はい、そうです」。
     (人を殺したいきさつにつき、Part-2を参照されたい)

 「君の仮出獄の居住地変更申請に伴う身元引受人になったのは、バディが頼みこんできたからだ。普段、私は、州政府や連邦政府との関わりを極力避けるようにしている。
 しかし、バディが泣きつくから。
 アレは、君に来てもらいたがった。
 だから、私は、ルイジアナ州当局とこの州の当局の両方と、ある種の契約を交わしたんだ。
 ということは、私も君も、こちら側は、かなりの制約に従って行動しなきゃいけないということになる。
 その意味、分かりますか、ミスター・パレット」。

 俺はタバコを吸いこんで、フェンスの方に弾き捨てた。頭に血がのぼって、手のひらに、血液が脈打ち始めるのを感じた。

 「リオーダンさん、私はこの先3年も仮出所期間を過ごさなければなりません。つまり、仮出所保護観察官がその気になれば、小切手の不渡りとか不就労とか、ちょっとしたことで、気まぐれに刑務所に送り返すことができる、あるいは、所定期日に出頭しなかったというだけで、そうできるのです。胃にガスが溜まり、げっぷが出るとか、前夜飲み足りなかったとか、今朝ベッドで女房に拒否されたとか、なんでもいい。
 ボールペンを動かすだけでいいのです。そうすれば、私は手錠でアンゴラ行きだ」。

 「あんたは、あの刑務所以外で農作業をやったことがあるかね」、相手が問う。
「私の親父は、サトウキビ経営をやっていました」、おれが答える。
 「牧草の束の積み下ろしで、一日10ドル支払おう。昼飯は母屋で出す。秋にも仕事がいっぱいある、もし、豚の屠殺を厭わないのなら」。

 リオーダン氏は、かかとのすり減ったカウボーイ・ブーツで、平床ワゴン車の方へ歩き去った。三人の息子たちが、そこで待機していた。

 俺は、相手がいきなり重い話題を持ち出してきたことと、俺の魂のプライベート部分にずかずか踏み込んできたことに対して、腹を立てたかった。しかし、できなかった。
 というのは、相手は、単に、正直に簡潔に物を言っただけであり、俺の方で対応準備ができていなかっただけのことであったから。 

*3."Murder"と"Manslaughter"
[Murder]
    謀殺 ― "malice aforethought"(予謀)をもって行われた不法な殺人をいう。
    故意の殺人のうち、voluntary manslaughter(故意故殺)を構成する事情がない場合、すなわち、激情状態(heat of passion)に陥って殺したというような事情のないものをいう。
  重大な身体傷害を加える故意で人を殺した場合は、人を殺す意図がなくても"murder"となる。
  著しく重い過失により、非常に高度な危険を有する行為で人を殺した場合にも、"murder"となりうる。
   "felony"(重罪)またはその未遂を犯す際に人を殺した者も、"felony murder"として処罰される。
 多くの州では"murder"を2つの等級(一部の州では3つの等級)に分けて、premediation(予謀)などがある場合や、arson(放火)、rape(強姦)、burglary(不法目的侵入)、robbery(強盗)などの一定のfelonyを犯す過程で行われた故意の殺人を"first degree murder"(第1級謀殺)として、その他の"murder"よりも重く処罰して、いる。
[Manslaughter]
    故殺、非謀殺 ― "malice aforethought"(予謀)なく行われた不法な殺人。
  "voluntary manslaughter"(故意故殺)と"involuntary manslaughter"(非故意殺)の2つの類型に分けることができる。
 "manslaughter"の一般的な訳語は「故殺」であるが、manslaughterには、過失致死罪や、「felony(重罪)にいたらない犯罪の結果としての致死罪」も含まれるので、「非謀殺」(「murder(謀殺)以外の殺人」という趣旨)という訳語を併せて掲げる。

   [参考] "felony"(重罪)とは(米国)、死刑または長期1年を超える定めのある犯罪のことをいう
                 (連邦法と、多くの州の州法で、そう定義されている)

  東京大学出版会、「BASIC英米法辞典」(編集代表田中英夫)による。ただし、一部、表現を少し変えているところがある。


三、町に出る
 俺はその日の午後ミズーラ市(Missoula)へ行って、保護観察官に、到着/移住開始を申告した。今度の観察官は、俺のことを特別問題児であるとみなさない、普通の人物であるようにみえた。そこで、15分後には、再び陽光の通りに立っていた。両手をポケットに突っ込み、青く、金色に輝く午後(blue-gold afternoon)の時間をたっぷりと使って、この見知らぬ町をどう やって探検してくれようかと、浮かれながら。 Photo_3          (左画像=市庁舎/City Hall。保護観察官事務所は、通常、裁判所、警察署などと共に、市庁舎の中にある。右画像=文字どおり、「青く、金色に輝く」ミズーラ。画像はココ から)


   ――Part-12に続く――

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2014年1月 6日 (月)

James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-10)。

2014.1.6
 おそまきながら、謹賀新年、今年も拙ブログをよろしく、
 と、ご挨拶して書き初め。
  なんだね、当ブログのこの記事、James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)関連記事、見る人誰もいなかったんだけど、ハハ、読んでくれた人が現れた。
 「Part 10を書け」という。ハハ、うれしいね。そこで!"Part 10"。

                                         <<<[関連記事一覧表](相互リンク機能を付しているので適宜参照されたい)>>> 

◆◆◆◆◆◆◆◆
 モンタナ州ミズーラ市(Missoula)の南方、ビタールート谷(Bitterroot Valley)。
 俺は、ここに住む友人を訪ねてやってきた。遙か南、ルイジアナ州から、1961Fordピックアップ・トラックを駆って。ヤツの家に着いて、そこは谷間のド田舎なのだが、在庫ビールを補充しがてら、町に繰り出して一杯やってこようということになった。
 オレのトラックで行った。
 ヤツの車はマス釣りに行った先のクリークに停めっぱなしにしてきたのだという。ヤツ、Buddy Riordan(バディ・リオーダン)は、アンゴラ(Angola Prison、ルイジアナ州刑務所)で知り合った相手だ。

 雑貨ストアの隣にある羽目板造りの居酒屋の駐車場に車を停めた。給油ポンプが2基置いてある。ピックアップ・トラックが何台も停まっており、どれもが、リア ウインドウに装着したラックにライフルとショットガンが立てかけてある。

          ----------------ここまで、Part-9--------------

 店に入り、バー(カウンター)に座ってビールを飲る。持ち帰り用ビールを1ケースとソーテルヌ・ワイン(sauterne)の小瓶を一本頼んだ。
  玉突き台の向こうで、石の暖炉の丸太が、唸りを上げて燃えている。壁にはヘラジカ(elk)やムース(mooseアメリカヘラジカ)の角が掛けられており、床には錆の浮いたフロンティア・ライフル(銃身の非常に長いライフル/画像)が数本、鹿の蹄に横たわっている。

Photo_2          (壁にかかっているライフルは、右端画像に見るように、鹿の爪で作った止め具に載っている。画像は、ココココココから)

 客の男たちはほとんどが、擦れたジーパンにナイロン製あるいはLeviジャケット、擦れ痛んだカウボーイ・ブーツかワークブーツ、色褪せたシャツ、天候に曝され汗がバンドに染みたカウボーイハットといった服装である。
 みな、図体がでかく、力が強そうに見える。大きな、荒々しい手と、風に曝されて荒れた顔をしている。

 玉突きをやっている男たちは、ショットをミスる度に、突き棒のゴムのついた側の端を台に打ちつけてドンと鳴らし、新たにゲームでボールを揃える際には、ガチャガチャとうるさく音をたてる。俺の隣に座っている二人の男は、ポーカーのサイコロを皮のコップで荒々しく振って、バンと音を立ててバーに叩きつける。

 俺は、初めのうちは気付かなかった。あるいは、オレは生れつき、前科者特有のパラノイア(妄想的分裂症)気質を持っているように感じているんだが、そのせいだろうと考えて撥ねつけていたのかもしれない。
 しかし、間もなく、テーブルに座ってる連中や、カウンターのエルボウ(肘、曲がったところ)に座っている男がちらちら寄こす視線に気付くようになった。そして、俺たち二人に原因があるわけではないことを確認しようとしてちらちらっと後方を振り返る際に、連中の目に冷たい悪意や、挑戦のひらめきを見た。
 何か知らないが、問題があり、オレはその上にどっかり座っていたのだ。オレはそう悟った。

Photo_2               (画像は、ココココココからのものの合成。玉突きは、映画Hustle/ハスラーのポールニューマン)

 俺は静かに座ってバディがビールを飲み終えるのを待った。すぐに場を去ろうとしたのだ。しかし、ヤツは、俺が止める間も与えずに、二本の追加を頼んでしまった。

 いまや、連中は、あからさまに、激しく「ガンつけ」をしてくるようになった。オレは目の前にあるパンチボード(小さな穴がいっぱい並んでいる板、ゲームや賭けの道具。見よ↓下画像)をじっと見続ける。

Photo_2                                       (パンチボード、画像はココから)

 その時、オレは不思議な感覚に捕われた。
 ――人の視線というものは、オレの横顔の上をさまよいまわる死神みたいに感じさせることがある、おれは充分成人した男なのだが、それであるにもかかわらず、そういう感情に追い込むことのあるものだ――
 この感覚だ。

 オレは、手にしたタバコを、まるでアホみたいに吸い続けることで、そうしながら、灰皿の中身をあれこれ検分することで、視線/死神感覚をごまかそうとした。
 そして、手洗いに立った。直観的な詐欺師のこっそり歩きで。両手を、ズボンのポケットに低く突っ込み、ハッ、クソッタレ、冷静だぜ、こちとら。肩をやや前かがみにして、両膝をゆったりとくつろがせながら。

 それなのに、カウンターに戻ってきてとき、じろじろ刺す目線は依然として消えなかった。オレはルイジアナの筋金入り不良なんだが、ハ、誰も、そんなこた、屁にも気にしていなかった。
 バディは、アホが、三杯目を飲んでいた。

「おい、これ、どうなってんだ」、
 オレは静かに訊いた。
   「ほっとけ、あんな連中」
「何なんだ」。
  「いいってえことよ、オイ、ところで、おまえ、便所に行くとき、カッコよかったなあ」。
「よせ、おい、バディ、出るぞ」。
  「まあ、落ち着けって、何人かイキがったからって、逃げてられるかってんだ」。
「何がどうなってんだか知らんが、他人の揉め事に巻き込まれるのやだぜ」。
 「分かった、これを飲み終えるまで待て、それで出よう」。

 外でCreat Fallsビールの段ボール箱をトラックの荷台に積み、石畳敷きの駐車場でぐるっと方向転換した。アスファルト道路に出て、ギアをセカンドに入れ、家に向かった加速した。ギザギザ頭の山の切片が月に刺さっている。

Greatfalls                       (Great Fallsビール。ココから)

 「ウン、で・・・何だったんだ、あれ」。
「親父がな、長年にわたって、ここらの住民を悩ませてきているんだ。そして、ここにきて、連中を蒸し焼きにした」。
 「なんで」。
 「パルプ工場ができたんだが、それを閉めさせようとしてんだ。ということは、400人ほどの男が失業することになる。だけど、気にするな、あんたにゃ、なにも関係ない。あそこにいた連中は、マッチョ気取りでカッコつけただけだ、年中やりたがる。

 われわれはキャトル・ガード(家畜脱出防止溝)を渡り、暗がりに沈んだ母屋を通り過ぎていった。建物後方の峡谷の壁が、雲間から射す月光に、険しく灰色にそびえ立っている。

 「明日家族に会わせるからな」、バディがいう、
 「メチャクチャいい家族だ、おれは、馬鹿な事をして、連中にあんな迷惑をかけなきゃよかったって、たまに悔やむことがある」。

 それで俺は、バディが酔っ払っていることに気付いた。というのは、おれが知っているかぎり、ヤツは個人的なことはしゃべらないやつだったからだ。ベンゼドレックス(Benzedrex)をやってラリってるときか、黒人たちからたまに入手するマリファナで浮いてるとき以外はしゃべらない。

 バディはソーテルヌ・ワインを(画像 )シカ肉の鍋に注ぎ、黒コショウとパセリを振りかけた。そのうえで、鉄の蓋を戻して、30分ほど置いてマリネにした。
 そのあいだ、二人はビールを飲み、おれはドブロのチューニングを試みた。血膨れになった耳のように分厚く、鈍くなっている指で。

 「おまえがなんで、ヒルビリー(hillbilly)(*1)なんて音楽にこだわり続けているのか、おれには分からない」、バディはいう、
  「だけど、まあ、上手いよな・・・・・・それで、あれ、作曲中だっていっていたあれ、できたかい」。
 やつの顔からは血の気が引き、タバコは挟んだ指を焦がしそうになっている。

「いや、まだだ、まだ、断片があれこれと浮かんでるだけでな」。
 「"Jolie Blonde"(*2)を演ってくれ」。

■Jole Blon(Jolie Blonde)/ジョリ・ブロン
 Pretty Blonde=可愛い金髪娘、の意だという。元来は、歌手から離れて親許に去っていったブロンドむすめ、今では他の男の腕に抱かれているムスメを唄った歌だという。



        ( この曲をドブロで弾き、唄ったわけだ)
   
 俺は、ドブロ(Dobro)でそれを弾き、下手くそなケイジャン・フランス語(Cajuan French)で唄った(*3)。聴きながらバディは、鍋のシカ肉を木のスプーンで混ぜている。
 やつの白い顔がストーブの熱で火照って、二年前にアンゴラ刑務所の広場で会った男、物想いと孤独に捕われている男のように見えた。
 俺たちはキッチンテーブルをポーチに引きずっていき、ブリキの皿からシカ肉を食べた。ガーリック・バターを塗ったパンと、バディが木製ボールに刻み盛った玉ねぎとビートのサラダと共に。

 鹿肉を食べるのは久しぶりで、キノコとワインのソースは、すごく、いい、うまい。
 山々の頂上から風が雪を吹き飛ばす様を見ながら、俺は思った。すべて、うまくいくだろうと。
   - - - - - -しかし、あのバーにいた時点で悟るべきだったのだ。あるいは、少なくとも、物事の一部でも悟るべきだった。
 事が、そこに存在していたんだ、問題が、事が。

*1.Hillbilly/ヒルビリー
   Hillbilly(ヒルビリー)とは、現在"countly music"(カントリー・ミュージック)と呼ばれている音楽ジャンルの、一時期の呼称(1925-1950年代)である。ただし、ハンク・ウイリアムズなど一部 の層は、その差別用語的な響きのゆえに反対したとされる(元来、主としてアパラチャ山脈などの田舎山岳地方に住む貧困層白人に対する悪意的な蔑称)。現在でも、 フォークソング(old-time music)やブルーグラス(blue grass)などを指すことばとして使用されることがあるという(Wikipedia)。

*2.Jole Blon(ジョリ・ブロン)
 元来はCajuan(ケイジャン)の伝統的なワルツで、その人気ゆえに、ケイジャン国歌ともいわれる。その後、全国的に流行った(Wikipedia)。

*3.ケイジャン(Cajuan)
  ケイジャン(英語: Cajun)とは、「アカディア人」を意味する「アケイディアン」(acadian)の訛り。フランスのアカディア植民地(米国東部メイン州あたりと、国境を挟んだカナダ周辺)に居住していたフランス語系の人々のうち、現在の米国ルイジアナ州に移住した人々とその子孫。
  音楽分野でケイジャンという用語は、白人がアコーディオンなどを演奏する音楽の一分野をさしている。見よ(Wikipedia)



――Part-11に続く――

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