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2014年1月24日 (金)

♪Wreck of the Old 97(97号列車の脱線事故)というカントリー曲を知った。周辺情報を調べた。えらく興味深く、雑学増大にも大いに役だった。曲の歌詞と日本語訳を掲げ、知り得た雑学のおすそ分けをしよう。

2014.1.17
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James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-xxx)。
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 こういうシリーズ記事を書いてきている(→相互リンク機能を付した記事一覧 )。
 その"Part-13、最終場面で(物語の最後に非ず )、 
主人公アイリー(Iry Paret、30歳)がWreck of the Old 97(オールド97の脱線事故)というカントリー曲を弾く。
「注」

  "Ole 97"、"Ole' 97"と表現する例も多く、著者Burkeも"Ole 97"としている。OleまたはOle'はOldの南部的俗表現である。また、著者は "The Wreck of the Ole 97"と、"The"を付しているが、Wikipediaに倣って付けないことにする500万枚売れたという1924年のVictorレコード盤の表示でも(↓に下に画像)、"The"はない。

 モンタナ
州、北部ロッキー山脈西側、Bitterroot Valley(ビタールート)の牧場で、穴を掘ってフェンス支柱を立てるという作業を朝から午後遅くまでやり、牧場正面から斜面底部沼地まで完成させるという目標を達成し、肉体的疲労は感じるが、「まっとうな仕事」をした、という充実感に浸りながら山小屋に戻り、小屋の裏手の渓流で「夕まずめ」時に喉裂き鮭(Cutthroat troute見よ )を釣り、小屋の主人、ムショ友達、アンゴラ(ルイジアナ州刑務所見よ )で知り合った友がニンニク胡椒風味で魚をバター焼きしているあいだ、缶ビールとピックギターを手に正面ポーチに出て、弾く。
 情感溢れる描写のなかで作者が弾かせる曲だ。
 「どんな曲か」。
 当然こうなる。
 そこで、YouTubeで聴き、周辺情報を調べた。
  わあ! 実におもしろい。
 事故がおもしろいといってるんじゃないよ、不謹慎にそんなことをいっているのではない、歌がおもしろいんだ、念のため。

 歌詞と日本語訳を掲げておく、併せて、仕入れた周辺情報を披露しておく。
                                 
 ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]


                   Wreck of the Old 97
                              Lyrics: Fred Jackson Lewey, Charles Noell
                  Melody: "The Ship That Never Returned"(by Henry Clay Work, 1865)

Well they gave him his orders in Monroe Virginia,
Sayin "Steve you're way behind time,
This is not 38, this is Ole' 97,
You must put her into Spencer on time."

So he turned around and said to his black greasy fireman
To shovel on a little more the coal.
And when we cross that White Oak Mountain
You can watch ole' 97 roll.
.........................................................
It's a mighty rough road from Lynchburg to Danville.
It's a line on a three mile grade.
It was on that grade that he lost his airbrakes.
You can see what a jump he made.
      
(↓Jhonny Cash/ジョニー・キャッシュはこの部分を次のように唄う。↓YouTubeビデオ)
    
Then a telegram come to Washington station.
        And this is how it read.
       "Oh that brave engineer that run old Ninety-Seven,
        He's a-lyin' in old Danville dead".

.......................................................................

He was goin' down that grade makin' 90 miles an hour.
When his whistle broke into a scream,
He was found in the wreck with his hand on the throttle,
Scalded to death by the steam.

So ladies you must take warnin'
From this time on and learn.
Never speak harsh words to your true lovin' husbands.
They may leave you and never return.

I said ladies you must take warnin'
From this time on and learn.
Never speak harsh words to your true lovin' husbands.
They may leave you and never return,
They may leave you and never return.

                        
 (Wikipediaから。但し、カンマ、ピリオドは当ブログ主による)

                             オールド97の脱線事故 (97郵便急行の脱線事故)
あのな、バージニア州モンローで、司令部は男に指示したんだ。
時刻表に遅れてるからなと、
38便じゃないぞ、泣く子も黙る97便だぞと、 
スペンサーに時刻表通り到着しろと、
スティーブにそう言った。

そこで、機関士はあちこち見まわし、
振り向いて言う、油汚れの黒人火夫に、
石炭をもっとくべろと。
 やがて、ホワイト・オーク・マウンテンの峠を越えると、
列車は転がるように突き進む。
.....................................................................
リンチバーグからダンビルまでは、難所だらけのきつい線路だ、
事故の場所、そこは三マイルの下り坂。
エアブレーキが効かなくなったのはその坂だ。
当然だ、列車はジャンプして転落した。

  (↓Jhonny Cash/ジョニー・キャッシュはこの部分を次のように唄う。↓YouTubeビデオ)
     そして、ワシントン駅に電報が入った。
     こうだ。
     「あの勇敢な機関士、Old 97を運転していた男、
     彼はダンビルで横たわっている。死体で」。

....................................................................

スティーブは、時速90マイル、下り坂を突き進む。
汽笛がブレーキ悲鳴に変わり、
男は、機関車残骸の中で死んでいた。
 スロットルに手をかけたまま死んでいた。
蒸気で死んだ、蒸し焼きにされて死んだ。

 ハハ、だからな、カアチャンたち、
分かったろう、教訓だ、
これからはな、可愛い亭主にな、
 荒々しく迫っちゃ駄目だぜ、うん、何をってか・・・アレ、アレよ。
家を飛び出して、戻ってこないかもしれないから。

  いいかい、カアチャンたち、
分かったろう、教訓だ、
これからはな、可愛い亭主にな、
 荒々しく迫っちゃ駄目だぜ、うん、何をってか・・・アレ、アレよ。
家を飛び出して、戻ってこないかもしれないから。
家出して、戻ってこないかもしれないから。

[翻訳検討など]
1.作詞/作曲
  歌詞は、Fred Jackson Lewey, Charles Noell とした。
 「その歌、俺が作ったんだ」として著作権争いがあったが、連邦最高裁判所で決着がついた。後で詳述する。
 メロディは、1865年にHenry Clay Worという人が作った"The Ship That Never Returned"(「二度と戻らなかった船」の意)という曲のそれを借用しているのだという。
  後で再度触れる。

2."This is not 38, this is Ole' 97"
      (38便じゃないぞ、泣く子も黙る97便だぞと)
  「38」、「97」というのは、その列車が従事する業務を区別するための番号だという。つまり、旅客列車、貨物列車、特殊貨物、郵便列車、各々につき、鈍行、急行、特急、超特急郵便、諸視点からのさらなる細分化といった業務区別、それを表わす番号である。
  この点に関して、機関車の型式(技術仕様)を示す「機関車番号」というのがあるが、それではないという。この機関車は、1102型機関車だった(ココから。そのwebページの記述の一部を後掲)。
 
 Wikipediaによれば、この"97"列車の正式名称は"Fast Mail"(郵便特急、郵便急行、速達郵便列車)だという(見よ)。
 Old 97(Ole 97')という愛称、俗称で呼ばれたのは、次のような用法によるものであろう。 すなわち、My old man went to New York...(おれの親父、わたしの亭主/旦那)とか、"You, old boy, can't you see ......"(おい、お前.......)」と友人などにいう場合の"old"、親しみの意味を込めた"old"であろう(「老いた」とか「古い」という意味とは直接的には関係しない)。

 なお、「泣く子も黙る97便だぞ」としたのは次の理由による。
 すなわち、この列車は、「絶対に遅れない列車、遅れた試しがない列車」という異名をとっていたのである。

3."he lost his airbrakes"
  (エアブレーキが効かなくなった)
  列車のエアブレーキ(圧縮空気ブレーキ)とは、「空気圧縮機で『元空気タンク』と呼ばれるタンクに圧縮空気を溜めておいて、運転席のブレーキ弁でブレーキ力を制御する仕組みのブレーキである(ココから)。

4.Scalded to death by the steam.
 (蒸気で死んだ、蒸し焼きにされて死んだ)
 汽笛の悲鳴と物音と舞い上がる埃で事故を知り、近隣住民が駆け付けた。何体かの遺体を車体残骸から引き出そうとした歳に、皮膚というか肉というか、それが、ペロリと、というよりも「ズルーッと」という表現の方がいいか、とにかく、剥けた(むけた)、骨から剥がれたという情報がある(ココ)。
 そこで、英文は単に「蒸気で火傷(やけ)死んだ」 となっているのだが、「蒸し焼きにされて死んだ」を加えた。
 機関士、スティーブ当人だが、彼は救助隊が到着した際にまだ生きていたという説もある。すなわち、横転した機関車の運転席で構造物に足を挟まれ身動きできない状態であり、脚を切断して助けようとしたが間に合わず、上から垂れてくる熱湯で火傷(やけ)死んだとする。

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 上記「38 vs 97」について情報を仕入れたWebページの記述の一部を掲げておく。
[Answers]
The numbers "38" and "97" were Train numbers on the schedule, not locomotive numbers. Mail train #97 was an important mail train from Washington DC to Atlanta, GA. The mail contract was lucrative ($140,000 per year) but the Southern had a substantial monetary penalty for each minute the train was late. Hence, "you MUST bring put her in Spencer on time."


[返答]
  「38」、「97」という数字は、従事業務を区別するための列車番号であり、機関車の型式番号ではありません。「郵便列車97号」は、ワシントンDCと ジョージア州アトランタを結ぶ重要な郵便列車です。郵便物輸送契約は非常に儲かる仕事でした(年間140,000ドル)。しかし、Southern社(引 用者「注」―Southern Railway社)としては、列車の遅れ時間に対して多額の違約金を支払わなければならないことになっておりました。
 列車をスペンサーに時刻表どおりに、「何が何でも」到着させろ、と指示されたのは、この故なのです。
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Wreck of the Old 97 Johnny Cash (歌詞付き)
 
 (バカでかいサイズにしたが、事故状況がよく分かるようにするためである)

Old97

  [上から下に順に、Washington D.C.(楕円)、Monroe(バージニア州、四角)、事故現場(州境に近いDanvilleという町のそば、小楕円X印)、Spencer(ノース・カロライナ、四角)、Atlanta(楕円)]


971
  ↑
Stillhouse Trestle(スティルハウス構脚の事故現場。「構脚」とは、架台としての堅固な枠組みのことである(見よ)。下り坂の終点あたりが4フィート(1.2m)高さの構脚上を走るようになっており(雑木林のような場所を走り抜けていたようだ)、上の事故現場画像に見る鉄橋に続いていた。この鉄橋はStillhouse Branch(スティルハウス支流)という谷川(峡谷)にかかるもので、列車は鉄橋に入りきれず、谷に転落した。こういうことのようだ。。
 事故の知らせに、近辺の人が救助や見物に集まった。下段左画像は、日曜日の正装をした婦人たちが、救助支援をしているところ。下段真ん中が事故現場の現状。現在は構脚は存在しない。歴史的な鉄道事故現場であることを示す表示板が立っている

 上段左端は、現場から回収して修理した後に再び仕事に就いた機関車、――別路線で就業したのだというが――その機関車のことを報じた、雑誌かなんかの記事、あるいは、博物館資料。

2
                         Lynchburg(上)とDamvill(下)の間の線路は難所続きだったという。Google地図でこの場所を拡大すると、その様子がよく分かる。
                 ずっと、峡谷の中を走っている。

[1102型機関車]
  Old 97列車の機関車は、1102型機関車だった。「4-6-0」形式の10車輪機関車である。その1102機関車は、事故からほんの10ヶ月前にフィラデルフィアのBaldwin Factory(ボールドウィン工場)から納入されたばかりの「新車」であった。

97             (↓下のYouTubeビデオ、アマチュア歴史愛好家による「The Wreck of the Old 97」から)


[1102型機関車]

2011             (1102機関車。↓下のYouTubeビデオ、アマチュア歴史愛好家による「The Wreck of the Old 97」から。

2011_2

      (同じく1102機関車。Southern Railway社は、事故破損機関車を現場から回収して修理した。
      その再生機関車は1930年まで働いた。画像は、修理後の姿だという(ココから)
 

[4-6-0形式]460_5
 
  [4-6-0構造。先輪(leading wheels) → 2x2=4連結駆動輪(Powerd-and-coupled-driving wheels) → 2x3=6
                      従輪(Trailing wheels) → 0]

460_6              [先輪(leading wheels)(赤枠) - 2x2=4車輪は、駆動はしない。カーブ走行制御と
                             ボイラー前部支えの役割をする] (画像はWikipediaから。但し、向きを変えてある)

4600               [従輪(Trailing wheels)。重い負荷を引っ張っての発進時など、臨時の追加動力を必要とする場合に使用する駆動車輪。
                             論じているOld 97、すなわち1102型機関車には備わっていない。すなわち、"0"]
                                  (画像はWikipediaから。
但し、向きを変えてある)

460                      [連結駆動輪。画像はWikipediaから。但し、向きを変えてある]


Wikipediaからの情報

  (記述の一部分を掲げる)
概略
 "Old -97"列車はSouthern Railway(サザン・レイルウェイ)社の列車で、正式名称を"Fast-Mail"(速達列車)という。ワシントンDCとジョージア州アトランタ(Atlanta)を結ぶ列車便で、1902年12月に運行を開始した。
 1903年9月27日、バージニア州(Virginia)のMonroe(モンロー)駅からノース・カロライナ州(North Carolina)のSpencer(スペンサー)駅に向かう途中で、列車はStillhouse Trestle(スティルハウス構脚。州境近くにDanvilleという町があり、その近く)で脱線事故を起こした。
  この脱線事故に基づいて有名な鉄道歌謡が世に現れた。その歌は複雑な著作権訴訟の対象になったが、カントリー音楽の分野で人気となった。

事故
 1102型機関車を運転していた33歳の機関士Joseph A. Broady("Steve")/ジョセフ A. Broady(愛称「スティーブ」)が、列車の遅れを取り戻してスペンサー駅に時刻表どおりに到着させようとして、高速で運転している途中で起きた。
 その日、Old 97列車はワシントンDCを出発した時点で遅れを出しており、モンローに着いた時点で、1時間の遅刻となっていた。モンローで乗組員が交代し、17人が乗ってそこを出発した。機関士(運転手)スティーブもここで乗りこんだ。
 列車がバージニア州Lynchburg駅(リンチバーグ)に到着したときに金庫係が一人乗り込んだので、事故時には総勢18人であった。
 11人が死亡し、7人が負傷した。

  モンロー駅においてスティーブは、「速達列車」をスペンサーに、そこまで166マイルの行程だが、時刻表どおりに到着させよと命じられていた。モンロー/スペンサー間の所定所要時間は4時間15分に設定されていた。平均速度に換算すると、時速39マイル(62.4キロ)である。一時間の遅れを取り戻すためには、51マイル(82キロ)で走らなければならない。スティーブは、通常なら停止することになっているFranklin(フランクリン)ジャンクション(連絡駅)を、その速度で走り抜けろと命じられていた。

 モンローとスペンサーの間は起伏の多い地形で、坂道と半径の短い急カーブとの組み合わせにより、危険な地点がいっぱいある。
  機関士に対して速度に気をつけるように促す表示が各所に掲げられている。しかし
遅れを取り戻そうと懸命なスティーブは、急速度で急勾配を駈け下りようとした。勾配の終着点は4フィートの高さのStillhouse構脚であり、それはStillhouse Branch(スティルハウス支流)をまたいでいる。
 構脚に導くカーブに入ってきたとき、充分にスピードを落とすことができなかったために、列車の全車両が脱線してしまい、下の谷間に突っ込んでしまった。

 脱線墜落後に発生した炎が猛烈な勢いで広がったために、木製車両の残骸は跡形もなく燃え尽きてしまった。地元消防隊は、消火するのに非常に苦労した。焼失のために現場検証の手掛かりがなく、目撃者もほとんどいないので、原因究明は大いに制約された。最終的には、9人が死亡したと結論づけられた。
 郵便物は一部しか残らなかった。そのなかには数羽のカナリアの入った大きな鳥かごがあり、鳥たちは飛び去ってしまった。
1102機関車は回収され、修理された後、1935年に廃棄処分されるまで働いた。


 事故の翌日、Finely副大統領が声明を発し、次のように述べている。
 「列車は2両の郵便車両で構成されていた。一両は速達便、他は郵便物を収納するための貨物車両である――中略――。目撃者全員が一致して述べるところによると、列車は構脚に時速30から35マイルで近づいていったそうである」。

 サザン・レイルウェイ社は事故の原因は機関士ブローディにあるとし、時刻表を守るために可能な限り速く走れと会社側が命じたことの非は無視している。スティルハウス構脚に至る下り坂を時速70マイル(112キロ)超の速度で下っていったと述べている。
 これに対し、数名の目撃者は、50マイル(80キロ)ぐらいであったとする。
 いずれにせよ、会社は、少なくとも、部分的責任を負うべきである。郵便物輸送について("Fast Mail"という列車名はそこから来ている)国営郵便事業と利益の多い契約を交わしていたのであるから。すなわち、契約に盛り込まれている運送遅滞違約金支払条項からして、スペンサー駅への遅刻にもそれが適用されることになっていたからである。Fast Mail列車を運転していた機関士たちは、常にプレッシャーを感じていたのではないか。郵便運送遅滞の違約金を会社が支払う事態が起きないように時刻表どおりに運行しなければならない、というプレッシャーを。
 おそらく、そう結論付けることが許されよう。

  Old 97列車は1903年4月にも別の事故を起こしている。ワシントンDC午前8時発ニューオリンズ行き。ノースカロライナ州Lexington(レキシントン)で軌道上の石とぶつかり、脱線して溝に落ちた。機関士と火夫が死亡した。
 列車を牽引していた機関車の型式は不明だが、1102ではない。1102は、まだ導入されていなかった。

カントリー曲
 事故は歌謡歌手の心を惹いた。最も有名なものは、最初に商業録音された演奏で、バージニア州のミュジッシャンG. B. GraysonHenry Whitterによるものである(↓下にYouTubeビデオ)。
 1924年にVernon Dalhart版が出た(Victorレコード番号19427)。それは、米国レコード業界カントリィ・ミュージック分野での最初のミリオンセラーだといわれることがある(下にYouTubeビデオ)。
 それ以来、大勢の奏者が手掛けている。

  Lynchburg(リンチバーグ)近辺の鉄道従業員、船乗り稼業の人々、モンタナ州に住む感傷的なカウボーイたちのあいだで非常に人気を博した。
 バンジョーとフィドルをバックに、歌詞が入る。態様はさまざまだ。唄われ、呟かれ、裏声で唄われ、口笛混じりで唄われ、ムニャムニャ唸られ、朗読され、あるいは詠じられる。

 歌はHenry Clay Work(ヘンリー・クラーク・ワーク)が1865に作曲したThe Ship That Never Returned(ザ・シップ・ザット・ネバー・リターンド「「二度と戻らぬ船」の意)のメロディーで唄われる。
 このメロディを借用した歌曲は数多くあるという。作者ワークは、「大きな古時計」(My Grandfather's Clock)の作曲者として知られている。

<著作権問題>
 歌詞は当初Fred Jackson LeweyとCharles Noellの共同作詞によるものだとされていた。
Leweyは事故の翌日に書いたと語っている。死亡した二人の火夫のうちの一人が従兄のAlbion Clappだったという。Leweyは構脚の土台になっている地の綿花工場で働いているといい、事故現場に行って犠牲者らを残骸から引き出す作業をしたと語っている。
 その原歌詞をミュージッシャンのHenry Whitter(最初に吹き込んだ歌手/奏者。見よ↓YouTube) が磨いて、Dalhartが唄った版となった。

 ところが1927年に、"Wreck of the Old 97"はDavid Graves Georgeが作詞したものであるという異議が申し立てられた。
 すなわち、1924年にVictor Talking Machine Company(ビクター)社から、この曲のレコードが発売され、よく売れた。それに対して、David Graves Georgeが作詞権を主張して著作権侵害で裁判所に訴えたのである。
 当人は地元住民であり、現場に駆けつけた者の一人である。職業は制動手(ブレーキ係)兼電報係で、唄うことが趣味であるという。目撃した悲劇に触発されて詩を書いた。こう語る。
 長らく決着がつかなかったが、1933年になって、John Boyd判事が、訴えを認め、最終的に原作者はDavid G. Georgeである旨を宣言した。
 これを受けて、ビクターはデイビットに利益の一部を支払わなければならなくなった。レコードは500万枚売れた。デイビッドは、65,295ドル程度を受け取ったという。

 ビクターは3回上訴した。第1、2の上訴審では、裁判所は訴えを退けてデイビットの勝訴とした。第3の審理、アメリカ合衆国連邦最高裁判所は、下級審判決を覆し、ビクター社に著作権があるとした。

◆◆◆◆◆◆◆◆
1923 - Henry Whitter - "Wreck of the Old 97"
   唄ヘンリー・ウインター(この曲が世に出た初レコード)

 Tube投稿者の解説によると、Okeh Records社への吹き込みだという(78回転ビニール盤)。
2007.11.20にネット上でWFMU (www.wfmu.org)によってレコードが再演された由で、それを録音したものだそうだ。G.B. Graysonが演奏に加わっているのかいないのか、肯定否定両説があり、投稿者としてはどちらなのか判定しえないが、MFMUは肯定しているという。
 "WFMU"とは何か、と上記アドレスをたどってみると、ニュージャージー州所在の非営利ラジオ局であった(
マンハッタン南端部の対岸あたりにあるという)

WRECK OF THE OLD 97 by Vernon Dalhart 1924
  唄バーモン・ダルハート(このレコードがきっかけになって、作詞著作権侵害訴訟が提起された)

Photo_2 Victor Talking Machine Companyからの1924年レコード (唄、Vernon Dalhart)カントリー界初のミリオンセラーだという(上の著作権紛争関連記述では、500万枚売れたとしている)。


■The Wreck of the Old 97
  (地元のアマチュア歴史愛好家が事故の内容を語る。必見!)

    (聴き取りを試み、語りの日本語訳を後日掲げる、まあ、うまくいけばだが)


 

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