ビートルズ

2012年3月22日 (木)

Groove、Groovin' High、そして、"Murder.... and All That Jazz; 13 Showstopping Stories of Crime and Jazz"(殺人事件、そして、時代背景としての折々のジャズ」 -「犯罪とジャズについての13の短編傑作」)―後編

2012.3.22
 前回記事(2012.3.19)の後編である。
 6年前にmixiの「日記」に書いた記事を再掲する。三日坊主というが、このmixi活動は開始後3カ月ぐらいで停止し、そのままになっている。
 ****線で囲んだ色分け部分がmixi記事。

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■菊名日記-Groovin' High-続き    2006年07月21日14:48
 ばか暑かったり、涼しかったりします。みなさん、身体に変調をきたさないように気をつけてください。
 と挨拶を申し述べて、前稿の続き、「演奏における変調」の話題に入ります。

(一)潔く反省
 実のところ、この数日この「続き」の記述に呻吟している。書いては消し、消しては書き。その理由はひとつ。元々書きたいことは単純な一点しかなかったのに、それをもったいぶって、飾り立てて書こうとしたからである。
 つまり、仰々しく始めてはみたものの、後が続かず、尻切れトンボになろうとしているのである。竜頭蛇尾、羊頭狗肉。後で気がつくバカの知恵。
 なんとかごまかそうとしたが、やはりかなわぬ。ここは、秋田県警の例もあることだから、潔く過失を認めて反省しよう。

(二)結論-いいたかったこと
 次のようなことである。
1.状況設定
次のような状況が起きたと仮定する。
 張り切ってブローするのはよいが、途中で、数拍「喰った」状態になる。当人は気づかず、そのまま「かっこよく」ブローし続けている。--「カッコイイ」なんてことばは、しょせん、こういう軽薄かつ安っぽい場でしか似合わないものよ--。

 それはともかく、リズム隊がやむなく数拍ワープして変調を繕った。ところが、何度も同じことが起きた。そのような状態であるにもかかわらず、件の奏者は延々と6コーラスにも及んでソロを続けた。聴いているこちらは、「いいかげんにして」と感じる。ベースの人は、「放り投げようと何度も考えたが、客がいることでもあるし我慢した」という顔つきをしている。
 (「ブローする」は便宜上のものです。適宜、「吹く」、「弾く」に読み替えてください)
 輪をかけて悪いことには、この奏者の態度を許容、ないし助成するような姿勢が大勢を占めたために、このような事態が数曲にわたって続いた。

2.提言、苦言
(1)無神経に乱調を引き起こすことは止めようではないか。
 あくまでも、「無神経に」引き起こすことについての苦言である。真剣に取り組んでいるにもかかわらず変調、乱調が起きてしまったという場合については、褒められたことではないが、ノープロブレム・アト・オールである。「無神経な場合」は容易に見分けがつく。

(2)周りも、安易に迎合するのはよそう。
 場が弛緩し、安っぽくなってしまう。
 「安っぽさこそ、猥雑さこそJazzだ」といった議論で向かってこないでくれ。平面が異なる。

(3)諫める理由は、次のとおり。
 他流試合的な知的刺激を求めてジャムセッションにやってくる人が多い。というよりも、ある意味で全員がそうだといってよい。立ち合う各自が「真剣に」振る舞わないと知的刺激は生まれない。

 ところで、「ジャズ人」は、ある奏者の技量の巧拙、アドリブにおける発想/アプローチ、学派的嗜好、見解一般といった点について、相手を尊重する傾向が強い。他面ではかなり荒っぽい男(または女)であっても、あからさまに相手を批判するようなことは避ける(異論もあろうが、ここではそうだとしておいてほしい)。
 そのことから、真剣な立ち会いを求めて参加した人が、マイノリティ奏者というか、サイレント奏者というか、声なき声というか、おとなしい奏者、気の弱い奏者、奥ゆかしい奏者というか、なににせよそういう立場になることが多い。言い換えれば、無神経さが表だって咎められることが少ないのである。
 そこで、「無神経な乱調惹起」は、セッション参加者の権利を甚だしく侵害する。

(4)真剣
 ついでに「真剣」の意味について述べておこう。
 「真剣に」という内容は、自ずから暗黙的に定まっている。「いきなり道場にガニ股で飛び出してきて、キエーッなどと叫びながら鎖鎌を振り回す」ような流儀は、仮に当人は「真剣だ」と主張するにしても、それは別世界における真剣にすぎないから、仲間すべてが同一の見解を抱く世界でやってもらうほかはない。
 ただし、そのような世界が存在するかどうかは知らぬ。

 伝え聞くところによると、なんでも、「泥平民河岸」というところに「自由演武道場」というのがあるそうな。そこに数名が押し掛けて、鎖鎌、弓矢、手裏剣、剣先からさらに剣が飛び出す仕掛けの青龍刀などで、まず演武してみせたという。しかし、さらに立ち合いを望んだところ、老道場主から、「ひきとりなさい」と静かに諭されたそうだ。

 「なぜだ、お主、臆したか。ナンデモアリだというではないか」
 こう喚く鎖鎌に、師範代を勤める息子が、これも静かに次のように述べ、連中を外へ導いたそうだ。

--貴公らは錯覚に陥っておられる。前衛を試みる前に伝統を深く学ばねばならぬ。かの李湖荷津先生もそういっておられる。
 統一なくして統一あり。制約なくして制約あり。虚は無にみえて、実は有なり。律なきところ美なし、感動なし--

(三)もう一回続編を置くこと
 「Groovin' High」という題で始めたのだから、それに関連した記述で締めなければなるまい。口調も、多少は冒頭に合わせて終わらせてみたい。よって別稿を置きたい。時間を置かずに掲載することを約す。

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菊名日記-Groovin' High-完    2006年07月21日16:55

(一)基本パルスと規定長
(1)伝統的規約
 テナーサックAとベースBが、ミディアムテンポの12小節形式ブルースをデュオで演奏するとしよう。伝統的ジャズ演奏形式では次のような制約を受ける。
(a)当初の基本パルスが連続的に維持された状態で終わらなければならぬ。
(b)[12 x n]小節という所定の長さで終わらなければならぬ。(意図的な中断や、小節挿入/削減などはないことを前提にしている。「n」は整数。)
 これがいわば規約であり、プレイヤーに課せられた要件である。

(2)基本パルス-潜在的パルス
 説明するまでもないことであるが、念のために、「基本パルス」なるものについて触れておこう。(「基本パルス」という語は便宜上使用しているだけのものであり、権威をもって定義されている用語だということではない)

 上記A、B二人の心の中には、出発点の速度による「ワン・ツウ・スリ・フォ」パルスがその強弱(裏表)波形の連続体として、潜在的な基本パルスとして維持されていく。奏者だけでなく、聴衆の心の中にもこのパルスが維持されていく。演奏の途中では次のような現象が起きる。

(i)Bが「トントントントン」あるいはそれに近い規則的な「4つ打ち」を維持し、Aがそれに乗っかって、自在にシンコペを操り、裏になったり表になったりしながら泳いでいく。
 --Aが強力に攻めてくる場合、Bはしっかり踏ん張っていないと負けてしまう。でも、負けてしまうようでは困るんだな、コレ。

(ii)Aが黙して、Bがシンコペを操りながらソロをとる。
 --Aはしっかり行方を追っていないと現在地を見失ってしまう。ただし、最後の部分をBが、「ンドドードンドン、ドンドンドンドン、ンドドンドンドン、ドッドドンドンドン」などとやってくれると、たいがい救われる。
 こういうベースは偉いね! 好きだなあ、気配りのできるベースは。

(iii)両者がともにシンコペ/変則リズムで、ある長さを進む。
 --ガタガタになる危険が大きい。だが、たいがいはBは見識ある人物だから、崩壊の危険を察知したら、さっと回復に向けて行動する。

(二)とことんまで芸を追求する喜び
(1)奏者は、複雑なフレーズや「乗り」を試みる場合(特にアドリブにおいて)、「乱調」を起こさないようにすることとのオフセット(主張の凹凸的調整)で事を考える。
 より難解なフレーズを、より複雑な変則リズムを駆使して、より新鮮な和声解釈による音構成で成功させたい。
(そういう風に狙うことが、ある目的との関連において適切であるかどうかは一応脇に置いて、とにかく仮にこう考えたとする)
その場合、難解/複雑を狙えば狙うほど、潜在パルス進行から遅れてしまったり、はるか先に飛んでしまったりする危険が大きくなる。そこで、この相克関係を調整するわけである。

(2)リスクが大きいということは、それだけ冒険スリルが大きいということであり、成功したときの喜びが大きいということである。だから、上級者になると、極限状態までこの綱渡りをしてみたくなる。

   --「ヤクでハイになると、超弩級のことができる」--
 麻薬伝説における連中は、このような錯覚にとらわれて手を染め、深みに落ちていった。
(錯覚かどうか、実際のところは知らないのであるが、教育的観点から錯覚ということ  にしておく)

(三)チャーリー・パーカーという男
(1)「俺たちゃこういうことをやろうとしているんだ」
 バップ運動黎明期から隆盛期にかけて、パーカーたちは、世に対してこのように呼びかけ、その内容を示してきた。
 アドリブ重視、和声拡張、リフ旋律テーマ、変調ビートなど、その内容は、ワタシなんかよりみなさんの方がずっとよくご存じのとおりです。

 それはそれとして、連中は、特にパーカーは、このような主張を展開していく側面で、既存体制を次のように挑発してきた。

(2)できるかい、吹けるかい、弾けるかい、やってみな
運動に身を投じるには、楽器操作自体について、高水準の技術(クラフト、クラフトマンシップ)を必要とすることを述べているのである。
 「オレらの仲間に入るには、テクがないとだめだよ」と宣言しているわけだが、大ぴらにいうわけにはいかない。ゆえに、比喩などを用いてほのめかす。

 ジャズの世界に限らず、およそ「前衛」なるものは、既存価値からのいじめと闘争しながら進んでいく存在であることを宿命、本質とする。ゆえに、孤高的優位をもって高い場所から見下ろしつつ現体制を挑発し続ける態度を、ある時期においてとり続ける。
 よって、バッパーたちがそのような挑発行動をとったとしても、怪しむにはあたらないし、責めるべきことでもない。

(3)パーカーという男は、一種独特のとぼけた調子で、このほのめかしを、かなりしつこくやっている。どうも、そのような気がする。
 まず、曲名から暗示させる方法でほのめかしているように思うのだが、どうだろうか。次のような曲名はその類ではないかと思う。
   Confirmation、Constellation, Ornithology
(これらの曲名がなぜほのめかしになるのか、各自じっくりと考えていただきたい。筆者は、曲名の元来の意味と、曲の内容との関係に注目してこのような発想に至ったわけである。はたして、あたっているか。それとも単なるアホな独りよがりか)

 演奏の中でほのめかしている場合もある。
 ニューオリンズJazz古典曲にHigh Society Ragというのがある。行進曲風のものであり、その曲にも、行進曲一般において「トリオ」と呼ばれる部分に相当する32小節部分がある。話が長くなるが、この部分に設定されている一定の旋律(元来は原曲のピッコロ旋律)を吹きこなせるかどうかということが、クラリネット奏者の資格試験として使用されてきたといわれている。すなわち、バンドに採用してもらえるかどうか、あるいは、業界で一人前のクラリネット/リード楽器奏者として認めてもらえるかどうかのテストである。

 さて、パーカーは、自作のWarming Up A Riffという曲のアドリブで(テーマもアドリブも区別がないような曲なのだが)このテスト旋律を吹いているのである。「曲名そのものがすでに一種挑戦的な意図を暗示的に告げている曲」においてである。同じく、自作のKo-Koという曲でもこれをやっている。
 言い伝えられているエピソードを意識したうえで、「ほら、ちゃんとできますよ、反対に、みなさんは、私がいま吹いているような難しいフレーズがこなせますか」とふざけてみせているのである。おそらく。

(四)グルービン・ハイ
(1)バップの心を一言で表したような曲名ではないかと考えている。
--「さあ、いっちょう、やってやろうじゃないか」--
 先に述べたような冒険、挑戦を、それぞれのプレイヤーが極限まで試して成功させ、自分も、バンドも、聴衆も楽しむ。この意味で、「最高の演奏をやってみせよう」と宣言している、あるいは、「最高の演奏をやろうじゃないか」と呼びかけているのである。
 バップ運動の本質的主張を曲名で暗示している例のひとつである。
 (ここでいっているのは、「できるかい」という挑戦の暗示じゃないよ。本質的主張の暗示ですよ。)

ガレスピー
 「どういう題がいいかな」
パーカー
「"Groovin' High"はどうだ」
 「それがいいな、そうしよう」

  こんなことであったかどうか (一般にガレスピーの作とされるが、パーカーとの共作だとする説もある。なお、歌詞が作られているが、本質的には器楽曲であろう。リフ的な旋律に沿って後から適当な言葉を貼り付けていったのではないか)。
 極限まで「芸」を追求するところにバップの真髄がある。そのことこそがGroovin' Highという曲の心なのだろう。

(2)バグズ・グルーブ(Bags' Groove)
 --曲はBillie's Bounce。テナサックスAは、自在にシンコペを操り、裏になり表になり、4ビート強弱拍の溝を縫うようにして、華麗でスリルに富むソロを展開している。たいがい数小節毎に正常乗りに戻すが、場合によってはコーラスの大半を裏乗りのまま進行させ、そのまま次コーラスに突入することもある。
 いずれにしても、nコーラスから成るソロが終わる段階では、ビートを正常に戻して(とりあえず一度は戻して)、次の走者に送り渡し、ヒヤヒヤしどおしだった聴衆を安心させるのだ。一挙に緊張から解き放たれた聴衆はそこで、大きく息を吐き、感動し、拍手を送る。

 聴衆だけでなく、他プレイヤーも安心するのだ。いや、大事なのは自分のことだ。自分自身も、ホッとし、「やったね」、「どうだ、みたか」などと心でつぶやいて密かに自慢してみせるのである。
 「グルーブしたぞ」というこのような心情が、直後の態度からありありと窺える人、あるいは、意識的に表している人もいる。機会があったら、ミルト・ジャクソンの実演録画を観てごらん。
 そういえば、Bag's Grooveという曲もあったな。

(五)終幕 - 1961年、横浜
 アメリカ西海岸でウイルソンがマイルスに振られたこの年、その8月、横浜での出来事である。

 --本牧にあるそのクラブでは、ハウスバンドが熱演を繰り広げていた。バンドには、クリフ・クインテットという名がついている。パーカーに傾倒するYというアルト吹きがバンマスをやっている。Yはこの夜、特別ゲストを迎えていた。「ハマの天才」と呼ばれているモダン・ピアニストだ。

 「ダドゥデドドゥドドゥデ、ディーイー、ドゥドゥ」。
 アップテンポの曲で、アルトとピアノが4バースの掛け合いをやっている。時刻は23時を過ぎたところだ。どうやら、このステージ最後の曲らしい。

 店の入口から右手方向に、壁まで、ゆったりしたスペースをとってバーカウンターが伸びている。ステージは右側面中央部にある。50坪程度か、かなり広い店だ。ほぼ満杯で、外国人男女もあちこちの席に点在している。近辺にいくつもある米軍基地や施設からの人々であろう。

 バーカウンターの、入口に近い場所のスツールに若い男が一人で座っている。よく陽に焼け、短髪、長身だ。白のコットン上下に、ベージュのスエード靴。大きく襟を出したブルー基調のアロハがよく似合っている。男は、バーボングラスを片手に、半身になってステージを眺め、演奏に耳を傾けている。スツールから床に伸びた足が長い。

 「いかすぜこのバンド、なんて曲だい
 男がバーマンに問う。
  「はい、たしか、グルービン・ハイという曲です
 「どういう意味だい」
 「それが・・・・・・前に訊いたことがあるんですが・・・・・・『いかした演奏』とかいう意味だそうで」
 バーマンは、なぜか困惑したような顔つきで、男を下から見上げて告げた。

 男は立ち上がり、くゆらしていたタバコをテーブルの灰皿に押しつぶした。
 バーマンに目を合わせて、にやっと笑った。
      「ハハ、そいつあ、いかすぜ
---裕次郎は、両手をポケットに突っ込み、右肩をしゃくって、大股で出ていった。

-完-
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[補足]
― 上記「五、終幕―1961年横浜」の末尾の記述、意味を理解してもらうために、「前編」から関連記述を引っ張ってきて貼っておく。
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(3)"groove"-俗語表現としての、「いかしたジャズ演奏」、「いかすジャズ演奏をする
 「いかした」、「いかす」とは、一言では説明できないが、あえていえば、まあ、「カッコイイ」とでもいうような意味である。

 余談だが、すこし回り道をする。
 友人にいわせると「いかす」という言葉は死語であるという。初期裕次郎時代の言葉だ。髪を短く刈ったあの若い八重歯顔で、「あんた、イカスぜ」なんて囁かれると、オンナはイチコロで「イッタ」もんだ。いかなかった人は、「うち、不感症かしらん」と病院を訪れたという(真偽は知らぬ)。
  若年層には意味不明の言葉かもしれない。しかし、「カッコイイ」なんていう凡庸な流行言葉とは、格段の品質差のある言葉なのだ。「格好がいい」、「格好の よい」→「カッコイイ」。なんてつまらぬ発想か。なんて短絡か。こういう連中にはろくなアドリブもできまい。「味」というものが理解できないんだから。

 いく,ゆく、行く、逝く、死ぬ、イク、シヌ→イカス(イク状態にさせる)
 こういう構図なのかどうか知らないが、もし当たっているとすれば、なんて奥ゆかしいことか。なんて含蓄か。こう考える見解に賛同する人のアドリブなら、聴きたいね、じっくりと。「味」というものが分かる人なのだもの。

 なんであれ、とにかく、この言葉は、後世に残していきたい。
 集英社『国語辞典』」には、「いかす-(俗)(容姿や服装などが)魅力的である」と記されている。「かっこいい」なんて言葉は載せていない。見識に拍手を送る。(なお、この後の『新英和大辞典』の記述にも注目されたい)

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■過去記事(2011.1.10)
 Photo Billy Tailor(ビリー・テイラー)監修によるジャズ啓蒙シリーズTV番組、The Subject Is Jazz/「ジャズ講座」の一場面――YouTubeビデオ・クリップ、"Groovin'- Billy Tailor"について語っている。
 テイラーがjazz improvisation/インプロビゼーション(即興)について語り、即興から別曲が生まれた一例としての"Groovin' High"を番組バンドが演奏する。
 参照されたい。





Groovin High - Charlie Parker, Dizzy Gillespie
  パーカー/ガレスピー

This superb performance of Groovin' High was recorded by Dizzy Gillespie (tp) Charlie Parker (as) John Lewis (p) Al McKibbon (b) and Joe Harris (d) at Carnegie Hall, NYC, September 29, 1947.
(Tube投稿者が掲げた録音データを、他者が、コメント欄で、誤りであると指摘してして訂正している。上に掲げているのはその訂正版)。

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2010年7月16日 (金)

ビートルズのオクトパス・ガーデン (Octopus Garden, The Beatles) ―― 「タコ憑き」ブログ主の独自訳だ。

                                             → [歌詞翻訳曲目一覧]
2010.7.16
 昨日の続きで、独自訳を試みた。じっくり推敲を重ねたというものではない。出かけなきゃいかん予定がある。いずれ見直す予定だ。ただし、メロに合わせて唄ってみることは、一回だけだが、やってみている。なんとか唄えるのではないか。

初めて聴いたのだが(昨夜)いい曲だね。
歌詞は、 なんか、反体制、兵役忌避みたいな意味も込めているのか。
       Octopus Garden
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden in the shade
He'd let us in, knows where we've been
In his octopus' garden in the shade

I'd ask my friends to come and see
An octopus' garden with me
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden in the shade.

We would be warm below the storm
In our little hideaway beneath the waves
Resting our head on the sea bed
In an octopus' garden near a cave

We would sing and dance around
because we know we can't be found
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden in the shade

We would shout and swim about
The coral that lies beneath the waves
(Lies beneath the ocean waves)
Oh what joy for every girl and boy
Knowing they're happy and they're safe
(Happy and they're safe)

We would be so happy you and me
No one there to tell us what to do
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden with you.

*************

   タコの国
住みたいな、海の底、
隠れた場所のタコの国。
あいつはきっと、俺たちを、
隠してくれるさ、タコの国。

友達を、誘おう、
一緒に行こうよタコの国。
住みたいな、海の底、
隠れた場所のタコの国。

嵐が来てもへっちゃらだ
波の下の小さな隠れ家
海の底、砂枕、
洞穴の近くのタコの国

いっぱい唄い、いっぱい踊ろう、
見つかる危険はないのだから
住みたいな、海の底、
隠れた場所のタコの国。

叫んで騒いで、踊りまくろう、
波の下のサンゴ礁
(波の下のサンゴ礁)、
女も男も君も僕も、なんて楽しいんだ
幸せだから、安全だから
(幸せだから、安全だから)

幸せだ、君と僕
ああしろこうしろ、誰もいわない。
住みたいな、海の底、
隠れた場所のタコの国。
隠れた場所のタコの国。
隠れた場所のタコの国。


昨日のとは別のYouTube。なんと、日本語歌詞がついている。
■The Beatles - Ringo Starr "Octopus Garden"

[更新] 2012.1.28
 載せていたTubeが機能しなくなっていることに気付いたので(YouTubeの場から削除された)、差し替えた。



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2010年7月15日 (木)

昨日から、タコ憑きになっているのだが。

2010.7.15
 昨日述べたように、ただいま「タコ憑き」になっているのだが、具合がいいような悪いような、変な感じだ。どんな姿になっているか自分では想像がつかないので、「タコ人間」みたいなものが、もしかしていないかどうか、ネットで探してみた。
  姿の想像がつかないというのは、こういうことだ。すなわち、憑依状態に陥っている場合、自分は蛸だと意識しており、蛸として思考し、蛸として動作している。しかし、手足5本をグニュグニュ動かす身体動作をしていることは自覚できるけれども、実際にどんな姿になっているかは、映像が浮かばないのである。
 ここで、手足8本ではなく5本というのはおかしいではないかという疑問が生じようが、3本は、まあ、このところ破廉恥変節菅直人政権のおかげでフラストレーションが過ぎるので自分で食っちまった、と思っていただけばよい。タコ世界には、そういうことはよくあるのだ。
 ウン、元は人間なのに手足「5本」はおかしのではないかという問いについては、「当ブログ主は♂」だとだけ答えておこう。

 さて長くなっちまった。はい、それで、いないかどうか探してみた。「タコ人間」だが、探してみたのだが・・・・・・いたね、驚いたことに。3
 さしずめ、当ブログ主もこんな感じになっているのだろう。ここから引っ張ってきたのだが。

◆◆◆◆◆◆◆◆
事件発生
 蛸の思考で、鋭く政治批評をしようと考えていたのだが、国民をこけ(虚仮)にし続けている菅直人総理を非難し、「世論調査で菅続投支持60%」(読売)などと菅直人を側面支援するクズ六メディアを併せて非難しようと考えていたのだが、アキシデントが発生したので、やむなく、中止する。ストレスがひどいせいか、人間に戻ってしまったのである。タコに変身しようと何度試みても、
  ――「たこたこたこたこ、つきつきつきつき、かはれかはれかはれかはれ、たこたこたこ、へーんしーん」――
 何度この呪文を唱えて試みても、憑依できないのだ。ストレス性精神疲労症候群だ。
(警告!!!、厳重注意!!! 絶対に、この呪文を試みないように。「タコ憑き」になることが、つまり、蛸に変身してしまうことがある。万一変身してしまった場合には、下記の呪文を唱えなさい。
 ――「こたこたこたこた、きつきつきつきつ、れはかれはかれはかれはか、こたこたこた、んーしんーへ」――)

◆◆◆◆◆◆◆◆
■Octopus Garden (オクトパス・ガーデン)―― ビートルズ(The Beatles)
 「タコ人間」を探していたら、こんなのがあった。Abbey Road(アビィ・ロード)という題のレコードに収録されている曲だとされ、唄っているのは、リンゴ・スター(Ringo Starr)だという。Wikipediaで調べたら、連中の12作目の有名な作品(レコード)であり、ジャケットの写真として載っているロンドンのこの通りが、一躍有名観光地になったという(録音したスタジオのすぐ前にある通りだという)。
Abbyroad
 投稿者(YouTubeでなく、タコ人間の投稿者、下記)は、次のように述べている。
 「女性はみんな人魚に扮するのかとおもったらそうでもない、この女性はタコに・・・・・・いや、そんなこといわないよ、いってないよ、私は・・・・・・OK、負けた、黙っていられないからいいます。タコについてのコメントとなれば、これを挙げなくちゃ。でも、それは、ジェームス・ボンド映画からの引用よりは賢いコメントだけど」。
 こう述べて、ビートルズのこの歌の歌詞を掲げている(一部分)。
  2 ジェームス・ボンド云々は、007シリーズ映画「Octopussy」との関係でいっていることである。(Octopussyは、シリーズ第13作、Roger Moore主演第6作だという。なお、"Octopussy"とは、"octopus"と"pussy"を合わせた造語であろう)。(写真はここから)

     Octopus Garden
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden in the shade
He'd let us in, knows where we've been
In his octopus' garden in the shade

I'd ask my friends to come and see
An octopus' garden with me
I'd like to be under the sea
In an octopus' garden in the shade.

"Octopus's Garden," The Beatles, Abbey Road, 1969
Posted by Citizen Arcane on June 28th, 2005

――(明日にでも、独自訳を載せる)――

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