歌詞翻訳

2014年12月18日 (木)

♪"White Christmas"(ホワイトクリスマス)、歌詞と日本語訳

  事情で"White Christmas"を唄うことになった。歌詞は以前から知っていたが、改めて、多少の「背景調査」をして、詩の意味を考えてみた。「いまさら」って感じだが、せっかくだから歌詞と日本語訳を載せておく。
 去る3月以来記事書きを休眠状態にしているのだが、もうすぐ年が暮れる。あまねく発信の場を提供してくれている「ネット神」へのせめてもの罪滅ぼしのこともある。
 話が脇に逸れるが、いずれ新趣向で、活発な記事連載を復活させるつもりでおり、そのための下準備をしているところである。
                             ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]

◆◆◆◆◆◆◆◆
 さて、本題。

         White Christmas
                            (w)&(m) Irving Berlin, 1940(?)

(Verse)                                       
The sun is shining, the grass is green,
The orange and palm trees sway.
There's never been such a day
in Beverly Hills, L.A.
But it's December the twenty-fourth,
And I am longing to be up North.

(Chorus)
I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know.
Where the tree tops glisten
And children listen
To hear sleigh bells in the snow.

I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write.
May your days be merry and bright,
And may all your Christmases be white.


   雪のクリスマス(独自訳)
                       作詞作曲 アービング・バーリン、1940(?) 
(バース)

陽が輝き、草木は緑に茂る。
 オレンジの木が、椰子の木が、風に揺れている。
L.A.、ロスアンゼルス、ビバリーヒルズ、
雪景色なんて・・・、ここでは望むべくもない。
 だけど、今日は12月24日、クリスマス・イブ。
......北の国、故郷に帰りたい。


(コーラス)
雪のクリスマスを偲んでいる。
  故郷の、雪の地のクリスマス・・・。
木々の梢(
こずえ)がキラキラ輝き、
子どもたちは、橇(
そり)の鈴に耳を澄ませる。
  かつて、ずっと過ごしてきたクリスマス。

雪のクリスマスを偲んでいる。
  故郷の人々に、クリスマス・カードを書きながら・・・。
あの人、この人、みんなどうしているだろうか。
「いつまでも、幸せにお暮らしください、
雪のクリスマスの地で、いつまでも・・・」。

◆◆◆◆◆◆◆◆
[周辺情報]
I.
Irving Berin(アービング・バーリン)がいつどこで作曲したかにいついては諸説ある。
 1940年に、カリフォルニア州、ロスの南東200kmほどのところにある温暖なリゾート地La Quinta (ラ・クインタ市/画像)の、「ハリウッド族御用達」みたいなLa Quintaホテルに滞在中に書いた、とする説がある。
 これに対して、アリゾナ州のBiltmoreホテルは、「いや、違う、うちで書いた、彼は滞在中、よく徹夜で作曲していたが、ある日、秘書を呼んで、 "Grab your pen and take down this song. I just wrote the best song I've ever written — heck, I just wrote the best song that anybody's ever written!"(鉛筆を掴んでこの曲を書き取れ、かつてない最高の曲を書き上げたぞ、見ろ、今まで誰も書いたことのない最高の曲を書き上げたぞ」)と言ったのだと主張する(Wikipedia)。

II. この曲を初めて公開の場に披露したのはBing Crosby(ビング・クロスビー)である。 
 1941年のクリスマスの日にNBCラジオで放送された "The Kraft Music Hall"というショー番組で唄ったとされる。この時の録音がBing Crosby遺産として残っており、CBS放送がそれを借り受けて、2011年12月25日の番組で再演したという(Wikipedia)。

 Whxms1_2 クロスビーはその後1942年5月29日に、 "John Scott Trotter Orchestra"楽団と"Ken Darby Singers"というコーラスグループをバックに して、 曲をDecca Records(デッカ)に吹き込んでいる。このレコードは、Holliday Innという映画(後掲)の劇中歌6曲を収めた78回転盤アルバムの一部として7月30日に発売された。 
    →1942年78回転シングル盤(3分2秒)。(Wikipediaから)
         裏面は、 "Let's Start the New Year Right"と、
             "God Rest Ye Merry Gentlemen"

                        

 今日我々が普通に耳にするのは、この時の録音ではなく、1947年の再録音版である。すなわち、マスター(原盤)が摩耗してしまったので、1947年3月18日に、クロスビーが、初回のときの楽団とコーラスグループを使用して、できるだけ忠実に原アルバムのこの曲を再現する意図の下に吹き込んだのだという。イントロ(序奏)をもっと明るい感じにするために、チェレスタ(セレスタ/celesta)とフルートを加えるなど、楽団編成に僅かな変容があるとされる。

 クロスビーによるこの曲の吹き込みは、 シングル盤レコードの発売数で史上最高を記録している(推定5,000万枚)る(Wikipedia)

III.1942年8月公開の米国パラマウント社ミュージカル映画、"Holiday Inn(邦題「スイング・ホテル)で使用された。映画は空前の大ヒット。公開二ヶ月後の10月、劇中歌"White Christmas"がヒットチャートのトップに躍り出て、その座を3ヶ月も保った。実は、製作側がヒットを狙っていた歌は劇中歌12曲のうちの別のものだったのであるが("Be Careful, It's My Heart")、案に相違して、それも多少は流行ったが(発売後1ヶ月ほどはそれなりにヒット)、期待されていなかったこちらが大ヒットとなった。

 映画の主役を演じ、この歌を唄ったのがビング・クロスビー。説明不要の御大だが、先に述べたように劇中歌6曲をデッカに吹き込み(映画公開直前だね)、これが大ヒットした。
クロスビー自身も、最初はこの曲を大した曲じゃないと思っていたんだそうだけどね。
  「まあ、いいんじゃないの」("I don't think we have any problems with that one, Irving.")
 作曲者にこういったといわれているんだけでそうだけどね。

 まあ、それはともかく、
 Whxms2 時、あたかも第二次世界大戦真最中、
 「かつて、ずっと過ごしてきたようなクリスマス」("just like the ones I used to know")、 
 「木々の梢(こずえ)がキラキラ輝き・・・」("where the treetops glisten")、
 といったような、「家庭の温もり」を想定させる哀愁が、人々の心を、特に
前線の兵士たちの心を捕えた。
 軍ラジオ放送(Armed Forces Radio Service/AFRS)から、ヒットチャート1位のこの曲が毎日のように流れる・・・、たまるもんか。
  各地の基地放送局には、故郷に想いを致す前線の兵士たちからのリクエストが殺到した。 
                                    ↑米軍1945 V-Disc。 クロスビーの "White Christmas" と "I'll Be Home for Christmas"; No. 441B(Wikipedia)
                                             
  *V-Diskとは第二次世界大戦中に兵士の戦意高揚のために米国政府がレコード会社の協力の下に 兵士たち
                                                               に配ったレコード。"V"は"Victory"の"V"を表わしている。


 同じく、1954年の同社ミュージカル映画"White Christmas"(ホワイト・クリスマス)でも使用されている。この映画も大成功を収めた(Wikipedia)。

IV.映画'Holiday Inn
 Whxms4_2 祝日だけにオープンするホテルについてのミュージカル映画構想をIeving Berlinが出し、パラマウント・ピクチャーズ社がそれに乗った。 1940年5月、バーリンはその映画のための歌を書く独占契約を同社と交わした。映画は、アービング・バーリン原作、ビング・クロスビー、Fred Astaire(フレッド・アステア)主演、Marjorie Reynolds (マージョリー・レイノルズ)、Virginia Dale(バージニア・デイル)助演、Mark Sandrich監督で1941年11月から1942年2月まで撮影。1942年8月、ニューヨークのPramount Theatre(パラマウント劇場)で公開。アメリカとイギリスで成功し、当時のミュージカル映画の中で最高の興行収入となる。(Wikipedia)
                  →1947年Paramount Pictures社映画

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[筋のさわり}
  ある年のことである。
 クロスビー演じる主人公「ジム」/Jim Hardyは、パートナーを務めている女性歌手役者兼恋人、「ライラ」/Lila Dixon (Virginia Dale)と、男性ダンス役者、「テッド」/Ted Hanover(Fred Astaire)の三人で組んで活動して、ニューヨークの夜の世界で人気を博していた。
 12月24日、ジムはその日の公演を最後にショウ・ビジネスから身を引き、ライラと結婚して、コネチカット(隣接州)で農場経営を始めようしている。

 だが、土壇場になって、ライラは、ショウの道を捨てきれないこと、テッドに恋したことを自覚する。ライラは、「ニューヨークに残り、テッドのパートナーとしてやっていく」とジムに告げる。ジムは傷心を抱えてコネチカットに行くが、農場は失敗する。

 一年後の12月24日、クリスマス・イブに、男はニューヨークにやってきている。農場経営は手に負えないことが分かったので、農場を止め、休日だけ開くリゾート施設に切り替えていくという計画を胸に持っている。名は、Holiday Inn(ホリデイ・イン)とするつもりだ。ジムは、その計画をテッドやそのエイジェント(日本でいう「マネージャー」)「ダニー」Danny Reed)に語った。テッドとダニーは計画をあざ笑うが、「グッドラック/幸運を祈ると」告げて別れた。

 その後、ダニーは、空港のフラワーショップで、テッドの依頼により、ライラへ花束を届ける手配をした。ショップの店員「リンダ」Linda Mason(Marjorie Reynolds)は、その客がタレントのマネジャーをやっている男だということに気付き、ショウビジネスへのきっかけを与えてくれと言い寄る。ダニーは「ホリデイ・イン」の計画を話し、そこに行ってみたらどうかと勧めると共に、テッドがやっているナイトクラブへの招待券を与えた。

 その夜、リンダはナイトクラブの席にジムと一緒に座っている。ジムは豪華ナイトクラ経営者を装い、ライラやテッドのような大物を雇うことを考えていると語る。他方、リンダは、貴婦人であり、テッドの友人であると騙るが、ライラとテッドが席にやってこようとしたので慌てて退散する。
  翌朝、クリスマス当日、リンダはHoliday Innにやってきた。そこでジムに会い、二人は、昨夜互いに嘘をつき合っていたことを認める。ジムは、娯楽リゾート施設をニューイヤーイブ(大晦日)にオープンしようとしているのだと語る。二人は、すぐに、お互いに好きになる。ジムは新しく作った歌、"White Christmas"、オープニングの夜に唄う予定でいるという歌をリンダに唄って聴かせた。
  ニューイヤーイブ、Holiday Innは大盛況でオープンした。

 物語はこのように始まり、その後、何やかや、ゴタゴタが続くが、最終的に、翌年のクリスマス・イブに、ジムがハリウッドにやってくる、リンダもその地にいるのだが、そういう場面になる。
 そこで、雪のクリスマス、コネチカット、ないしニューヨーク、ないしその周辺のそれを偲んで、ジムがこの歌を唄うのである。

V.落とされたバース
 元来はバース(verse/前奏/序奏)付きの曲である。
(Verse)                                       
  The sun is shining, the grass is green,
    The orange and palm trees sway.
    There's never been such a day
     in Beverly Hills, L.A.
    But it's December the twenty-fourth,
    And I am longing to be up North-


(Chorus)
  I'm dreaming of a white Christmas


 歌詞は、先の"Holiday Inn"映画の物語との関係で付けられたものであろうが、すなわち、主人公は、東部、積雪地コネチカット州からハリウッドに来ており、雪のクリスマスを懐かしんでいるのであるが、クロスビーはバースを省略した。 
   *映画の粗筋については、「スイング・ホテル」についてのWikipedia記事を参照されたい

 この歌はその後もクロスビー自身や他の大勢の歌手によって吹き込まれているが、女性数名を除いては、同様に省略されている。
 
  そう、ない方がいいね。付けると、詩が軽薄になる。
 ハリウッドだの何だの、――野望と挫折だの何だの―、そんなこた関係なしで、およそ、北の国から雪のない温暖地に越してきた人々の、故郷、雪のクリスマス、「ホワイト・クリスマス」、「銀白色のクリスマス」を偲ぶ心、幼児期、少年期の想い出を、懐かしみを謳ったものだとすればいい。

 北海道の、青森の、秋田の、岩手の、東北の、関東信越、北陸、山陰の・・・雪の地の、クリスマスを、
   いや、いや、違う!! 
   お正月、お正月だ、雪のお正月を偲んでいるのである。

   あの人この人に年賀状を書きながら。
    "With every Christman card I write........"

■White Christmas ― ビング・クロスビー、1942年オリジナル録音

White Christmas ―↑上の1942原録音の,1947年再現版

 

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2014年8月24日 (日)

♪What a Wonderful World (この素晴らしき世界)、歌詞と日本語訳。

 

What a Wonderful World (この素晴らしき世界)を人前で唄うことになった。
 すでに我が持ち曲(レパートリー)に取りこんでいる曲だが、改めて、聴き/唄い、「練習」している。
 歌詞と日本語訳を掲げることにした。
 事情で記事書きが休眠状態になっている。5ヶ月ぶりの投稿だ。

◆◆◆◆◆◆◆◆
                                                     ♪参考資料→[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]                         
          What a Wonderful World
                                    
 Bob Thiele(as George Douglas) and George David Weiss, 1967
                                                         (co-written/both lyrics and melody)

I see trees of green,
Red roses too.
I see them bloom,
For me and you.
And I think to myself,
What a wonderful world.
 

I see skies of blue,
And clouds of white.
The bright blessed day,
The dark sacred night.
And I think to myself
What a wonderful world.

The colors of the rainbow,
So pretty in the sky.
Are also on the faces,
Of people going by,

I see friends shaking hands,
Saying, "How do you do?"
They're really saying,
"I love you."

I hear babies cry,
I watch them grow,
They'll learn much more,
Than I'll ever know.
And I think to myself,
What a wonderful world.

Yes, I think to myself,
What a wonderful world.
 

               この素晴らしき世界(独自訳)
木々の葉は、緑に輝き、
赤いバラが、彩りを添える。
花々は、ぼくのために、
君のために咲いているんだ。
 ぼくは独りで想いに浸る・・・
なんて、いい世界なんだ。

空は、青く澄み、
雲の白さが、くっきりと際立つ。
陽光が一日を祝福し、
やがて、闇が夜を清め、疲れを癒す。
 ぼくは独りで想いに浸る・・・
なんて、いい世界なんだ。

空にかかる虹は、くっきりと七色、
なんて、きれいなんだ。
通り過ぎていく人々の顔、顔、顔、
同じく、みんな、美しい。
友達どうしが握手を交わし、
「やあ、こんにちは」、と挨拶している
それは、ほんとは、
「愛してる」って言い合っていることなんだ。

赤ちゃんの泣き声を聞き、
育っていく姿を見続ける。
この幼児たちは、やがて、
無限大の希望を手にしていくだろう。
 ぼくは独りで想いに浸る・・・
なんて、いい世界なんだ。

 そう、独りで想う。
なんて、素晴らしい世界なんだ。      


■Louis Armstrong: What a Wonderful World (Official -1967)    

                      
      

◆◆◆◆◆◆◆◆
 作詞/作曲とも、ジョージ・ダグラス/George Douglas(音楽プロデューサー、Bob Thiele/ボブ・シールのペンネーム)とジョージ・デヴィッド・ワイス(George David Weiss)による共作である。ワイスは、Lullaby of Birdland(バードランドの子守唄、1952)などで知られる著名な作詞家。
  Louis Armstrong(ルイ・アームストロング)の歌唱で1967年に初レコーディングされ、シングル盤が出た。
 最初 、トニー・ベネット(Tony Benett)に録音が持ちかけられたがトニーが断ったので、ルイに廻ったのだという(ベネットは3年後に吹き込んでいる。後で触れる)。
 
What_a_wonderful_worldlouisingle_2                              ABC Records社、1967年10月発売シングル盤、裏面はCabaret(キャバレー)。

  アメリカではベトナム戦争(1960 -1975)が泥沼化の気配を見せ、全土に厭世空気が漂うなかの作品で、婉曲的な厭戦/反戦と、人間という存在への信頼、明日への限りない希望を謳っている。アメリカ国内では売れなかったが(発売元ABC Recordsの当時の社長が曲を嫌い、宣伝しなかったといわれる)、翌1968年イギリスで大ヒットし、全英チャート(UK Singles Chart)で1位になった。

 その後、1987年にGood Morning, Vietnam(グッドモーニング, ベトナム)というアメリカ映画が製作され、「現地兵士向け軍放送のディスク・ジョッキーがこのレコードをかけて曲を流す」という場面設定で使用されたほか、全編を通じてのバックグラウンド・ミュージックとして使用された。
 日本では、テレビCM音楽としても広く使用されたこともあり、ファンが多い。
                                                                         (Wikipedia日本語版英語版 から)

Good_morning_vietnam_2   Good Morning, Vietnum/グッドモーニング、ベトナム 1987年Touchstone Pictures社製作。1988年1月一般公開、 映画館用ポスター(Wikipedia)

[トニーベネットの件]
 トニーはその後、1970年10月に出した"Something"というアルバム(Columbia)でこの曲を吹き込んでいる。さらに、2002年、k.d.lang (k.d.ラング)というカナダ出身女性歌手とのコラボ作品として"A Wonderful World"というアルバム(Columbia)出したが、そこでもこの曲をとりあげて収録している。

■Rod Stewart - What A Wonderful World ft. Stevie Wonder
    (ロッド・スチュアート.........スティービー・ワンダーをフィーチャーして)
  ベネットは省略して、こちらを掲げる。

   ロッド・スチュアート。"The Best Of...The Great American Songbook"という2011年.2月発売"J-Records"レーベルCDアルバムに収録されている。
 オブリガートと間奏のハーモニカは、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)。
 

◆◆◆◆◆◆◆◆
■Good Morning Vietnam (1987) - Official Trailer(公式予告編)

 

    ―― 完 ――
 

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2014年1月24日 (金)

♪Wreck of the Old 97(97号列車の脱線事故)というカントリー曲を知った。周辺情報を調べた。えらく興味深く、雑学増大にも大いに役だった。曲の歌詞と日本語訳を掲げ、知り得た雑学のおすそ分けをしよう。

2014.1.17
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James Lee Burke(ジェイムズ・リー・バーク)の世界。おびただしい風景描写、カントリー/ジャズ音楽への深い造詣、南部ルイジアナの沼地、河、川、人工水路に、モンタナの渓流に登場する魚たち――1978年の異色純文学風作品"The Lost Get-Back Boogie"を素材に語る(Part-xxx)。
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 こういうシリーズ記事を書いてきている(→相互リンク機能を付した記事一覧 )。
 その"Part-13、最終場面で(物語の最後に非ず )、 
主人公アイリー(Iry Paret、30歳)がWreck of the Old 97(オールド97の脱線事故)というカントリー曲を弾く。
「注」

  "Ole 97"、"Ole' 97"と表現する例も多く、著者Burkeも"Ole 97"としている。OleまたはOle'はOldの南部的俗表現である。また、著者は "The Wreck of the Ole 97"と、"The"を付しているが、Wikipediaに倣って付けないことにする500万枚売れたという1924年のVictorレコード盤の表示でも(↓に下に画像)、"The"はない。

 モンタナ
州、北部ロッキー山脈西側、Bitterroot Valley(ビタールート)の牧場で、穴を掘ってフェンス支柱を立てるという作業を朝から午後遅くまでやり、牧場正面から斜面底部沼地まで完成させるという目標を達成し、肉体的疲労は感じるが、「まっとうな仕事」をした、という充実感に浸りながら山小屋に戻り、小屋の裏手の渓流で「夕まずめ」時に喉裂き鮭(Cutthroat troute見よ )を釣り、小屋の主人、ムショ友達、アンゴラ(ルイジアナ州刑務所見よ )で知り合った友がニンニク胡椒風味で魚をバター焼きしているあいだ、缶ビールとピックギターを手に正面ポーチに出て、弾く。
 情感溢れる描写のなかで作者が弾かせる曲だ。
 「どんな曲か」。
 当然こうなる。
 そこで、YouTubeで聴き、周辺情報を調べた。
  わあ! 実におもしろい。
 事故がおもしろいといってるんじゃないよ、不謹慎にそんなことをいっているのではない、歌がおもしろいんだ、念のため。

 歌詞と日本語訳を掲げておく、併せて、仕入れた周辺情報を披露しておく。
                                 
 ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]


                   Wreck of the Old 97
                              Lyrics: Fred Jackson Lewey, Charles Noell
                  Melody: "The Ship That Never Returned"(by Henry Clay Work, 1865)

Well they gave him his orders in Monroe Virginia,
Sayin "Steve you're way behind time,
This is not 38, this is Ole' 97,
You must put her into Spencer on time."

So he turned around and said to his black greasy fireman
To shovel on a little more the coal.
And when we cross that White Oak Mountain
You can watch ole' 97 roll.
.........................................................
It's a mighty rough road from Lynchburg to Danville.
It's a line on a three mile grade.
It was on that grade that he lost his airbrakes.
You can see what a jump he made.
      
(↓Jhonny Cash/ジョニー・キャッシュはこの部分を次のように唄う。↓YouTubeビデオ)
    
Then a telegram come to Washington station.
        And this is how it read.
       "Oh that brave engineer that run old Ninety-Seven,
        He's a-lyin' in old Danville dead".

.......................................................................

He was goin' down that grade makin' 90 miles an hour.
When his whistle broke into a scream,
He was found in the wreck with his hand on the throttle,
Scalded to death by the steam.

So ladies you must take warnin'
From this time on and learn.
Never speak harsh words to your true lovin' husbands.
They may leave you and never return.

I said ladies you must take warnin'
From this time on and learn.
Never speak harsh words to your true lovin' husbands.
They may leave you and never return,
They may leave you and never return.

                        
 (Wikipediaから。但し、カンマ、ピリオドは当ブログ主による)

                             オールド97の脱線事故 (97郵便急行の脱線事故)
あのな、バージニア州モンローで、司令部は男に指示したんだ。
時刻表に遅れてるからなと、
38便じゃないぞ、泣く子も黙る97便だぞと、 
スペンサーに時刻表通り到着しろと、
スティーブにそう言った。

そこで、機関士はあちこち見まわし、
振り向いて言う、油汚れの黒人火夫に、
石炭をもっとくべろと。
 やがて、ホワイト・オーク・マウンテンの峠を越えると、
列車は転がるように突き進む。
.....................................................................
リンチバーグからダンビルまでは、難所だらけのきつい線路だ、
事故の場所、そこは三マイルの下り坂。
エアブレーキが効かなくなったのはその坂だ。
当然だ、列車はジャンプして転落した。

  (↓Jhonny Cash/ジョニー・キャッシュはこの部分を次のように唄う。↓YouTubeビデオ)
     そして、ワシントン駅に電報が入った。
     こうだ。
     「あの勇敢な機関士、Old 97を運転していた男、
     彼はダンビルで横たわっている。死体で」。

....................................................................

スティーブは、時速90マイル、下り坂を突き進む。
汽笛がブレーキ悲鳴に変わり、
男は、機関車残骸の中で死んでいた。
 スロットルに手をかけたまま死んでいた。
蒸気で死んだ、蒸し焼きにされて死んだ。

 ハハ、だからな、カアチャンたち、
分かったろう、教訓だ、
これからはな、可愛い亭主にな、
 荒々しく迫っちゃ駄目だぜ、うん、何をってか・・・アレ、アレよ。
家を飛び出して、戻ってこないかもしれないから。

  いいかい、カアチャンたち、
分かったろう、教訓だ、
これからはな、可愛い亭主にな、
 荒々しく迫っちゃ駄目だぜ、うん、何をってか・・・アレ、アレよ。
家を飛び出して、戻ってこないかもしれないから。
家出して、戻ってこないかもしれないから。

[翻訳検討など]
1.作詞/作曲
  歌詞は、Fred Jackson Lewey, Charles Noell とした。
 「その歌、俺が作ったんだ」として著作権争いがあったが、連邦最高裁判所で決着がついた。後で詳述する。
 メロディは、1865年にHenry Clay Worという人が作った"The Ship That Never Returned"(「二度と戻らなかった船」の意)という曲のそれを借用しているのだという。
  後で再度触れる。

2."This is not 38, this is Ole' 97"
      (38便じゃないぞ、泣く子も黙る97便だぞと)
  「38」、「97」というのは、その列車が従事する業務を区別するための番号だという。つまり、旅客列車、貨物列車、特殊貨物、郵便列車、各々につき、鈍行、急行、特急、超特急郵便、諸視点からのさらなる細分化といった業務区別、それを表わす番号である。
  この点に関して、機関車の型式(技術仕様)を示す「機関車番号」というのがあるが、それではないという。この機関車は、1102型機関車だった(ココから。そのwebページの記述の一部を後掲)。
 
 Wikipediaによれば、この"97"列車の正式名称は"Fast Mail"(郵便特急、郵便急行、速達郵便列車)だという(見よ)。
 Old 97(Ole 97')という愛称、俗称で呼ばれたのは、次のような用法によるものであろう。 すなわち、My old man went to New York...(おれの親父、わたしの亭主/旦那)とか、"You, old boy, can't you see ......"(おい、お前.......)」と友人などにいう場合の"old"、親しみの意味を込めた"old"であろう(「老いた」とか「古い」という意味とは直接的には関係しない)。

 なお、「泣く子も黙る97便だぞ」としたのは次の理由による。
 すなわち、この列車は、「絶対に遅れない列車、遅れた試しがない列車」という異名をとっていたのである。

3."he lost his airbrakes"
  (エアブレーキが効かなくなった)
  列車のエアブレーキ(圧縮空気ブレーキ)とは、「空気圧縮機で『元空気タンク』と呼ばれるタンクに圧縮空気を溜めておいて、運転席のブレーキ弁でブレーキ力を制御する仕組みのブレーキである(ココから)。

4.Scalded to death by the steam.
 (蒸気で死んだ、蒸し焼きにされて死んだ)
 汽笛の悲鳴と物音と舞い上がる埃で事故を知り、近隣住民が駆け付けた。何体かの遺体を車体残骸から引き出そうとした歳に、皮膚というか肉というか、それが、ペロリと、というよりも「ズルーッと」という表現の方がいいか、とにかく、剥けた(むけた)、骨から剥がれたという情報がある(ココ)。
 そこで、英文は単に「蒸気で火傷(やけ)死んだ」 となっているのだが、「蒸し焼きにされて死んだ」を加えた。
 機関士、スティーブ当人だが、彼は救助隊が到着した際にまだ生きていたという説もある。すなわち、横転した機関車の運転席で構造物に足を挟まれ身動きできない状態であり、脚を切断して助けようとしたが間に合わず、上から垂れてくる熱湯で火傷(やけ)死んだとする。

******************************************
 上記「38 vs 97」について情報を仕入れたWebページの記述の一部を掲げておく。
[Answers]
The numbers "38" and "97" were Train numbers on the schedule, not locomotive numbers. Mail train #97 was an important mail train from Washington DC to Atlanta, GA. The mail contract was lucrative ($140,000 per year) but the Southern had a substantial monetary penalty for each minute the train was late. Hence, "you MUST bring put her in Spencer on time."


[返答]
  「38」、「97」という数字は、従事業務を区別するための列車番号であり、機関車の型式番号ではありません。「郵便列車97号」は、ワシントンDCと ジョージア州アトランタを結ぶ重要な郵便列車です。郵便物輸送契約は非常に儲かる仕事でした(年間140,000ドル)。しかし、Southern社(引 用者「注」―Southern Railway社)としては、列車の遅れ時間に対して多額の違約金を支払わなければならないことになっておりました。
 列車をスペンサーに時刻表どおりに、「何が何でも」到着させろ、と指示されたのは、この故なのです。
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Wreck of the Old 97 Johnny Cash (歌詞付き)
 
 (バカでかいサイズにしたが、事故状況がよく分かるようにするためである)

Old97

  [上から下に順に、Washington D.C.(楕円)、Monroe(バージニア州、四角)、事故現場(州境に近いDanvilleという町のそば、小楕円X印)、Spencer(ノース・カロライナ、四角)、Atlanta(楕円)]


971
  ↑
Stillhouse Trestle(スティルハウス構脚の事故現場。「構脚」とは、架台としての堅固な枠組みのことである(見よ)。下り坂の終点あたりが4フィート(1.2m)高さの構脚上を走るようになっており(雑木林のような場所を走り抜けていたようだ)、上の事故現場画像に見る鉄橋に続いていた。この鉄橋はStillhouse Branch(スティルハウス支流)という谷川(峡谷)にかかるもので、列車は鉄橋に入りきれず、谷に転落した。こういうことのようだ。。
 事故の知らせに、近辺の人が救助や見物に集まった。下段左画像は、日曜日の正装をした婦人たちが、救助支援をしているところ。下段真ん中が事故現場の現状。現在は構脚は存在しない。歴史的な鉄道事故現場であることを示す表示板が立っている

 上段左端は、現場から回収して修理した後に再び仕事に就いた機関車、――別路線で就業したのだというが――その機関車のことを報じた、雑誌かなんかの記事、あるいは、博物館資料。

2
                         Lynchburg(上)とDamvill(下)の間の線路は難所続きだったという。Google地図でこの場所を拡大すると、その様子がよく分かる。
                 ずっと、峡谷の中を走っている。

[1102型機関車]
  Old 97列車の機関車は、1102型機関車だった。「4-6-0」形式の10車輪機関車である。その1102機関車は、事故からほんの10ヶ月前にフィラデルフィアのBaldwin Factory(ボールドウィン工場)から納入されたばかりの「新車」であった。

97             (↓下のYouTubeビデオ、アマチュア歴史愛好家による「The Wreck of the Old 97」から)


[1102型機関車]

2011             (1102機関車。↓下のYouTubeビデオ、アマチュア歴史愛好家による「The Wreck of the Old 97」から。

2011_2

      (同じく1102機関車。Southern Railway社は、事故破損機関車を現場から回収して修理した。
      その再生機関車は1930年まで働いた。画像は、修理後の姿だという(ココから)
 

[4-6-0形式]460_5
 
  [4-6-0構造。先輪(leading wheels) → 2x2=4連結駆動輪(Powerd-and-coupled-driving wheels) → 2x3=6
                      従輪(Trailing wheels) → 0]

460_6              [先輪(leading wheels)(赤枠) - 2x2=4車輪は、駆動はしない。カーブ走行制御と
                             ボイラー前部支えの役割をする] (画像はWikipediaから。但し、向きを変えてある)

4600               [従輪(Trailing wheels)。重い負荷を引っ張っての発進時など、臨時の追加動力を必要とする場合に使用する駆動車輪。
                             論じているOld 97、すなわち1102型機関車には備わっていない。すなわち、"0"]
                                  (画像はWikipediaから。
但し、向きを変えてある)

460                      [連結駆動輪。画像はWikipediaから。但し、向きを変えてある]


Wikipediaからの情報

  (記述の一部分を掲げる)
概略
 "Old -97"列車はSouthern Railway(サザン・レイルウェイ)社の列車で、正式名称を"Fast-Mail"(速達列車)という。ワシントンDCとジョージア州アトランタ(Atlanta)を結ぶ列車便で、1902年12月に運行を開始した。
 1903年9月27日、バージニア州(Virginia)のMonroe(モンロー)駅からノース・カロライナ州(North Carolina)のSpencer(スペンサー)駅に向かう途中で、列車はStillhouse Trestle(スティルハウス構脚。州境近くにDanvilleという町があり、その近く)で脱線事故を起こした。
  この脱線事故に基づいて有名な鉄道歌謡が世に現れた。その歌は複雑な著作権訴訟の対象になったが、カントリー音楽の分野で人気となった。

事故
 1102型機関車を運転していた33歳の機関士Joseph A. Broady("Steve")/ジョセフ A. Broady(愛称「スティーブ」)が、列車の遅れを取り戻してスペンサー駅に時刻表どおりに到着させようとして、高速で運転している途中で起きた。
 その日、Old 97列車はワシントンDCを出発した時点で遅れを出しており、モンローに着いた時点で、1時間の遅刻となっていた。モンローで乗組員が交代し、17人が乗ってそこを出発した。機関士(運転手)スティーブもここで乗りこんだ。
 列車がバージニア州Lynchburg駅(リンチバーグ)に到着したときに金庫係が一人乗り込んだので、事故時には総勢18人であった。
 11人が死亡し、7人が負傷した。

  モンロー駅においてスティーブは、「速達列車」をスペンサーに、そこまで166マイルの行程だが、時刻表どおりに到着させよと命じられていた。モンロー/スペンサー間の所定所要時間は4時間15分に設定されていた。平均速度に換算すると、時速39マイル(62.4キロ)である。一時間の遅れを取り戻すためには、51マイル(82キロ)で走らなければならない。スティーブは、通常なら停止することになっているFranklin(フランクリン)ジャンクション(連絡駅)を、その速度で走り抜けろと命じられていた。

 モンローとスペンサーの間は起伏の多い地形で、坂道と半径の短い急カーブとの組み合わせにより、危険な地点がいっぱいある。
  機関士に対して速度に気をつけるように促す表示が各所に掲げられている。しかし
遅れを取り戻そうと懸命なスティーブは、急速度で急勾配を駈け下りようとした。勾配の終着点は4フィートの高さのStillhouse構脚であり、それはStillhouse Branch(スティルハウス支流)をまたいでいる。
 構脚に導くカーブに入ってきたとき、充分にスピードを落とすことができなかったために、列車の全車両が脱線してしまい、下の谷間に突っ込んでしまった。

 脱線墜落後に発生した炎が猛烈な勢いで広がったために、木製車両の残骸は跡形もなく燃え尽きてしまった。地元消防隊は、消火するのに非常に苦労した。焼失のために現場検証の手掛かりがなく、目撃者もほとんどいないので、原因究明は大いに制約された。最終的には、9人が死亡したと結論づけられた。
 郵便物は一部しか残らなかった。そのなかには数羽のカナリアの入った大きな鳥かごがあり、鳥たちは飛び去ってしまった。
1102機関車は回収され、修理された後、1935年に廃棄処分されるまで働いた。


 事故の翌日、Finely副大統領が声明を発し、次のように述べている。
 「列車は2両の郵便車両で構成されていた。一両は速達便、他は郵便物を収納するための貨物車両である――中略――。目撃者全員が一致して述べるところによると、列車は構脚に時速30から35マイルで近づいていったそうである」。

 サザン・レイルウェイ社は事故の原因は機関士ブローディにあるとし、時刻表を守るために可能な限り速く走れと会社側が命じたことの非は無視している。スティルハウス構脚に至る下り坂を時速70マイル(112キロ)超の速度で下っていったと述べている。
 これに対し、数名の目撃者は、50マイル(80キロ)ぐらいであったとする。
 いずれにせよ、会社は、少なくとも、部分的責任を負うべきである。郵便物輸送について("Fast Mail"という列車名はそこから来ている)国営郵便事業と利益の多い契約を交わしていたのであるから。すなわち、契約に盛り込まれている運送遅滞違約金支払条項からして、スペンサー駅への遅刻にもそれが適用されることになっていたからである。Fast Mail列車を運転していた機関士たちは、常にプレッシャーを感じていたのではないか。郵便運送遅滞の違約金を会社が支払う事態が起きないように時刻表どおりに運行しなければならない、というプレッシャーを。
 おそらく、そう結論付けることが許されよう。

  Old 97列車は1903年4月にも別の事故を起こしている。ワシントンDC午前8時発ニューオリンズ行き。ノースカロライナ州Lexington(レキシントン)で軌道上の石とぶつかり、脱線して溝に落ちた。機関士と火夫が死亡した。
 列車を牽引していた機関車の型式は不明だが、1102ではない。1102は、まだ導入されていなかった。

カントリー曲
 事故は歌謡歌手の心を惹いた。最も有名なものは、最初に商業録音された演奏で、バージニア州のミュジッシャンG. B. GraysonHenry Whitterによるものである(↓下にYouTubeビデオ)。
 1924年にVernon Dalhart版が出た(Victorレコード番号19427)。それは、米国レコード業界カントリィ・ミュージック分野での最初のミリオンセラーだといわれることがある(下にYouTubeビデオ)。
 それ以来、大勢の奏者が手掛けている。

  Lynchburg(リンチバーグ)近辺の鉄道従業員、船乗り稼業の人々、モンタナ州に住む感傷的なカウボーイたちのあいだで非常に人気を博した。
 バンジョーとフィドルをバックに、歌詞が入る。態様はさまざまだ。唄われ、呟かれ、裏声で唄われ、口笛混じりで唄われ、ムニャムニャ唸られ、朗読され、あるいは詠じられる。

 歌はHenry Clay Work(ヘンリー・クラーク・ワーク)が1865に作曲したThe Ship That Never Returned(ザ・シップ・ザット・ネバー・リターンド「「二度と戻らぬ船」の意)のメロディーで唄われる。
 このメロディを借用した歌曲は数多くあるという。作者ワークは、「大きな古時計」(My Grandfather's Clock)の作曲者として知られている。

<著作権問題>
 歌詞は当初Fred Jackson LeweyとCharles Noellの共同作詞によるものだとされていた。
Leweyは事故の翌日に書いたと語っている。死亡した二人の火夫のうちの一人が従兄のAlbion Clappだったという。Leweyは構脚の土台になっている地の綿花工場で働いているといい、事故現場に行って犠牲者らを残骸から引き出す作業をしたと語っている。
 その原歌詞をミュージッシャンのHenry Whitter(最初に吹き込んだ歌手/奏者。見よ↓YouTube) が磨いて、Dalhartが唄った版となった。

 ところが1927年に、"Wreck of the Old 97"はDavid Graves Georgeが作詞したものであるという異議が申し立てられた。
 すなわち、1924年にVictor Talking Machine Company(ビクター)社から、この曲のレコードが発売され、よく売れた。それに対して、David Graves Georgeが作詞権を主張して著作権侵害で裁判所に訴えたのである。
 当人は地元住民であり、現場に駆けつけた者の一人である。職業は制動手(ブレーキ係)兼電報係で、唄うことが趣味であるという。目撃した悲劇に触発されて詩を書いた。こう語る。
 長らく決着がつかなかったが、1933年になって、John Boyd判事が、訴えを認め、最終的に原作者はDavid G. Georgeである旨を宣言した。
 これを受けて、ビクターはデイビットに利益の一部を支払わなければならなくなった。レコードは500万枚売れた。デイビッドは、65,295ドル程度を受け取ったという。

 ビクターは3回上訴した。第1、2の上訴審では、裁判所は訴えを退けてデイビットの勝訴とした。第3の審理、アメリカ合衆国連邦最高裁判所は、下級審判決を覆し、ビクター社に著作権があるとした。

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1923 - Henry Whitter - "Wreck of the Old 97"
   唄ヘンリー・ウインター(この曲が世に出た初レコード)

 Tube投稿者の解説によると、Okeh Records社への吹き込みだという(78回転ビニール盤)。
2007.11.20にネット上でWFMU (www.wfmu.org)によってレコードが再演された由で、それを録音したものだそうだ。G.B. Graysonが演奏に加わっているのかいないのか、肯定否定両説があり、投稿者としてはどちらなのか判定しえないが、MFMUは肯定しているという。
 "WFMU"とは何か、と上記アドレスをたどってみると、ニュージャージー州所在の非営利ラジオ局であった(
マンハッタン南端部の対岸あたりにあるという)

WRECK OF THE OLD 97 by Vernon Dalhart 1924
  唄バーモン・ダルハート(このレコードがきっかけになって、作詞著作権侵害訴訟が提起された)

Photo_2 Victor Talking Machine Companyからの1924年レコード (唄、Vernon Dalhart)カントリー界初のミリオンセラーだという(上の著作権紛争関連記述では、500万枚売れたとしている)。


■The Wreck of the Old 97
  (地元のアマチュア歴史愛好家が事故の内容を語る。必見!)

    (聴き取りを試み、語りの日本語訳を後日掲げる、まあ、うまくいけばだが)


 

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2013年10月 9日 (水)

♪"A-Tisket A-Tasket" ― I'll Remember April(ジャズ・スタンダード)"のことを調べていて、Ellaのこれに出会った。初めて知る。ついでだがら、その歌詞と日本語訳を掲げておく。

2013.10.9
 暑いね、いつまでたっても。このところ「記事書き」が停滞している。早く戻さなきゃ。  

       
◆◆◆◆◆◆◆◆
一、.I'll Remember April
 I'll Remember April(四月の想い出))というジャズ・スタンダード歌がある(*1)。ジャズ愛好者/奏者なら、頻繁に耳にする曲だ。そして、一度耳にすると、頭にこびりついて離れなくなる旋律を持っている。
 しかし、ところが、この曲、二回、三回と聴いても、その全体像を掴むのは難しい。そう、黙ってて、つまり、何度か聴いているうちに自然に、頭に入る曲、覚えられる曲ではない。
 ラララ、ラララリ、ラーララリ・・・。最初の4小節は、なぜかしらん、これ、頭にこびりつく。覚えようとしなくても。ラリリ、ラララリ、ラー、次の4小節も二度三度聴くうちに、まあ、記憶される。
 だが、その後は難しい。その後何度聴いても、意識的に覚えようとしない限り、頭に入らない。すなわち、「この後、どうだったかな」ということの繰り返しになる。

 曲は、特異な[ABA']の16x3=48小節であり(あるいは、[ABCDAB'、8x6=48)、[AABA、32小節]、[8+8=16、サビ8、+8)といった馴染みものではない。つまり、そういった(標準的な)流れを前提にして、というか流れに沿って旋律を構想したものではない。そういう、「こうきたから、次はこうだろう」といった、いわば「予測できる」旋律構成にはなっていない。
 歌を覚えるには、あるいは、曲が吹けるようになるには、意識的に覚える、何度も繰り返して覚え込む「練習」が必要だ。

 今日のこの記事、話は、友人がコンサートでこれを弾くということから始まった。 
 「ああ、あの有名なスタンダード曲だな」。
 こういう認識はあるのだが、冒頭メロディしか浮かばない。「その曲知っている」ということにはならない。歯がゆい、腹立たしい。「スタンダードの鉄人」を自称する身としては。
 そこで、改めて本格的に曲を攻略することにし、それと向かい合った。パーカー(Charlie Parker)その他の演奏を聴き直した。
  楽譜で構成をよく吟味し、ネットで曲の由緒というか起源というか、そこらを調べ、手持ち楽譜集から楽譜と歌詞を紙に記し、何度か旋律を追ってみて、全体構成の音の流れ、A(16)B(16)A'(16)を頭に馴染ませようとした。 
 何度もくどいが、この曲、その旋律、頭に入れるには「訓練」が必要だ。

*1.「ジャズ・スタンダード」につき、当ブログの関連過去記事を参照されたい。
     →「♪ジャズ・スタンダード(Jazz Standards)とは何か、その1その2その3

二、A-Tisket A-Tasket
  I'll Remember Aprilは、1942年の"Ride 'Em Cowboy"(邦題「凹凸カウボーイの巻」)という映画で世に出たものだという(Dick Foranという役者が唄った)。映画は、当時の超人気喜劇コンビ、" Abbott & Costello(アボット&カステロ)"主演による喜劇映画である。 
 

                                  (左)Ride "Em Cowboy                   (右)William "Bud" Abbott and Lou Costello

 こういうことを調べていて(Wikipedia)、エラ(Ella Fitzgerald)がその映画に出演して、劇中でA-Tisket, A-Tasketという曲を唄っているということを知った。ジャズ・スタンダードになっているという(見よ→当ブログ過去記事、「ジャズ・スタンダード曲リスト)。

 うん?、どういう曲か。普通、Wikipediaやなにかで、「誰々が、このブロードウェイ劇/映画の中でコレコレの歌を唄っている」という記述を目にしても、自分が知っているスタンダード曲でなければ、それを追っかけて、どういう曲か耳で確かめるという作業はしないのだが、今回はそれをやった。
 (おれの知っている曲でなければ――それは、かなりの数に上ると自負しているのだが――、そんな曲はすでにすたれ去ったものだから、顧みる必要はない、と、まあ、不遜だが、こういう意識が働くんだね、ハハ)

 おもしろい曲だ。歌詞と日本語訳を掲げておく。

■Ella Fitzgerald - A Tisket a Tasket ( Ride Em Cowboy) - 1942


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A-Tisket A-Tasket (ア・ティスケット・ア・タスケット)
1.元来は童謡
  英語圏で唄われている童謡であり、19世紀末に初めてアメリカ合衆国で記録(録音)された(1879年に、アメリカでその存在が初めて公に認識された)。「ハンカチ落とし遊び」(*2)で使用される唄として知られるという(Wikipedia)。
 「Roud Folk Song Index - 13188」として認識される。
 すなわち、 Steve Roud(スティーブ・ラウド)という英国人によって編纂された童謡全集データベース、Roud Folk Song Index(ラウド・フォークソング・インデックス、ラウド編纂民謡全集)に、指標13188として載っている。全集には約25,000曲が収容され、200,000件近くの参照データが収められているという(Wikipedia)。

*2.児童が輪になって回り、唄い、踊る。一人だけは、つまり、日本の遊びでいう「鬼」だが、鬼は輪の外側にいる。鬼は、唄の終 わりで、ハンカチを、その時点で自分に最も近いところにいる児童の背面に落とし、すぐさま、予め定まっている自分の居場所(輪の空きスペース)に逃げ戻 る。鬼がそこに到着する前に、「ハンカチを落とされた児童」が鬼を捕まえると(身体にタッチするなどして)、鬼は、もう一度鬼役をやる。うまく逃げ戻った 場合には、ハンカチ児童が鬼になる。ほぼ、こういうことであろう。

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[元来の唱]
    A-tisket a-tasket
    A green and yellow basket (I lost my yellow basket)
    I wrote a letter to my love
    And on the way I dropped it,
    I dropped it,
    I dropped it,
    And on the way I dropped it.
    A little boy he picked it up and put it in his pocket.

                *二行目は、括弧内のように唄われることもある。

2.Ellaバージョン
 エラは、この元歌をベースにしてジャズ曲(歌)を創り(Al Feldman、後年Van Alexanderと称す、との協働作業で)、1938年、チック・ウェブ・オーケストラ(Chick Webb)をバックに唄って、爆発的ヒットを仕留めた(Chick Webbとの関係につき、この過去記事参照)。

[Chick Webbのこと]
 <<過去記事から>>
*******************************************
■Stompin' at the Savoy(ストンピン・アト・ザ・サボイ/邦訳=「サボイでストンプ」)
   「『サボイでストンプ』」といや、ベニー・グッドマン」みたいな感じでとらえていた曲だが、ニューヨーク、ハーレム(Harlem)にあった"Savoy Ballroom"(サボイ・ボールルーム、ダンス劇場)のハウスバンド(1931年から)、Chick Webb(チック・ウェブ)楽団のオハコであった曲としても知られているという。

 チック・ウェブは、Buddy Rich(バディ・リッチ)やLouie Belson(ルイ・ベルソン)など多くの後続者/同輩に影響を与えた名ドラマーだったとされる。(画像)

Photo  サボイは、「バンド・バトル」で名を売った。すなわち、当時の一流ビッグバンドをゲストとして呼び(複数のときもあろう)、これとチックのバンドとを噛みあわせて競争させ、舞踏客/観客にどちらが(どれが)勝ったか投票させるのである。
 競争する二つのバンドは、対向位置にあるバンドスタンドで向き合って演奏する。まあ、ドラム合戦なんか派手にやったんだろうね。
 そんなことで、Benny GoodmanやCount Basieなどのオーケストラがやってきたが、一夜が終わるとき、客は、決まって、チックのバンドを「ベスト」だとしたそうだ。

 Chick Webbバンドは"King of Swing"(スイング王)の称号を受けるに最もふさわしいバンドだみなされていた。Art Blakey(アート・ブレイキー)とDuke Ellington(デューク・エリントン)は、自分の音楽に影響を与えた人物だと評している。

 23_2 チックは、Ella Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)を育てたことでも知られている。1935年に、まだ10代だったエラに(生年月日からして17か18歳)主役歌手の座を与えて活躍を支援しはじめたとされる。チックは1939年に34歳で死んだが、その後3年ほど、エラが後継者としてバンドを率いた。チックがエラを養女にしていたという説もあるが、噂にすぎないとする論が有力である。

  右の写真だが(Wikipediaから転載)1940年1月撮影のものだという。ということは、1917年生まれだから、23歳だ。この人の写真は、「おばさん」風のものしか、これまで見たことがないという感じだが、珍しね。

 チックは、幼少時から脊柱結核を病み、小柄で、背骨の変形した人物だった。しかし、そのドラミングは力強く、卓越した技量によるものであった。(以上、Wikipediaから)

 なお、この曲の共同作曲者としてベニー・グッドマンの名が掲げられているが、実際には何もしていないとされる。

*Stomp(ストンプ)とは、ダンスの一種である(stompin '= stomping)

                       ――過去記事引用終わり―――

*************************************************

                              ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]
   
              A-Tisket  A-Tasket
A-Tisket A-tasket,
A brown and yellow basket,
I send a letter to my mommy,
On the way I dropped it.

I dropped it.
I dropped it.
Yes on the way I dropped it.
A little girlie picked it up
And put it in her pocket.

She was truckin on down the avenue,
But not a single thing to do.
She went peck peck pecking all around,
When she spied it on the ground.

She took it.
She took it.
My little yellow basket.
And if she doesn't bring it back, I think that I will die.

A-tisket A-tasket,
I lost my yellow basket.
And if that girl don't return it
I don't know what I'll do.

Oh dear I wonder where my basket can be.
(So do we, so do we, so do we, so do we, so do we.)
Oh gee I wish that little girl I could see.
(So do we, so do we, so do we, so do we, so do we.)

Oh why was I so careless with that basket of mine?
That itty bitty basket was a joy of mine!

A-tisket
A-tasket,
I lost my yellow basket.
Won't someone help me find my basket,
And make me happy again? Again.

(Was it green?) No, no, no, no.
(Was it red?) No, no, no, no.
(Was it blue?) No, no, no, no.

Just a little yellow basket.
A little yellow basket
!

              ア・ティスケット、ア・タスケット
ティスケット、タスケット
茶と黄のバスケット
ママに手紙を書いたの。
それを入れて郵便局に行く途中で、
 バスケット、籠(かご)、落としちゃった。

落としちゃった、
落としちゃった、
そう、手紙出しに行く途中で、落としちゃった。
小さな女の子が籠を拾って、
手紙をポケットにしまい込んじゃった。

その子は、通りを、何やらいわくありげに、ゆっくり進んでいたの。
でも、実際は何もしてやしない。
ただ、そこらじゅうを、コツコツとつついて、つついて、
 つつきながら歩いて行っただけ。
 地面に落ちた籠を見つけて、横目で密かに見張る。

そして、籠を拾い上げた、
拾い上げた。
私のちっちゃな黄色い籠を。
その子が返してくれなきゃ、私、死んじゃうかもしれない。

ティスケット、タスケット
黄色いバスケットを無くしちゃった。
あの子が返してくれなきゃ、
私はどうなるかわからない。

アア、ねえ、あの籠、どこにあるのかしら。
(そうだ、そうだ、そうだ、そうだ!)
アーア、あの子を見つけることさえできれば、
(そうだ、そうだ、そうだ、そうだ!)

なんて、バカだったの、
 籠、もっと気をつけていればよかったのに。
 あのちっちゃな籠は、私の宝物だったのに。

ティスケット、タスケット
黄色いバスケットを無くしちゃった。
だれか、探すの助けてくれない。
楽しい生活に戻してくれない、もう一度、もう一度。

緑の籠かい――違う、違う、違う。
赤の籠かい――違う、違う、違う。
青かい――違う、違う、違うったら。
ちっちゃい、黄色い籠よ!

ちっちゃい、黄色い籠。


[翻訳工房]
1."A-Tisket A-tasket"
 "basket"に引っかけた「ことば遊び」であろう。
 「かーごめかごめ、かごのなかのとーりーは、いついつねーやーる」、みたいな。
2."I dropped it"
 落としたのは手紙かバスケットか。
  "it"は何を指しているか。"letter"なのか"basket"なのか。
 13行目までは、"it"は「手紙」とみるのが素直であろう。
 その後は、「籠」を指している。
 文章面ではこういうことになる。
   (ついでにここで触れておくと、唄の主人公は、♀、児童から思春期入りたてぐらいの女の子である、当然のことながら)
 
 もちろん、両方落とした、失くしたのである。手紙の入っている籠を落としてしまったのだから。母親あてに書いた手紙を小さなバスケット、手提げ籠に入れて、ルンルンで、郵便局にそれ(手紙)を出しに行ったわけだが、途中で籠を落としてしまった(失くしてしまった)。路上でそれを拾った女の子は、籠から手紙を取り出して、それをポケットにしまい込んだのである。だからといって、手紙だけしまい込んで籠はおっぽったなんてことをしたのではなくて、籠も依然として手にしているのである。
 ここに掲げたエラの(その創作による)歌詞では、失くしたのを残念がっている対象としては、「バスケット」に重点がある。

 元来の童謡では、先にみたように、「手紙」は、恋人に宛てたもの、ラブレターみたいなものとされている(letter to my love)。
  その場合には、失くしたことを悔やんでいる対象は、「手紙」に重点が置かれる。
 「取り戻すことができなければ、死んじゃう」、「何をしでかすか分からない」、というセリフも、ピッタシとなる。
 
 ただまあ、エラの場合にも、手紙は母親宛のもので、他人に見られて特に差しさわりがあるものではないともいえる反面で、「バスケット」は、宝物として大事にしていたものだとしているから、籠に重点を置き、「死んじゃう」、「何をしでかすか分からない」というセリフもまんざら、おかしい、「整合性に欠ける」、ということにもならない。

3."truckinng on""peck peck pecking"
  She was truckin on down the avenue,
   But not a single thing to do.
 She went peck peck pecking all around,
 When she spied it on the ground.

(i)"truckin on" }
     <<何かを探すというような目的の下に慎重な態度でゆっくり歩く>>
 こういうことではないかと考えたのだが、合っているかどうか。
(ii)"peck peck pecking"
 
「鳥がくちばしでつつく」、こういうことではないか。つまり、それに擬して、「道路のそこらじゅう、隅々を、何か貴重なものが落ちてないかどうか、見回しながら進む」、こういうことを述べているのではないかと考えた。
 合っているかどうか。

4."itty bitty" basket
 
itty-bitty = ちっぽけな、ちっちゃい (
こまごまとした、くだらない、という意味を表わすこともある)


 

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2013年9月30日 (月)

♪ "than any Russian play could guarantee"、 どういう意味か。チェーホフ(Chekhov)の演劇、セリフがくどいことで知られているのか。

2013.9.30
 九月最終日、今月一つも記事を載せていない。
 異常に暑くて、熱い夏に、夜に、昼も夜も茹()でられたような熱気に、日本の、地球の狂いざまに、頭がやられたせいかな。
 そういう日がまた、いつまでも続いたんだよな、だらだらと。

 まあ、そのせいにしておくが、とにかく、「ひと月ゼロ記事」になりかけている。それはまずいだろ、どう言い訳しても・・・。

 ということで、急遽、これ、最後の日に。

◆◆◆◆◆◆◆◆
一、論題
     ------- "than any Russian play could guarantee" ------
(イ) これ、 どういう意味か。
    ガーシュイン(1)But Not Fpr Meの一節だが。
                            *1.George Gershwin(ジョージ、兄)作曲、 Ira Gerswin(アイラ、弟)作詞。

     ---With love to lead the way
       I've found more clouds of grey

       than any Russian play could guarantee.---
              
こういう文章の中の一部(節)だ。

(ロ)チェーホフの演劇のセリフは、総じて「くどい」ことで知られているのか。

 この2点について書いてみる。両者は相互に関係する。というか、(ロ)は(イ)を論じるうえでの、意味を探るうえでの一つの考慮点であり、下位に属する論点なんだが、まあ、2点とする。

二、議論
1.(イ)につき、以前はこう考えた
     -----ロシア演劇は暗いものが多いけど、恋に夢中になってしまった私は、
        もっと暗く沈んでしまったわ
-----


  以前、このジャズ・スタンダード曲について記事(2010.8.11)を書いたことがあり、その際に歌詞と日本語訳を掲げた。そこでは上のように訳した。
 こういう理由からである。
(i)直訳すると次のようになる。
       With love to lead the way
                   
恋に導かれるままに身を委ねて(恋に先導されて)
           I've found more clouds of grey
                  (私は、もっと)たくさんの灰色の雲を見つけた(深く陰気な気分に陥った)
            than any Russian play could guarantee.
                    いかなるロシア演劇をもってしてもその量の多さを保証しえないと思われるほど
                   (請け負えないであろうほどあるいは、量の多さを凌駕しえないであろうほど)。

(ii)そうすると、「ここで『ロシア演劇』」という語で表わしている概念、つまり、その語(「ロシア演劇」)がそういう概念の象徴であるということが「所与のものとして」捉えられている概念とは何か」、ということになる。

(iii)そこで、その概念とは何か、うん、
  →[ロシア演劇 = 暗い(暗い物語)]と考えたわけだ。
  特にこれといった根拠があってのことではない。というよりも、まったくそこらは門外漢分野であり、「さて困った」のだが、まあ、なんとなくそう考えた、「カラマゾフの兄弟」なんかを頭に浮かべて。何か考えなきゃ話が進まないからね。
  その結果、上記のような訳にした(末尾にその全体訳を掲げている)

2.エルロイ小説の記述

   ――ロシア演劇(Russian Play)は、セリフがくどくどしい――

 James Ellroy(ジェイムズ・エルロイ)の小説を読んでいて(2)、このようなことを述べている記述に出くわした。え、ほんとかい、初めて知った!!
 驚きだ。

 あれ! あれ、まてよ・・・とすると、あの曲の、But Not for Meのあそこ・・・・・・あのとき、いろいろ頭をひねったて、「えいやっ」で訳したが、そうではなく、こういう意味になるのか・・・・・・なーるほど。
 ――「いくらくどくどいっても言いきれないほど、暗い気分に沈んでしまったわ」――

 とっさに脳がパチパチ、そう閃いた。
 「『ロシア劇のセリフはくどい』――こういうことが定説になっているのか、常識かい、知らなんだのはアンタだけか」――うん、ネットで調べなきゃいかん。

 こう考えた。そして、「印をしておかなきゃいかんな」と、つまり、読んでいた本のそのページのその記述に、後から探したときに(参照、引用などの必要性から)すぐ発見できるように、「赤鉛筆で印をしておかなきゃいかんな」という意識が強く働いた。
 というのは、こういうことだからである。

 <<<後から探す必要が生じたとしても、だいたい、話の脈絡のなかでここらへんだということを記憶しているから、パラパラとめくって、さっと読んで、すぐに見つけられるだろう、おそらく――と考えて、印も何もしない。
 ところが、やっぱ、探すとなると探せない、見つからない。
 これまで、ずっとそうだった。その繰り返しで生きてきており、その都度、反省していた。
 そういう経験を、いやというほどしてきた>>>

 それなのに、今回も、それをしなかった、怠ってしまった。アホだね!!
 「ああ、すぐ探せるだろう」と考えて。
  いやな予感はしたんだが。

 
*2.この過去記事(2003.8.26)参照

3.チェーホフ演劇
 さて、ロシア演劇のセリフは概して「くどい」のか、それが定説か。
ネットで調べた。
 いろいろと知った。

(i)Russian Playとは、チェーホフの演劇を指す。
(a)まず、"play"とは「演劇」のことだという・・・はっ?
 そして、"Russian play"とは、チェーホフの演劇のことを指すのだ・・・ええっ!
 こういうことが書いてある。
 「ロシアの「演劇」って、チェーホフの演劇のことなのよ。
 そうか。

(ii)チェーホフ劇のセリフ = くどいのか。
 そこで、そのことをネットで検証した、確認をとろうとした。
 ところが、そんなこと書いてないね。
 まあ、なんとなく、そう認識することについて、そいう合意ができているような雰囲気もあるんだが、識者ないし論者のあいだで、「まあ、そういえばそうだな」、「そういうことにしておくか」みたいな合意が、うん、半ば、ししぶしぶ合意みたいな空気ができているようだが、いいかげんな合意、いいかげんだね、連中、
 まあ、そういうことだが、とにかく、
 「パチッ」とはいかない。つまり、定説になっているとはいえない。

4.アイラ・ガーシュインの着想
 ------- "than any Russian play could guarantee" ------
 おそらく、「上記のような議論が存在するといういう状況を、というか空気を、『機敏に』察知して、歌詞に引っ張ってきた。
  ・Russian Play(ロシア演劇) = 暗い、暗い劇
    ・Russian Plya(チェーコフ演劇の)=セリフがくどい
  ・その他
 聴く側がどう惑おうと、どう考えようと、意味の把握にどう困惑しようと、その人々に委ねる・・・これだ。鋭い、作詞家として。

三、「桜の園」は悲劇か喜劇か。
 こういう議論がある。
 劇解釈 (喜劇)= 演出→結果としての作品→興行採算面からの評価。
 深くは立ち入らない。 

四、結論
      "than any Russian play could guarantee"
    ――チェーホフ演劇が、いくらくどくど言ってみても追いつかないほど―――

 ということで、But Not for Meの件の一節、その日本語訳を上のように訂正する、というか、置き換えることにする。

 ロシア演劇は暗いものが多いけど、恋に夢中になってしまった私は、もっと暗く沈んでしまったわ。
    ↓ (変更)
  恋に夢中になってしまった私は、あのチェーホフ演劇のセリフが、いくらくどくど言ってみても追いつかないほど、暗い気持に沈んでしまったわ。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 -------------------------------------------

 参考までに、以前載せた詞/翻訳を掲げておく。

[過去記事から}

                But Not For Me
                              
 George and Ira Gershwin, 1930
(Verse)
Old man sunshine listen you!
     Never tell me, "Dreams come true!"
Just try it and I'll start a riot.

Beatrice Fairfax, don't you dare
  ever tell me he will care;
I'm certain it's the final curtain.

I never want to hear from any cheerful Pollyannas,
    who tell you fate, supplies a mate; it's all bananas!

 (Chorus)
They're writing songs of love, but not for me.
A lucky star's above, but not for me.
With love to lead the way
I've found more clouds of grey
than any Russian play could guarantee.

I was a fool to fall and get that way;
Heigh-ho! Alas! And also, lack-a-day!
Although I can't dismiss the mem'ry of his kiss,
I guess he's not for me.

He's knocking on a door, but not for me.
He'll plan a two-by-four, but not for me.
I know that love's a game;
I'm puzzled, just the same,
was I the moth or flame?
I'm all at sea.

It all began so well, but what an end!
This is the time a feller needs a friend,
when ev'ry happy plot ends with the marriage knot,
and there's no knot for me.


******------******------******------******

[バース]
お日さま、よくお聞き。「夢は必ず実現する」なんていわないで。
   もし言おうとしたら、暴動を起こすわよ。
人生相談のベアトリス・フェアファクスさん、彼が私のこと今でも気にかけてるなんて、絶対にいわないでよ、おざなりを。
 もう幕が下りたのよ、私知ってるわ。

 安請け合いばっかり言う楽天家連中は、きっといいことがある、恋人ができるなんて、必ずいうけど、みんな嘘よ、聞きたくないわ。

[コーラス]
  作曲家はラブソングを書くけど、私のためじゃない。
空には幸運の星が輝いているけど、私のためじゃない。


 ロシア演劇は暗いものが多いけど、恋に夢中になってしまった私は、もっと暗く沈んでしまったわ。
    ↓
 恋に夢中になってしまった私は、あのチェーホフ演劇のセリフが、いくらくどくど言ってみても追いつかないほど、暗い気持に沈んでしまったわ。

 あんなに夢中になるなんて、そして失恋するなんて、愚かだったわ。
「あーあ」、「やれやれ」、おまけにもう一つ、「なんてこと」。
彼のキスを忘れられないけど、でも、おそらく、あの人って存在は、私のためじゃない。

 彼がドアをノックしている。だけど私のためじゃない。
彼は、ツーバイフォーの家を計画するだろうけど、私のためじゃない。
そうね、恋はゲームね、それは知ってる。でもね、考え込むことがあるわ、私は蛾だったんだろうか、それとも、私が明りだったんだろうかって。
 まったくうまく始まったのよ、それが、あんなひどい終わり方をするなんて。
こういうときこそ友が必要なのよね、ハッピィエンド物語はすべて結婚で終わるのに、私だけはそうならないときって。

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2013年8月26日 (月)

♪On The Sunny Side of the Streetの歌詞と日本語 ―"This Rover, crossed over."― James Ellroy(ジェイムス・エルロイ)のBlood's a Rover(2009)を読んだ。"Rover"・・・・・・ウム。

2013.8.26
 James Ellroy(ジェイムズ・エルロイ)のBlood's a Rover(2009作品)を読んだ(*1)。 その題名の意味、含意についていろいろと考察しているなかで、ある曲を、ジャズ・スタンダードを連想した。
 On The Sunny Side of the Streetである。歌詞に、"This Rover, Crossed over"というくだりがある。それが連想を引き起こした理由だ。
 そこで、事のついでに、その歌の歌詞と日本語訳を記事にして載せることにした。
 語っている物語というか、描いている世界というか、相互に全く関係ないんだけどね。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 記事投稿を一ヶ月も空けてしまったんだが、――暑くて暑くて、熱くて、もう、ドロドロ、ネトネトで、死にかけていたからだが ―― 、やっと涼気の気配、とにかく、なんでもいいから、とにかく、一つ記事を乗せて、再開の呼び水にしなきゃいけないということもある。そこで、手っ取り早く済むもので、ということで、この記事だ。

*1.James Ellroy/Blood's a Rover
                                   (脚注だがm普通サイズで記す)
 
犯罪/暗黒小説で知られるアメリカ人作家。
(a)その猟奇的ともいえるほど奇異な生い立ち、
(b)作品題材として1940年から70年代にかけてのアメリカ裏社会の政治面、社会面、経済面での陰謀の暴露を粘着質的ともいえるほどしつこく追っかけているという姿勢(ケネディ兄弟、キング牧師暗殺に潜むマフィアの暗躍、フーバーFBI長官による赤思想弾圧、黒人解放運動破壊工作など)、
(c)特異な文体(主語や動詞を省略して、ボーンと放り投げるような、ぶっちぎったような文章、電話会話/電報通信文体、日記モノローグを通じて筋を語っていく手法を多用する構成)
  などの点から異彩を放ち、その風貌ともあいまって、異色的存在である。
 「アメリカ文学界の狂犬(mad dog of American Letters) ― 自らそう名乗っているという。

  作品群の中に、①American Tabloid(1995)、②The Cold Six Thousand(2001)、③Blood's a Rover(2009)というのがあり(↓画像)、登場人物、背景社会、描かれている事件、時系列的時代推移などにおいて相互に密接な関連性をもっていることから、俗に、Underworld USA Trilogy(「アメリカの暗黒世界をえぐる三部作」の意)と総称されている。
 "Blood's a Rover"は三部作の最終作である。
    ----------------------脚注(1)終わり----------------------

Bloods                             (Under World USA Trilogy、
アメリカの暗黒世界三部作)

 エルロイを知ったのは、いつのことだったか、偶然、"White Jazz"という当人の1992年作品(↓画像)を書店の棚から抜き取って手にしたことに始まる。昔のことで記憶が薄らいだが、確か、そうだった。それを手にしたのは、単に"Jazz"という文字に目を惹かれただけのことによるものであった。探偵物というかスリラーというか、そういうものでジャズを題材にしたものはないかと、いろいろ探していたのである。

 伊勢佐木町(横浜)有隣堂でのことであったか。
 まだ4階洋書コーナーが、どんと威張って構えていたころのことだ。
 確か、Nelson DeMilleについてであったか、こちらが「その本はないか」みたいな質問をして、返ってきた答えから、その女性店員さんの、「うんちく」、洋書/海外作家についての深い知識を感知し、驚いたころのことだ。

 そういう人がいた。正社員かパートか知らぬが、そいうい「人材」、「専門職みたいな「店員」さんを配置することが書店としての、大型洋書コーナーを設けるだけの書店としての、一流書店としての務めであるとする職業倫理、見識、矜持がまだ実効性を有していた時代だった。
  (よかったねえ、あのころ。「労働法」、「労働問題」、人間社会の根元的な問題追及みたいなことが、この世から消え去ろうとしていた、ぎりぎりのときだったけど)

 以降、本屋に寄る度に、まあ、伊勢崎町有隣堂だが、「エルロイ、ないか、ないか」と探して、苦労しながら追ってきた。
 "amazon"なんてものは存在しなかった時代だ。そうやって見つけるしか、すべはなかった。

 この三部作3冊は、「とにかく手に入れたい」という想いから、amazonで買った。つまり、書店洋書コーナーでの、「探しに探して探し当てた興奮」だの、「思いもかけず、いきなり出くわした幸運の喜び」といったものに出会うことのありうる愉しみを「犠牲にして」、「新自由主義横行の象徴」みたいな"amazon"から買った。

 ただし、三冊買ったんだが、第一作は飛ばして、第二作から読み始めた(つまり、American Tabloidはまだ読んでいない)。そのせいで、第二作、"Cold Six Thousand"、読み始めてしばらくは、話の脈絡がつかめないところがあり、とまどい、筋を追うのに苦労した。やたら、登場人物が多いので、進んだり戻ったり、ノートにメモを取りながら読まないと何がなんだかわけが分からなくなる、ということの追い打ちが苦労に拍車をかけた(最初のうちは、余白に人物メモを書きこんだりしていたんだが、それでは追いつかなくなった)。


La2                                                                     
(White Jazz)

  右端が"White Jazz"。この、The Black Dahlia(1987)、The Big Nowhere(1988)、L.A. Confidential(1990)、White Jazz(1992)を、俗に、L.A. Quartet(L.A.四部作)と総称する(L.A.は、いうまでもないが、ロスアンゼルスルのこと)

◆◆◆◆◆◆◆◆
■■■さて、歌詞/日本語訳に移ろう。
                          ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]

                On the sunny side of the street
                                       
(w) Dorothy Fields (m)Jimmy McHugh, 1930
[Verse]
Walked with no-one, and talked with no-one,
       and I had nothing but shadows.
Then one morning you passed and I brightened at last.

Now I greet the day,
      and complete the day with the sun in my heart..
All my worry blew away.
When you taught me how to say: 


[Chorus]
Grab your coat and get your hat,
  (and) leave your worries on the doorstep.
Just direct your feet to
 the sunny side of the street.

Can't you hear a pitter-pat?
 And that happy tune is your step.
Life can be so sweet
 on the sunny side of the street.

I used to walk in the shade
      with the blues on parade.
But I'm not afraid,
   (because) this Rover, crossed over.
If I never have a cent I'll be rich as Rockefeller,
   (with) gold dust at my feet on the sunny side of the street.

             オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート

         (「明るい表通りで」、「明るい街角で」
―この二種の邦題が浸透している)

(バース)
 歩くときはいつも独りぼっち、話し相手もいなかった、ずっと。
 あるのは、陰気な暗がり、憂鬱だけ。
ところが、ある朝、君が通りかかり、ぼくの心が晴れた。
 やった! ついに!

 いまでは、張り切って毎日を迎え、心に太陽を宿して日を終える。
憂鬱は吹っ飛んだ、霧散した、
君から歌を教わったときに。
そう、次のように心に言いきかせて唄うようにと。

(コーラス)
 さあ、上着を掴んで、帽子をかぶり、外に出よう。
悩み事なんか、戸口の階段にうっちゃっておけ。
足を、通りの、陽の当たる側に向けさえすればいいんだ。

 パタパタという音が、ほら、聞こえるだろう、
楽しそうな音が、あれ、アンタの足音だよ。
な、日の当たる側を歩けば、人生は楽しいものになる。

 これまで、ずっと日陰、裏通り歩いてきた、暗い人生を。
あれやこれや、陰気に憂鬱をいっぱい抱え込んで。
だけど、オレはもう負けないぞ、
なぜって、オレはそんな流浪者だったけど、
 もう、通りの向こう側に渡ったから、生き方を変えたから。

 一文無しでも、気持ちは、ロックフェラーだ。
足元には、砂金があふれているもの。
 土には金(きん)の価値がある、
明るく表通りを歩く人生ではね。


一、曲について ( 由来など)
(1)1930年のブロードウェイ・ミュージカル、"Lew Leslie's International Revue"(単に、"The International Revue"ともいう)の劇中曲として世に出た(Wikipedia)。

 ジャズスタンダード曲を唄う場合、それがブロードウェイ・ミュジカルなど劇中の歌である場合には、劇中のどのような場面で、どのような状況設定で唄われるのか知ることが重要である。歌解釈との関係で重要である。
 誰が誰に向かって唄うのか、口説いているのか、心離れを詰っているのか、隠れた恋心を切なく訴えているのか、などなど。
 その元の劇において、その歌がどういう意図で、どういう効果をあげるために挿入されたのかを知ることが大切だ。
 
 その当初の「目的」どおりに唄えといっているわけではない。つまり、曲解釈、歌詞解釈、歌唱表現検討において、そのことに絶対的に捕われる必要はない。
 そうではないが、――「歌詞解釈の変遷」ということがありうるのだが、そのことについては、何度も記事に取り上げてきているのでここでは繰り返さないが――、とにかく、なんであれ、当初の、歌の登場時の状況設定を知ることは、歌解釈の「出発点」として大事なことである。

 だが、ここでは、それを知ることはできなかった。
 どのような劇なのか、ネットを探したが、興行年度や出演者など、表面的素要だけを示したものはあるが、どのような物語なのかを(「物語」が存在するとすればのことだが)教えてくれる記事を見つけることはできなかった(Lew Leslieという人物については、ココと、画像ココを見よ)
 ただひとつ、劇中に、(i)ワルツ舞踏、(ii)ベッドルームでのお笑い劇、(iii)ロシアバレー練達者による、目まぐるしく飛び跳ねるバレー舞踏が存在するということを示唆している記事があったが("TIME magazine"記事)、劇の筋書きには触れていない。
 (このTime magazine記事のURLは<(http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,752398,00.html>である。参考までに掲げておくが、接続が円滑にいかず、ハングアウトを引き起こすかもしれない。その危険があることを断わっておく) 

(2)バースがあるなんて、知らなかった。
  これまで、いろんな演奏を聴いたが、耳にしたことがない。今後も、おそらく現れないだろう。
  この記事を書くために歌詞を確認しようとして全音楽譜出版社「スタンダード・ジャズのすべて」②を見たのだが、そこで、バースの存在を初めて知った。
  まあ、唄うとすれば、この部分はゆっくりとルバートで唄いコーラスにつなげるということにしなきゃいけないだろうね。

  バースとコーラスの関係は次のようになっている。
---------------------------------
(バース)
 君に出会って心が晴れた、次のように心に念じながら暮らせと教わってから。すなわち、こうだ・・・
(コーラス)
 ウジウジ悩まず、明るく生きよう、楽天、楽観、能天気・・・明るい表通りを歩こう。
----------------------------------
 こういう関係だから、いうならば、「コーラスだけ唄えば充分、バースの重要度は薄い」ということになる。
 バースを唄う歌手が皆無なのは、この故ではないか。
 まあ、そういう曲は、バースが死んでいる曲は、これに限らず、他にもいっぱいあるんだけどね。

 この関係で笑ったのは、オランダでの「年寄り歌唱コンクール」みたいな催しで( "Senior Song Contest 2007" in Amsterdam)、ひとり、おっさんがこれを、バースを唄っていることだ。YouTubeの場にある。

 このWebページでそれを知った。
  (ずらずらとリンク・リストが掲げられているなかの、「Ferry Verschuyl sings with the verse*. 2007」)というのがそれ。バース文言記述のすぐ上にある。
  それにしてもすごいね、このページ。この曲についてこれまでに存在するインスト/ボーカル録音を、YouTubeの世界でのことだが、探しに探しまくって、網羅的に掲げている。敬服の至り、感服する。CDの紹介もある)。

 さて、話を戻して、おっさんだが、死滅しているバースを、なぜ唄ったのだろうか。
  <<<バースがあるんだよ、アンタら知らないだろ、Jazzを唄うときにゃ、いろいろと研究しなきゃいけない。バースというものがある場合には、コーラス部分しか唄わなくても、――いいかい、それしか唄わない場合でも――、バースとの関連性を一応は知っておかなければいけない。知ったうえで歌詞解釈をしなきゃいけない。「レンディッション」ということを、しなきゃいけない。とにかく、俺はバースを唄う>>>。
 ハハ、そんなことはいってないか。
 上位入賞を果たすための工夫であろう。奇をてらって、まあ、それではことばが悪すぎだが、珍奇性、珍しさを売り物に、入賞への推進ロケットにしようとしたのであろう。

(3)作曲者、作詞者については(Jimmy McHughDorothy Fields)詳 しは触れないが、この劇から、もう一つ、Exactly Like Youがスタンダード化しており、他に、このコンビによる曲として、I Can't Give You Anything but Love(1928)、I'm in the Mood for Love(1935)がある。

二、翻訳工房
(1)"But I'm not afraid, (because) this Rover, crossed over."
(i) 全音楽譜出版社「スタンダード・ジャズのすべて②」では、次のようになっている。つまり、途中にカンマも何もない。これが原歌詞か、おそらく違う。
      
      But I'm not afraid this Rover crossed over.
                 
 向こうの人は、これで意味がつかめるのだろうか。判断しかねるが、次のように考えてよいのではないか。
(イ)印刷文字を目にする場合は、意味をつかむこと自体はできようが、前後の脈絡からして何を述べているのか推測することはできようが、一瞬とまどう。たじろぐ。そして、「何だこりゃ」と、記述の不作法、文法無視に腹を立てる。
 すなわち、次のようにしなければならないと指摘するのである。
       (x)But I'm not afraid, this Rover, crossed over.

       (y)But I'm not afraid. This Rover, crossed over.
(ロ耳から聴く場合には(唄うのを)、意味がつかめる。
        But I'm not afraid ///this Rover///crossed over.

 といように[///]の部分に間を置くからである。
すなわち、上の(x)や(y)と同じことになるからである。

(ii)ここで、"afraid"の用法」に触れておこう。上記議論の基礎になる事項だから。
   [恐がって]
          I'm afraid of.....
   [心配して、気がかりで]
          I'm afraid about(for, of)......
 これが用法である。「恐れる」対象、「気がかりな」対象は、必ず、of, about, for, ofという前置詞を置いて表わさなければならない。だから、ここでは、下に見るように、「何々を」恐れていない、「何々を」心配していない、という「何々」が省略されているのである。
        But I'm not afraid (of.....), this Rover, crossed over.
               But I'm not afraid (about, for, of.....), this Rover, crossed over.
  言い換えれば、[But I'm not afraid]で文章は終わっているのである。だから、afraidの後にカンマかピリオドを打つ必要がある。
       But I'm not afraid this Rover crossed over.
        こんな表わし方は許されない。
   ("afraid this Rover"― 「this Roverがafraidの対象」、なんて考えてはいけない)
  
(iii)以上、長くなったが、とにかく、この文章は意味が分かりにくい。
 そこで"because"を挿入することが行われるようになった。そのように唄っている歌手が多い。
         But I'm not afraid, because, this Rover, crossed over.
            (カンマはあってもなくてもいい)

(2)"Rover"
(i)まず、"rover"という語句の意味。
 元来は、「流浪者」、「漂流者」ということだが、ネクラ(根暗、ねくら)思想の、ネクラ人生を送っている者」、あるいは、「陰気に悩みをいっぱい抱え込んでネクラに暮らしている生活ぶり」といったことを指している。
(ii) "this Rover"
   "Rover"と大文字になっているのは、「この流浪者」と、自分のこと(または、自分の生活ぶり、これまでやってきたネクラ生活)を指しているからである。
 「オレはもう生き方を変えたんだから」と、特定性を持たせるために大文字にしているのである。

 ネットの歌詞紹介ページには、"this rover"と小文字にしているところがあるが、勝手に変えてもらっちゃ困るね。まあ、バースで述べているような「流浪人生」、「根暗人生」を指しているということが、分かるには分かるが、そこにたどりつくのに時間がかかる。大文字になっている場合には、「あ、そうか」とすぐにひらめく。「すぐに」ではなくても、比較的短時間で閃く。

■サッチモ vs. ティガーデン、巨人同士のバトル

  Loui Armstrong vs. Jack Teagerden


(1)初めてこれを聴く人は、演奏に、ルイの歌唱に驚くであろう。
    「あれ、遅い! これって、あの曲?」
  驚きが持続し、やがて1コーラスが終わり、ルイが、そのゆっくりしたテンポで、ゆったりと、フェイクで唱に入っていく(原旋律そのものではなく、ジャズ的に崩した旋律で入る)、いくらか沈んだ口調で、そのなかにも後方から明るさが射してきているような口調で。
 他に類をみないレンディッションだ。

  「アレッ」、「この人、歌、間違えてる」、「いや、いや、違う、そうじゃない」・・・意表を突かれ・・・聴き、しばらく聴き・・・、そして、感動がやってくる、涙ぐむ感動が。
 これぞ、「ジャズ」歌唱、その真髄だ。
 これじゃなきゃな、「ジャズボーカル」というものは。
 調子のいい、アップテンポの、行進曲みたいな歌――100人が100人、この曲につてそのイメージしか持っていなかったなかで、これだ、1947年のことだ。
 Luis、46歳、Jack、42歳。

(2)インスト演奏面でも白眉(はくび)。
 ティガーデンの偉大さを天下に知らしめた演奏である。
   トロンボーン。
   注目して、よく聴いて。
 「アンサンブル」での秀逸な「からみ(絡み)」、そして、ルイの唱になってからの歌唱につけていくオブリガート、これがすごい。そして、そして、そして、唱が終わって、おもむろにソロ。

 場内はルイの歌唱に興奮して、感動して、大拍手を送っている、ぱちぱち、バチバチバチバチ、興奮のるつぼ、総立ちだ、スタンディング・オベイション.....しかし、「ウン?」、「アレ?」 、トロンボーンが・・・・・・。

 --- 静まり返る。どうだね、これ、ジャクティの血を吐くようなソロ、このソロ、一世一代のソロ・・・、もう涙なくしては聴けないね。
 涙もろいようなことばっかりいっているが、さっきから。

 .まさに、巨人、天才ならではのものだ。
 ある意味、この演奏は、ルイの秀逸演奏としてよりも、ジャクティーの名演奏として、見事な「アンサンブル」を創り出す奏者として、傑出したソロ奏者として、その偉大さを示すものとして知られる向きもある。

(3)世紀の名演奏といえる。

(4)からみ(絡み)、アンサンブル
 ニューオリンズ・ジャズ/デキシーランド・ジャズ(New Orleans Jazz/Dixieland Jazz)では、「三管のアンサンブル」ということを重視する(*2)。
 どういうことかというと、ジャズ発祥時ニューオリンズで初期から聴かれた標準的編成バンド、すなわち、トランペット、クラリネット、トロンボーンの3管、プラス、バンジョー、チューバ、大太鼓、小太鼓、ピアノ(場合により)というバンド(あるいは、「ブラスバンド」)においては(*3)、次のような「美しさ」が、なんともいえぬ「味」が、「よさ」、「感動」がみられた。

  <<<トランペットがテーマを吹き、トロンボーンが和音進行を低音部で示しながら、同時に、曲に、演奏にリズム感を与えていく。強力に与えて行く。「タタタッタッタ」のごとし。
 これに、クラリネットが、そのなかを縫うように、泳ぐように、あるいはアルペジオを奏で、あるいは「ピーッ」と高音を長く伸すなどして、色彩をつけ、明るく、暗く色彩を付し、オブリガートでラッパ(トランペット)に応じるなどして三管が奏でる全体音、音楽に幅を与え、層を豊かにしていく>>>

 こういう奏法というか演奏様相のことを「絡み」(3菅が相互に「絡んでいく」様)といい、あるいは、全体としてのその様、ないし、出力としての成果物音楽、音楽的効果を、「アンサンブルと称した。
 もちろん、演ってる連中がそんなことをいったわけではなく、「そんな、小難しいこた、こちとら知らぬ、どうでもいいことだ、自然にやっているだけだ」ということだから、いったわけではなく、その後になんだかしらんが湧くように現れてきた「評論家」たちがいいはじめたことだ。 (まあ、しばらく時代を経ると、奏者自体も意識するようになるんだけどね)
 評論家連中は、この「絡み」、「アンサンブル」の善し悪しを演奏評価の絶対的要素としてきた。
 楽器操縦の上手い下手はあまり関係ないんだよね。多少メロディを間違えても、「ピー」だの「プー」だの「ガー」だの、「ズボ」だの変な音が混じっても、「アンサンブルが秀逸だ」なんて宣うて、その演奏、レコードに五つ星をつける。

 うん、ついつい長くなったが、上の「(2)」で述べたことは、このことに関係する。いわば専門的議論なので、ここで一言しておく。

*2.デキシーランド・ジャズ/Dixieland Jazz
 「デキシーランド・ジャズ」ということばは、場合によって、次のよう、異なる意味で使用される。
(1)
トランペット、クラリネット、トロンボーンの3管、プラス、バンジョー、チューバ、大太鼓、小太鼓という標準編成楽団によるジャズ音楽がニューオリンズで興り、育ったわけだが、それはやがて、シカゴへ、ニューヨークへ、西海岸へ、全国へ、あるいはヨーロッパへと浸透していった。
 世界各地で演奏されるこの種のジャズ音楽を総称的に指す。
 チューバに代わってコントラバスが、バンジョーに代わってギターが入ったり、太鼓陣に各種シンバルが加わったり、ピアノが加わったりという変容はあるが、とにかく、この6、7人編成による伝統的形式のジャズ音楽のことをいう。
 さらには、シカゴにおいて当地の若手白人を中心とする集団によって「シカゴ・スタイル」、「シカゴ・ジャズ」という派が生まれ、発展していったということがあるが、その派も含めて表わす総称である。

(2)上で述べたこの種の音楽には、やがて、浅薄なもの、軽薄/浮薄なハッピー性だけを狙ったもの、商業性に堕した音楽/派が現れてくる。愛好者の一部や批評家などからそう批判される派が現れてくる。
 ニューオリンズでの発祥当時からの、黒人音楽としての伝統的な美しさ、味わい、よさ、みたいなものを大切にする派は、「デキシーランド・ジャズ」という名のもとに、自分たちがそういう浮薄音楽といっしょくたに(一緒くた)に語られることを嫌い、そのようなニューオリンズ伝統を温存するジャズ音楽を区別して表わすものとして、別途、「ニューオリンズ・ジャズ」という呼称を使用するようになる。
 そこで、上記「(1)」のデキシーランド・ジャズ概念からこの「ニューオリンズ・ジャズ」を除いた概念としての「デキシーランド・ジャズ」というものが観念される。

(3)上記「(2)」の概念中の、「
浅薄なもの、軽薄/浮薄なハッピー性だけを狙ったもの、商業性に堕した音楽/派」のことを指す概念として使用されることがある。
 すなわち、上記標準6-7人編成の、カンカン帽にストライプ・スーツ姿の連中による、軽薄ハッピー音楽、伝統的演奏形式には拠っているものの、その中身は、浅薄、軽薄、浮薄な商業的ハッピィ音楽(として堕落したものにすぎない。こういう概念である。
 軽蔑的色彩をもって語られる概念である。
縮めて「デキシー」と呼ばれるときは、この概念が観念されていることが多い。

(4)上記「(2)」からさらに(3)を差し引いた概念が観念される。
 言い換えれば、「(1)」から「ニューオリンズ・ジャズ」と「「3」の浮薄ハッピーものを差し引いたものである。

*3.ブラスバンド
 どこどこ自衛隊ブラスバンド、どこどこ消防隊ブラスバンド、全国高校ブラスバ ンド競技会みたいなことをイメージしてはいけない。そんな形式ばったものではなく、ここでいう「ブラスバンド」は、お祭り、祝い事、葬式といった催しが あるときに町に繰り出す、あるいは街角で演奏する、多分に楽器を手におっとり刀で駆けつける人たちの集団のような(もちろん、事前にきちんと「編成」され ている集団である場合もありうる)「楽団」のことである。
 いわば、「楽団」というイメージで連想してほしい。

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2013年6月 6日 (木)

♪I've Found a New baby/アイブ・ファウンダ・ニュウ・ベイビィ/いい娘(こ)を見つけた(♂)、いい坊やを見つけた(♀) ― 1926年Jazzスタンダード、歌詞と日本語訳。

2013.6.6
  前回記事(2013.5.31)の仕掛り部分(「七」章)を切り離し、ここに、独立記事として掲げることにした。
すなわち「脚注1」で次のように述べている部分である。 
 <<<*1.そもそもが「どういう曲なのか」ということを知るために、末尾に曲についてのデータと、歌入りの初期の演奏Tubeを掲げておく>>>

◆◆◆◆◆◆◆◆
[I've Found a New Baby]
 Jack Palmer作詞、Spencer Williams(スペンサー・ウイリアムズ)作曲によるポピュラーソングで、1926年に Clarence Williams' Blue Five(クラーレンス・ウイリアムズのブルー・ファイブ)バンドの演奏にによって世に出た。
 以降、多くのアーティストによって吹き込みが行われ、ジャズ・スタンダードになっている。
 デキシーランド界では、この曲をレパートリーにしていないバンドは、まず存在しない、そういわれる(Wkipedia)。
 元来は次のような曲だ(↓Tube)。

■Ethel Waters - I've Found a New Baby (1925)
 エセル・ウォ―タ―ズ

Ethel Waters (October 31, 1896 -- September 1, 1977) was an African American blues, jazz and gospel vocalist and actress. She frequently performed jazz, big band, and pop music, on the Broadway stage and in concerts, although she began her career in the 1920s singing blues.
 ブルース/ジャズ/ゴスペル歌手、女優。ブロードウェイ舞台やコンサートでジャズ、ビッグバンド演奏、ポップ音楽を頻繁に演じたが、そもそもは、1920年代にブルースを唄ってキャリアに踏み出した。
-----------
 ペンシルバニア州で、14、5歳になるかならないかの母親から生まれた。一家の知人であった混血中流階級出身ピアニストにレイプされたことによる妊娠だったという。貧困のなかであちこちを転々としながら育ち、13歳で結婚したがすぐに暴力亭主と別れ、フィラデルフィアで住み込み女中として働くなどしたという。17歳のときに仮装パーティで唄ったことがきっかけになって、プロの道に進むようになった(Wikipedia)。
 

■歌詞と日本語訳(独自訳)
                                                                   ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]
               I've Found A New Baby
                        
(w)Jack Palmer (m)Spencer Williams, 1926 J
(Verse)
Everybody look at me,
Happy girlie, you will see,
I've got someone nice, oh, gee!
Oh, joy, what bliss!

Just the treasure that I need,
Pure as gold and guaranteed,
Is he handsome? Yes, indeed!
Let me tell you this:

(Chorus)
I found a new baby,
A sweet honey boy;
My fashion-plate baby
Has thrilled me with joy!

His new way of lovin'
Has made me his slave;
His sweet turtle dovin'
Is all that I crave!

Sweetest kiss, what a kiss, full of bliss, can't resist, somehow!
Tells me lies, but he's wise, naughty eyes mesmerize, I vow and how!

I don't mean maybe,
I just had to fall;
I found a new baby,
A new baby, that's all!

     いい娘(こ)を見つけた(♂)  / いい坊やを見つけた(♀)

(バース)
みんな、私を、見て!
ほら、幸せなお譲ちゃんがいるでしょう。
いい坊やを見つけたのよ、わあ、なんてこと、
しあわせ、至福、天国!

これよ欲しかった宝物は、
ゴールドのように無垢で、真正。
ハンサムかって訊くの? もちろん、請け合いよ。
ほら、こういうことよ。

(コーラス)
いい坊やをみつけたわ、
甘くて、可愛いい子。
私が、スタイル画に描くような子、
もう、ワクワク、ドキドキしちゃう。

愛しか方がね、まったく斬新なの、
だから、すっかり虜になってる。
キジバト夫婦のように愛し合う、
渇望、それが私の願望、それさえあれば何も要らない。

甘い口づけ、なんてキスなの! もう、至福、メロメロ、蕩けちゃう。
嘘をついたりするんだけどね、悪賢いの、とぼけた無邪気な瞳でね、
うっとりと催眠術にかけてね、ああやれ、こうやれってね、騙すの。
結局、約束させられちゃうわ。

でもね、この話、この恋、真剣なのよ、冗談じゃなくて、
とにかく、そうなっちゃったのよ。
いい坊やを見つけたの、
いい子をね、騙されようと、どうしようと、どうなってもいいの。

[翻訳工房]
1.[fashion -plate]
 1.(多くは色刷りで大判の)新型服装図 2.(話)常に最新流行の服を着る人、ハイカラな人
    (小学館「プログレッシブ英和中辞典」)
   スタイル画(weblio)
 2.[His sweet turtle dovin' is all that....]
  "turtle dove" n1.(鳥)キジバト(特に)ヨーロッパ産キジバト 2.恋人、仲の良い夫婦
       (小学館「プログレッシブ英和中辞典」)
    ここでは、"turtle dove"を動詞として使用している。すなわち、「仲のいい夫婦のように振舞う」という動詞として使用し、その現在進行形(ing)で「仲のいい夫婦のように振舞うこと」という名詞句になっている。元来名詞形しかない語を動詞として使うのは、よくある手だ。
3.[Tells me lies, but he's wise, naughty eyes mesmerize, I vow and how!]
 上記のように訳したが、意味調査中の暫定訳としておく。
4.[I don't mean maybe.]
(米口語)
  文の末尾に置いて、先行する文/節/句に対して、次のように念押しをする表現である。
 *「場合によってはそうする、とか、事に因ってはそうする」とか言っているのではない」、
  絶対にそうする。
  *「冗談でいっているのではないぞ、本気で言っているのだ」。
  *「いいか、必ずやれよ」。

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2013年5月22日 (水)

♪Ace In The Hole(1909年ジャズ・スタンダード)の歌詞と日本語訳――注意! コール・ポーターによる同名の曲(1941)があるけど、それじゃないよ。

2013.5.22 
                                                                              ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]
  一昨日の記事でMaxine Sullivan(マキシン・サリバン)が"Ace In The Hole"(エイス・イン・ザ・ホール)という曲を唄っているYouTubeをとりあげた。50年前の"Art Ford's Jazz Party"(アートフォードのジャズパーティー)というシリーズ物テレビ音楽番組のひとこまである。番組はNewark/ニューアーク(New Jersey州)本拠のWNTA-TV(現"WNET")製作によるもので、DuMont Television Networkを通じて放映された。アメリカ合衆国軍隊放送TV網でも放映されたという(ここら、詳しいことについては上記記事参照)。
 今ではめったに唄う人もいないだろうが、歌詞と独自日本語訳を掲げておくことにした。

◆◆◆◆◆◆◆◆
■ Maxine Sullivan sings " Ace In The Hole " on Art Ford's Jazz Party - 09 18 1958
 (マキシン・サリバン、Ace In The Holeを唄う)    
 
 
トロンボーンがうるさいね。
 この男、Tyree Glean(タイリー・グレン)という人物だそうだが、番組全体を通じて、目立ちがリやで、しゃしゃり出て、なんでも自分で仕切ろうとして、なんでも首を突っ込んで音を出してきて、とにかくうるさい。図体がでかいし、うろうろ動き回るし、とにかく目ざわりだ。

 演奏の力量は、まあ、そこそこあるようだけど
  とにかく、ピアノのRoland Hanna(ローランド・ハナ)が、「味のいい」、しかも「モダン」な感覚のフレーズの、しかも、ピッタシと息のあった伴奏を,入れているんだから、つ まり、曲想に合った、サリバンという歌手の個性にも合った、さらには、その個性が今宵示している雰囲気にも合った、その唄いぶり、曲解釈ぶりに、ぴったし 合った内容で唄に絡んできているのだから、――それは、ちょっと聴いただけでわかることなんだが――ここは、黙ってまかせておけばよかった。

  当ブログ主は、セッションの場での唄伴(ウタバン)は「ピアノだけ」よりも管など他の楽器が入った方がいいという意見の持ち主だが、つまり、このような場 でトロンボーンがオブリガートを入れることについて必ずしも「やってはいけない」といっているわけではないのだが、ここでは
ギターも入っていることだし、つまり、ギターがオブリガートを入れることも考えられるわけだから、ここは黙っていればよかった。
 あるいは、「オレがオブリガートを入れるから、あんたらは黙っててくれ」と最初から打ちあわせてあったのかもしれないが、
大御所ホーキンスも場にいるんだから、仕切るのなら、もっとやりようがあっただろう。自分が毎回しゃしゃり出るのではなくて。
 フレーズも陳腐でいかさない。

 ギターは、Mary Osborne(マリー・オズボーン)。この一連の"Jazz Party"Tubeで、初めてその存在を知った。Charlie Christian(チャーリー・クリスチャン)に傾倒していたんだそうだ。うれしいこというじゃないか。


◆◆◆◆

フォードの語りなど、唄が始まる前のやりとりを掲げておこう。聴き取りに 誤りがありうることを断わっておく。 "xxxx"は聞き取れない部分であることを示している。
(Ford)
Well,  Maxine will xxx feel like, with her good friend ah... Roland xxx xxx the piano, Benny Goodman's star pianist.........

  さて、マキシンが.......xxx........仲のいい友達、ローランド・ハナ、あー、ベニーグッドマン・バンドのスターピアニストとして鳴らした......xxxx.......
(Hanna)

  What about xxxx.
  (イントロを弾きながら、サリバンに訊く。もうちょっとやろうか? つまり、「イントロを、もう2小節か4小節やろうか」と問うているのである) 
(Sullivan)

 Now.

 出るわ。
  
  (「ここから入るわ」、つまり、「唄い始めるわ」と返事しているのである。そして、ピアノが素早くすそれを受けて、「チャラララン」と締めくくって、サリ バンが唄いはじめる。ピッタシ息が合っている。"Now"と言うときのサリバンの風情なんか、見てみなよ、いいね、なんともいえない憂い、含みがある)
     
             「注」 ― HannaとSullivanのやりとりは、あくまでも当ブログ主の推測にすぎない。

2

1                    
↑画像は2枚ともTubeからの取り込み。下段画像のギターはMary Asborne、コード弾きに徹している。

■歌詞と日本語訳

      
  ----------------サリバンの唄から----------------

Ace In The Hole
                        (Words and Lyrics) George D. Mitchell & James E. Dempsey, 1909

(Verse)
There're a lot of guys
Who think they're wonderful and fine,
Just because they know a thing or two.

You will find them everyday,
All along Broadway,
Telling of the wonders they can do.

You'll find conmen and boosters,
Card sharks and crap shooters,
Stalling on the road around the Metropole.

They wear fancy suites and collars.
But where did they get their dollars,
They all have an ace in the hole.


(Chorus)
Some of them write to the old folks for coin.
That's their old ace in the hole.
Some of them have girls in the old Tenderloin.
That's their old ace in the hole.

They'll tell you all the dollars
That they have made and spend.
But seldom ever show
A big bankroll.

But their names would be mud
Like a sucker playing stud,
If they lost that old ace in the hole.

(サビからの繰り返し)
They'll tell you all the trips
That they are going to make,
From Florida up to the old North Pole.

But aren't their xxxx
xxxx your teeth cried some of the thing we do...
That is the old ace in the hole.


      エイス・イン・ザ・ホール
(バース)
 世の中には、自分を賢いと思っている男がいっぱいいる。
大したこと知っちゃいないのにね。

 そういう連中を、毎日みることができる。
ブロードウェイのいたるところにいる、
「俺と付き合えば、こんないいことがある、
   俺にはこんなことができる」、
ほらを吹いて、女を口説いたりしてるのよ。

 そう、詐欺師がいるし、万引きもいる、
トランプ・ペテン師に、サイコロ賭博師、
メトロポール・ホテルの周りをうろついている。

しゃれたスーツとシャツでめかしこんでいるけど、
 
でも、いったい、お金はどこから来るんだろうか。
みんな、切り札を持っているのよ、ハハ。


(コーラス)
 なかには、親に手紙で金をねだる連中がいる。
そう、それが連中のいう「切札」なのよ、なんてこと、どうしょうもない連中ね。
 歓楽街に何人か女を置いて、ヒモで食っている連中もいるわ。
それが、切り札だっていうのよ、なんてこと、どうしょうもない輩(
やから)ね。

連中は、これだけ稼いでこれだけ使ったと語るわ。
だけど、いうだけで、連中が札束みせることは、めったにない。

連中はカスみたいなものよ。
カモがポーカーでいいようにカモられているような。
 吹聴している切り札、偽の切り札が効かなくなってしまったらね、
カスでしかないわ。


(サビからの繰り返し)

 連中は、ここに行く、あそこに行くんだって、
予定しているという旅行を吹聴するわ。
 フロリダから、北極まで、あっちこっち、至るところを。
行きもしないのにね。

 だけど、連中はカスみたいなものよ。
xxxx 私たちがすることに xxxx
それが連中のいう切札なのよ。

<<<翻訳作業>>>
1."ace in the hole"
 (1)トランプ用語。(stud pokerで)まだ伏せてあるポイント、(2)(おもに「米話」)とっておき(の切り札)、まさかのときに役に立つもの(人)。(小学館プログレッシブ英和中辞典)
2. "Metropole"
 ニューヨークのホテルの名前(「メトロポール」)。 タイムズ・スクウェア(Times Square)のそば、"147 West 43rd Street"(西43丁目の6番街と7番街に挟まれた一画)にあった。その後"Rosoff"という名に変わったというl(Wikipedia)。現在は存在しないようだ(下の画像を見よ)
 ココに、Rosoffホテルに内にあった"Victory Room"というレストランの記事/写真(絵葉書)が出ている。そのレストランは1918年に開設され、1981年に閉店したという。
3."Tenderloin"
 ニューヨーク、Manhattan(マンハッタン)自治区のど真ん中にあった歓楽街、紅灯街のこと。転じて大都市の悪徳歓楽街の総称(Wikipedia) 
4.playing "stud"
 「スタッド・ポーカー」のこと。

Photo       ほら吹きペテン師連中が「ブロードウェイ」(Times Squareを中心とする劇場街)を往ったり来たりうろつき、ここら辺にたむろしている歌はそう唄っている。
         Metropoleホテルが存在した場所(通りの右側、"Tony's"の入っているビル。建物は当時のままか、それとも建て替えたものか)。
         奥方向に少し進んで交差点を左折すると、地下鉄の"Times Sq-42St駅(タイムズ・スクウェア-42丁目駅)がある(Google地図から)。


Times_square_12   Photo_3            
                                  (↑画像2枚) タイムズ・スクウェア/Times Square(Google地図から) 


<<<唄い手によるバリエーション>>>
 歌詞を調査するうえで、歌手による歌詞の違いが目立つことに気付いた。
 一例を示す。唄の聴き取りによる部分もあり、誤りが多くありうることを断わっておく。
       茶色がバリエーション「((V)」印は"Varliation"の略。

(Verse)
There're a lot of guys
Who think they're wonderful and fine,
Just because they know a thing or two.

 (v)Now this town is full of guys
     Who think they're mighty wise,
     Just because they know a thing or two.


You will find them everyday,
All along Broadway,
Telling of the wonders they can do.

    (v)You can see them everyday,
     Strolling up and down Broadway,
    
Telling of the wonders they can do.


You'll find conmen and boosters,
Card sharks and crap shooters,
Stalling on the road around the Metropole.

    (v)Well, there's conmen and there's boosters,
     Card sharks and crap shooters.
     They congregate around the Metropole.


They wear fancy suites(ties) and collars.
But where they get their dollars,
They all have an ace in the hole.


(Chorus)
Some of them write to the old folks for coin.
That's their old ace in the hole.
Some of them have girls in the old Tenderloin.
That's their old ace in the hole.

 (v)Some of them write to the old folks for coin.
        Well, that's their old ace in the hole.
         Others have gals(friends) on(in) the old Tenderloin.
         Well, that's their old ace in the hole.


They'll tell you all the dollars(moneys)
That they have made and spend.
But seldom ever show
A big bankroll.

But their names would be mud
Like a sucker(an old champ) playing stud,
If they lost that old ace in the hole.

(サビからの繰り返し)
They'll tell you all the trips
That they are going to make,
From Florida up to the old North Pole.

 (v)They'll tell you all the trips
         That they are going to take,
         From Frisco up to that old North Pole.


But aren't their xxxx
xxxx your teeth cried some of the thing we do...
That is the old ace in the hole.

       (v)
But lay it upon the line. 
          xxxx not a xxxx
          If they lost that
old ace in the hole.
 


<<<翻訳作業補足>>>

5. "Frisco"は、テキサス州北東部の裕福な都市。

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2013年5月20日 (月)

♪Muxine Sullivan(マキシン・サリバン)が"Ace in the Hole"(エイス・インザ・ホール)を唄う。わあ! いいな、この歌、いいね、この人 ― "Art Ford's Jazz Party"を楽しむ、その1。

2013.5.20
 事情でしばらく記事が書けなかった。これが、今月、5月の最初だ。
 うん、さて、そこで始めるわけだが、そう、以前から記事にとりあげてみたいと考えていたYouTubeがあった。
 Art Ford's Jazz Party(アート・フォードのジャズ・パーティ)だ。
 いいJazzシーンをいっぱい見せてくれる。
 それを題材にする。

◆◆◆◆◆◆◆◆
  "Art Ford's Jazz Party"(アート・フォードのジャズ・パーティ)というのは、1958年5月8日から12月25日まで続いた一連のTV番組である(単に"Jazz Party"と呼ばれることもある)。ニュージャージー州ニューアーク市(Newark)を本拠とするWNTA-TV(現WNETの前身 )の製作によるもので、スタジオでJazzの演奏をやって流す90分ライブ番組だ。毎週木曜日の夜9時(東部時間)から、DuMont Television Networkを通じて放映された(Armed Forces Television/アメリカ合衆国軍隊TV放送でも放映した) 。

 番組司会者Art Ford(1921-2006)が折々の趣向でJazz 奏者をスタジオに呼び(母体として、当時の第一線奏者から成る集団が編成されていた)、リラックスした雰囲気で生演奏をやってもらって、しかも、これジャム・セッション形式でやったというんだが、つまり、型にはまった事前の打ち合わせみたいなことはなく、もちろん、リハーサルもなく、その場の雰囲気による話し合いの中で曲目や奏者の組み合わせなんかを決めてやっていくというスタイルだが、それでやって視聴者を楽しませる。
 演奏は、ニューアーク市のMosque Theater/モスク劇場(現在のSymphony Hall/シンフォニーホール)の二階にしつらえたスタジオが舞台だった(WNTA-TV、同族系ラジオ局など複数の放送局がこの建物に放送基地を構えていた)。
 放映開始前に、オレンジ・ジュースとウォッカが用意され(つまり、「スクリュードライバー」材料だね)、場の者は番組終了まで、それを自由に飲って(やって)いい。これが、リラックスを保証している大きな要因だったという。もちろん煙草も自由だ、映像でお分かりのとおり。視聴者に、ナイトクラブでの生演奏を楽しんでもらう。これが狙いだ。文字どおり、「ジャズ・パーティ」だ。
 当時のTVショー番組では珍しいことであったが、奏者は白人/黒人、混交であった。

 番組は、急激に人気を、しかも大人気を博したが、残念ながら、年内で打ち切りになった。ジャズ雑誌や新聞は、終了を惜しんだ。最後の放送は、12月25日、クリスマス当日であったが、その内容は、場所をニューオリンズに移しての、現地のジャズ、いわゆる"New Orleans Jazz"ニューオリンズ・ジャズの録画取りによる紹介であった(8月に録画したもの。上記スタジオ外でのセッションはこれが唯一の例だという)。
  なお、その後すぐにWNTA-TV自体も買収されて、――複数の買い手のあった買収劇の決着がつくまでに、州知事による連邦控訴裁判所への差止請求まで引き起こしたゴタゴタがあったようだが――、非営利の公共放送、WNETとなった。アート・フォードもこの期を境に下り坂になり、晩年は忘れ去られた存在となったという。
                      以上、ココ/nj.comの記事(下の画像)と、Wikipedia記事による。

Photo                                                                                            (参照したwebページ記事、"nj.com")

 
 さて、YouTubeの場で最初に見たのは、つまり、"Art Ford's Jazz Party"というシーンが世に存在したということを知ったのは、今日とりあげている演奏とは別の場面のものだった。
 そのTubeでは、とあるスイング系トランペット吹きをとりあげていたのだが、「え、え、こんな奏者がいたのか」と、初めて知るに至り、斯界では「まあまあの物知り」と自惚れている身、「なに、ほんとかい、どういうやつだ」と、ものすごく興味をそそられた。
 しかしまあ、そのことは別の機会に書こう。
 ここではこれだ。

Maxine Sullivan sings " Ace In The Hole " on Art Ford's Jazz Party - 09 18 1958
  (マキシン・サリバンが唄う ― 「エイス・イン・ザ・ホール」)



 このTubeを観て、歌を聴いて、「あれ、何度も聴いたことがある曲だな」と感じた。
 頭のどこかに記憶されているんだ。
 だけど、いつ聴いたのか、どういう場面で、どういう関係で、脈絡で聴いたのかというような、曲の「素性」みたいなものが想いだせない。そこで、ネット調査した。

2                                   いい味で唄うね。こういうの好きだなあ。

1                                                ピアノは、Roland Hanna(ローランド・ハナ、1932.2.10-2002.11.13)
                                               ギターは、Mary Osborne(メリー・オズボーン、1921.7.17-1992.3.4)。

疑問が解消した。
 当ブログ主は、むかし、デキシ―ランド・ジャズに親しんでいた時期があった。
 その時代に何度か耳にしていたのであろう、と推測がついた。
 ただ、「ああ、アレか」と、曲名/メロディーがぱっと浮かばなかったということは、深くは馴染まなかった曲だったのであろう。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 さて、そういうlことであったのだが、事のついでに、調査で知ったことを記しておこう。
                      (以下の記述は、大部分がこのWeb記事から引っ張ってきたものである)
一、同名異曲がいっぱいある。
 まず、話の順序として、ここで言及している曲は、下記のものであることをしっかりと訴えておこう。
  "Ace in the Hole,"
       George D. MitchellとJames E. Dempseyという歌作りチームが1909年に
      作った曲で(作詞作曲ともに共作のようだ)、「ジャズス・タンダード」となっている曲。
 同じ名の別曲がいっぱいあるので、話題にするうえで、あれこれ論じるうえで、調査するうえで、などなど、とにかく、何をするにも、面倒で、話がこんがらかってしまう。Googleするんだが、とにかく、どれがどれで、どっちがどっちだか、訳がわからない、やりにくくてしょうがない。
 つまんないのを、いっぱい作るなよな、kuso!(そんなことをいっちゃいけないが、いいたくなるね、ハハ)

 同名異曲には次のようなものがある。
①"Ace in the Hole"
 Cole Porter(コールポーター)作詞作曲、1941年作品。同年のブロードウェイ・ミュージカル、"Let's Face It"のために書かれた曲。
 まず、これがある、エラ(Ella Fitzgerald)やなんかが唄っているという。
②"Ace in the Hole"
 イタリア生まれのトランぺッターLouis Panicoと、Elmer Schoebelという作曲家/ピアニストが共作として1926年に録音した速いテンポのストンプ曲。
 当時、けっこう流行って、他のバンドも盛んに演奏したという(ココから)。
 Panicoは、laughing trumpet(笑うトランペット)というスタイルを生み出したことで知られているそうだ(ココから)。
③ "Ace in the Hole"
  Dennis Adkins作曲で、George Straitが唄っているんだそうだ。
④"Ace in the Hole"
  Paul Simonが作った曲で、One-Trick Ponyというアルバムで唄っているという。
⑤"Ace in the Hole,"
  Dave Van Ronkが作った曲で、In the Traditionというアルバムで唄っているという。
                                    (データは、ココと、Wikipediaから)

二、1950年代、デキシ―界の誰もが演奏した。
1.デキシ―界で盛んに演奏された。
 Jazz史上に、"Dixieland Revival"(デキシーランド・リバイバル、デキシーランド・ジャズの復活、復興)という現象があった。1930年代後半からアメリカ西海岸を中心に始まった動きである。
 初期のジャズ、すなわち、20世紀初頭前後からニューオリンズに現れた"jazz"音楽、そこで生まれたジャズ、"New Orleans Jazz"というものに再度注目して、ジャズのその後の発展との対比からして、――多分に、「商業化=堕落」みたいな観点からして――、これに戻らなければならぬ、つまり、「ジャズの原点に帰れ」という動きである。「帰れ」と命じないまでも、初期ジャズの良さに注目しよう、味わおう、尊重しよう、尊敬しようという動きである。
 多分に、"jazz"という音楽の本質というか芸術性というか、そういう視点からの「教条的信念」、「宗教じみた崇拝」に駆りたてられた動きである。
 動きは、海を越えてイギリスでも、日本でも盛んになった。というか、この両国で、本家アメリカを凌ぐ発展、というか、まあ、なんというか、そう、浸透、浸透をみせた。
 まあ、一種カルト的偶像崇拝みたいなものだが、おそらく、現在では、日本は、世界中で、この動きが生き続けている唯一の国ではないか。

 話が長くなったが、元に戻して、この「1906年Ace in the Hole」が、1950年代になって、デキシ―界で盛んに演奏されたというんだが(「デキシ―界」なんてことばを使うと、純粋派から大怒られするんだけどね)、さて、それがミステリーだとされるんだよね。
 なぜか、なぜ、そんなことになったのか。
 Turk Murphy(ターク・マーフィー)、 Bob Scobey(ボブ・スコビー)、 Lu Watters & Yerba Buena Jazz Band(ルー・ワターズ&ヤーバ・ブエナ・ジャズバンド)、The Dukes of Dixieland(ザ・デュークス・オブ・デキシーランド)、海の向こうのイギリスのトラッド派、 Humphrey Lyttelton(ハンフリー・リテルトン)、Lonnie Donegan(ロ二―・ドネガン)、Kenny Ball(ケニー・ボール)、みな演った(やった)。
 なぜそんなことになったのか。
 1940年代半ばまで、この曲が録音された形跡は、つまり世に流布した形跡はないのに。

 さらには、つまり、さらなるミステリーだが、珍しい題材を、歌をとりあげて唄って「受けよう」とするジャズ歌手、ポップ歌手がこの曲を取り上げた。
 Anita O'Day(アニタ・オデイ)が――古い時代の歌が好きだなんてことはそれまでいったこともなかった人だが――1947年に吹き込んだ。
 Bobby Darin(ボビー・ダーリン)が何度か吹き込んだ。Johnny Mercer(ジョニー・マーサ)とのデュエットや、ラスベガスでのライブで。
 不思議だ、なぜそんなことになったのか。

2.Bank Johnson
(バンク・ジョンソン)
 そこで、遡って考えてみる。
 まず、1938年に、バンド歌手の Chick Bullockが、なぜこの曲をとりあげたのか理由は分からないが、American Recording Corporation.から、この曲のレコードを出している。A面は、"My Gal Sal"(マイ・ギャル・サル、「僕の恋人"Sal"」の意)である。つまり、いわゆる「B面録音」である。

  そして、1944年2月に、この曲が再浮上した。サンフランシスコのYerba Buena Jazz Bandによる商業レコードが出たのである。ヤーバ・ブエナ・ジャズバンドは、ニューオリンズ・スタイルを信奉して"Traditional Jazz"(トラディショナル・ジャズ、伝統的ジャズ)リバイバル運動に身を呈している若い白人奏者の集まりであった。
 バンドのリーダーは、トランペットの Lu Watters(ルー・ワターズ)、 メンバーには同じくトランペットのBob Scobey(ボブ・スコビー)、トロンボ-ンのTurk Murphy(ターク・マーフィー)がいた。このサイドメン二人は、後々自らのバンドを率いてリバイバル運動を推し進めていくことになる。
 なぜ、この曲がとりあげげられたのか。
  長くなるので端折って結論をいうと、Bunk Johnson(バンク・ジョンソン)がニューオリンズから持ってきたのである。バンクについては、ここでは簡単に、次の点だけ述べておこう。

 ニューオリンズに「ジャズ」というものが生まれた時期の直後から活躍した伝説的な、才能あふれるトランペット吹きである。1879-1889ぐらいの生れで(誕生年が明確でない)、1905-15年にかけて、ニューオリンズで名だたるラッパ吹きとして活躍していた。
 その後、New Iberiaに移住し(パレードでラッパを吹く仕事をさぼったら、立腹した連中に暴力報復されそうになり、それを避けるために逃げたという)、ミンストレル・ショーやサーカスと共に町から旅立ったり戻ったりしながら活動していた。1931年に喧嘩沙汰から、楽器を壊し、前歯を折った。その後は音楽活動から離れ、片手間にジャズを教える程度のことで、肉体労働に従事していた。
 1938から39年にかけて、ジャズ歴史家がバンクという伝説的人物の存在を知り、その所在を突き止めた。歴史家の問い/乞いに対して、バンクは、「前歯の治療費(入れ歯)を出し、楽器を買ってくれれば、演奏してもよい」と答えた。歴史家が応じて、伝説的トランぺッターが復活した。
 復活は世間から注目を浴び、バンクはリバイバル運動のなかで、あちこちに演奏旅行をした。サンフランシスコにもやってきた。
 
 ということで、バンクは復帰後の演奏活動のなかでAce in the Holeをとりあげており、それをサンフランシスコに持ってきたのである。

三、第二次世界大戦後、大勢の歌手が唄うようになった。
 もう一つのミステリー。大戦後、ジャズ、ポピュラー歌手がこの曲を唄うようになったが、それはなぜか。
1948年に、少なくとも半ダースの吹き込みが起きた。
   *Gene Austin(ジーン・オースティン)-- Les Paul(レスポール)トリオの伴奏で。
  *映画スター、Dorothy Lamour(ドロシー・ラモア)
  *Anita O'Day(アニタ・オデイ)
   *Harry Cool(ハリー・クール)
   *Red McKenzie(レッド・マッケンジー)
   *Dottie O'Brien(ドッティ・オブライエン)
 
 なぜか。1947年に何事かが起きたに違いない。しかし、それが何かは分からない。
 映画やブロードウェイ劇でこの曲が大々的に使用されたのか。著名なラジオ番組でテーマ曲として使用されたのか。あるいは、トルーマン大統領が何かしでかしたのか、ハハ。
 原因は分からない(アメリカ合衆国33代大統領Harry Trumanは、ピアノを弾いたという。見よ )
 いずれにせよ、この現象は、その後のLP時代へと続いた。

 すなわち、先にも述べたように、Bobby Darinはこの曲のレコードをを2回出しているし、 Clancy Hayesは、Bob ScobeyTurk Murphyの両者と吹き込んでいる。Lee Wileyは、1957年アルバム" A Touch of the Blues"でトランぺッターのBilly Butterfieldを擁するバンドをバックに味よく唄っている。Frankie Laineが軽快に唄い、Dave Van RonkやBurl Ivesといったフォーク歌手も独特の解釈で取り上げている。若いJoel Greyは懐古調で唄っている。
 John Wittwer、 Buster Wilson、Paul Lingle、Poppa John Godyといったピアニストの人気曲ともなっている。

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Bunk Johnson - Ace In The Hole
  バンク・ジョンソン(Yerba Buena Jazz Band/ヤーバ・ブエナ・ジャズバンドとの共演)

  唄っているのは、バンジョーのClancy Hayesという人物だそうだ。軽快で、明快で、味がよくて、いいねこの人の唄いっぷり、 上手い。トロンボーンはターク・マーフィーか、豪快で、いいリズムを醸し出している。  

Photo                                            (Bunk Johnson/バンク・ジョンソン。上に掲げたTubeの画面)

■Lee Wiley - Ace In The Hole
   (りー・ワイリー)

   From the 1957 album "A Touch of the Blues."

 これを掲げたのでは、「今日の主役マキシン」に失礼にあたろうが、つまり、せっかくその、なんというか、しっとりとしたというか、味よいというか、練れたというか、女味溢れたというか、ジャズっぽいというか、とにかく好ましい歌唱の余韻に浸っているのに、別の女性ボーカルが入ると、それを殺いでしまうことになるが、重々詫びを述べたうえで、史実資料としての意味で載せておく。
  (当ブログ主は、ワイリーもお気に入りなんだけどね)
                     

 


 

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2013年4月29日 (月)

♪The Lost Highway(ザ・ロスト・ハイウェイ)、1948年カントリー曲だが、故あってその歌詞を調べたので日本語訳を掲げておく。ハンク・ウイリアムズによるヒットで知られているそうだ。

2013.4.29
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                                                                          ♪参考資料[歌詞翻訳曲目一覧/ページ相互リンク]

I.The Lost Get-Back Boogie
 James Lee Burke(ジェイムス・リー・バーク)の作品に、1978年の"The Lost Get-Back Boogie"(ザ・ロスト・ゲットバック・ブギ)というのがある(邦訳版は存在しない、おそらく)。この作者は、探偵物シリーズ小説の分野で多くの作品を残しているのだが、そういう作品群のなかで一種異色の存在だ。どう異色なのかということについては、この作品についてシリーズ記事を書いているのでそれを参照してもらいたいが、この表題について、常々どういう意味なのか考えてきた。

 ここにきて、それが分かったような気がしている。
 「刑務所帰りの男が人生やり直しを目指したが結局はダメだった」ということを表わす/唄うブギ、すなわち、
              <<<直立ち直り失敗ブギ>>>
 そんなことではないか。
 そう考えるに至ったことについては、ヒントがあった。

II.The Lost Highway(ザ・ロスト・ハイウェイ)
                 "The Lost Highway"
 ヒントとは、このカントリー曲だ。Leon Payne(画像)という盲目のカントリー歌手、シンガー・ソングライターが1948年に作った曲で、翌1949年にハンク・ウイリアムズが吹き込んでヒットし、広く知られるようになったいう(Wikipedia)。
 これを、物語のなかで、主人公、Iry Paret(アイリー・パレット)が唄うのである。

 パレットは、ライブ演奏中のいさかいから、ナイフで人を刺し、殺してしまう。
 正当防衛的な局面でのことだったのだが、とにかくその罪で、かの悪名高きアンゴラ刑務所(ルイジアナ州刑務所/Louisiana State Penitentiary画像)に服役する。
 そして、刑期5年中3年を残して保釈出所してきたパレットが、Thibodaux(ティボドー)郊外の街道筋ナイトクラブで得た仕事で、保釈保護観察官に隠れるようにして得た仕事で唄う。
 自慢のDobro(ドブロー)、カリフォルニアのメーカーに特注して500ドルでこさえたドブローを弾きながら。

 荒くれ男たちが、目に涙して聴きいる・・・・・・、俺の顔を見上げ・・・そして、聴きいる・・・・・・。


      -------------2013.4.28記事から------------
  次いで、"The Lost Highway"を唄うと、海上油田関係のラフネック(roughneck)、荒くれ男たちが、――ブリキの帽子をかぶり、軒並みビール焼けの顔に、掘削作業の泥を服にこびりつかせた男たちが――、涙にうるんだ目で、厳しい顔つきで、オレの顔を見上げてきた。
 ハンク・ウイリアムズの真似は得意だ。そして、オレのドブロー(Dobro)は、当時のハンクのバンドのスチール、唄うハンクの後方で響くスチールのように鳴った。

  (The Lost Get-Back Boogie by James Lee Burke, 1978; Hyperion版ペイパーバック, ISBN: 0-7868-8934-9、50ページ)   
      --------------------------------------  

 こういうことなのだが、そうなると、どんなことを唄っているのか知りたくなる。
 そこで、この曲の歌詞を調べ意味を探った。
 ついでに、日本語訳を掲げておくことにした。
3 Hank Williams(上段)と、その子、Hank Williams JR(1949生れ、画像、下段左半分).と、孫、Hank Williams III、「Hank 3」ともいう、1972生れ、画像、下段右半分)。「ジュニア」も「三世」も、カントリー畑を中心にしたプロ歌手(兼楽器奏者)として活躍している。
 ジュニアについては、この過去記事
参照されたい。

III.歌詞と日本語訳 ― The Lost Highway
  (歌詞は、ネットに出ているものをいくつか比較照合し、ハンクのチューブを聴いて確認しながら精錬したものである)
              
              The Lost Highway
                               (w) and (m) Leon Payne, 1948
I'm a rolling stone, all alone and lost,
For a life of sin, I have paid the cost.
When I pass by, all the people say
"Just another guy on the lost highway."

Just a deck of cards and a jug of wine
And a woman's lies make a life like mine.
Oh, the day we met, I went astray,
I started rollin' down that lost highway.

I was just a lad, nearly twenty-two,
Neither good nor bad, just a kid like you.
And now I'm lost, too late to pray,
Lord, I've paid the cost on the lost highway.

Now, boys, don't start your ramblin' round
On this road of sin or you're sorrow bound.
Take my advice or you'll curse the day
You started rollin' down that lost highway.


 俺は転がり石だ、孤独な敗残者だ。
罪まみれの人生に、ツケを支払ったのさ。
俺が通りかかると、みんなこういう、
「こいつも、道を踏み外した一人だってことだ」。

 トランプ札一式と、ジャグ満杯ワインと女の嘘が揃うと、
簡単に俺のような人生になる。
 そうよ、この三人に出会ったあの日に、
俺はあの破滅の道を転がり始めたんだ。

 俺はほんの子どもだった。22歳ちょい前だ。
良しも悪しもない、まだオマエラと同じようにガキだった。
それが、今では敗残者だ。懺悔をするにはもう遅い。
神よ、俺は道を誤ったつけを、払い終わったぜ。

 だからな、みんな、うろうろ放浪すのはよせよ、
 この罪の道をな。
そうしないと、悲哀が一生つきまとうことになる。
 この忠告を聴け。そうしないと,
敗北の道を転がりはじめた、その日を呪うことになる。



[翻訳考察]
1.どこをカンマで区切り、どこにピリオド(
または、?、!)を打つか、かなり難しい(1)
 
 歌詞は4コーラスにわたっているが、基本的に、各コーラスは、2つの「文」で構成されている。すなわち、[第1、2行] + [第3、4行]である。そういう形式をとっているものと思う。
 第2、3、4コーラスはその点がはっきりしており、そういう構成だとみることに問題はない。悩むのは第1コーラスで、ここでは、1行目の終わりでピリオドを打つべきかもしれない。しかし、整合性を考慮して、カンマで処理した。

 こういう文法的な問題との関係でいうと、この曲は、「文法なんて、細かいこというな」というスタイルで作った歌詞ではないようだ。
きっちりと韻を踏ませた歌詞になっていることからそう推測できる、口はばったいようだが。
 
古いブルース曲などには、そういうのが少なくないんだよね。つまり、「文章教養人」でない人が書いた詩には、歌詞の解釈について「文法的アプローチは端から無用」みたいなのがある。

2..[Oh, the day we met(歌詞本体7行目)
"we"とは、
「俺」("I")と、[a deck of cards]と、[a jug of wine]
と、[ a woman's lies]のことを指している。すなわち、この3つの要素、道を踏み外す原因になる三要素と俺が出会った日」という意味である。
 なお、"a woman's lies"は文法的におかしくないかという疑問が湧くかもしれない。すなわち、"lies"と複数形になっているのに単数を表わす不定冠詞"a"で受けているのは誤りではないかという疑問である。しかし、これは、"woman's lies"で「女がつくあれやこれやの嘘」という概念を表わしているものではないかと思う。その単体概念を"a"で受けているのである。すなわち、[a + 名詞(形)]で「何々というもの」、「何々ということ」という概念を表わす、あのよく知られた用法である。

*1.およそネットに掲載されている歌詞で、句読点がきっちりと処理されているものを目にしたことがない。専門業者みたいなページであれ、アマチュアであれ。権威あるもののごとく装っている英文webページも然り。
 あれ、どうしてかね。
 いいかげんな引用、その受け売りが二重、三重.....n重に重なった結果そうなった。
 「誤りを指摘されたくないから、句読点は一切表示しない――あやふやな点があり、どう処理すればよいか自信がなく、調べるのが面倒でもあるので」。
 受け売り連鎖の途中、ある時点で、こういうことが起き、それが、さらなる受け売りによって伝わっていく。こういうことの結果である。そう推測している。

 
歌詞を掲載するのなら、きちんと処理してくれよな、そこら。
 極端にいうなら、句読点のないものは、「歌詞」とはいえない。なぜかなら、作詞者としては、語りたい内容を正確に伝えることができないからだ。逆方向からいうと、歌を聴く側、歌詞を読む側は、作者が何を語ろうとしているのか、正確に把握することができないからだ。
 だから、オリジナル歌詞には、必ず句読点が入っているはずだ。それなしで出版する作詞家がいるはずはない。

 これ、日本語の世界でいうと、句読点のない語句の塊、集合体を、「翻訳」することは不可能だということになる。神さまでもできないことだ。
 へい、ネットで歌詞を紹介しているみなさん、句読点のないぶざまな塊を掲載するのは止め
 ましょうね。

The Lost Highway- Hank Williams

  (1949年録音版、すなわち、曲を世に広く知らしめることになったオリジナル版のようだ)



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